【本】東西/南北考 ― 2010/11/22
東西/南北考―いくつもの日本へ (岩波新書) 赤坂 憲雄 岩波書店 2000-11 売り上げランキング : 74734 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
赤坂氏は、「はじめに」で高らかに宣言する。
「この列島の、縄文以来の民族史的景観に対して、『ひとつの日本』というフィルターを自明にかぶせてゆく歴史認識の作法は、すでに破綻している。(略)たとえ粗削りなものであれ、『いくつもの日本』をめぐる大きな見取り図を描いておきたい、と思う」としたうえで、こう続ける。
「転換の方位だけははっきりしている。歴史への眼差しを深みにあって支える座標軸それ自体を、東/西から南/北へと変換させてゆくことである」
そうした意図のもと、赤坂氏はまず手始めに稲作農耕と関わり深い「箕(み)」にスポットを当ててみせる。
これがまずじつに地味な題材として読み始めるのだが、その形状や分布、伝播を紹介しながら、氏は「この弧状なす日本列島には、出自や系統を異にする地域文化が重層的に存在してきた」とし、「いくつもの日本」をゆったりと浮上させる。
このあたりのスリリングな展開は、バナナやナマコの視点となって日本とアジアの歴史を俯瞰してみせた鶴見良行氏の一連の論考を想起させて、ワタシたち読者を知的興奮へと誘う。
さらに氏は、日本の歴史学に大きな影響を与えた柳田国男を俎上に載せながら、「列島の内なる種族=文化の多元性の否定のうえに、はじめて『いくつもの日本』が姿が現わす」として、その“一国民俗学”を批判する。
そして、それまでの日本像に疑問を投げかけた網野善彦や列島に暮らす人びとの暮らしをつぶさに追った宮本常一ら、先人たちの“試み”に言及することで、縄文以来、北海道・東北から奄美・沖縄へと繋がる「いくつもの日本」は、さらにくっきりとその姿を現していく。
「東北学」を極めてきた氏は、こう喝破する。
多元的な種族=文化が交わる「いくつもの東北」を、「西日本を源流と発するヤマトを和人の文化一色に塗り込めることはもはやできないだろう。ひとつの東北は、西の眼差しに呪縛された幻想にすぎない」
もちろん、「東北」とは「日本」でもあるのだ。
本書の結びはこうある。
「いくつもの東北から、いくつもの日本へ、そして、いくつものアジアへ。わたしたちの歴史の総体が、そうした再審の場へ誘われてゆくにちがいない」--と。
そう、これが氏の切実たる“思い”なのだ。
じつに刺激的な書である。
が、ワタシの理解力が足りないのか、氏の論考はまだ“試論”の段階であるという印象を受けた。本書によって、「南北考」を軸とする「いくつもの日本」論は、ようやくその議論のとば口へと辿り着いたのではなかろうか?
とすると、本書が刊行されて早10年。その後の議論がどのように展開さてきたのか? どのような研究が積み上げられてきたのか? (その方面に明るくないこともないので、そうした書が既に出されているのやもしれないが)「いくつもの日本」再論を是非読んでみたい。
◆『東西/南北考』のおすすめレビュー一覧
供犠論研究会(六車由実氏)
与論島クオリア
asahi.com(ゼロ年代の50冊)
↓応援クリックにご協力をお願いします。
コメント
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://yui-planning.asablo.jp/blog/2010/11/22/5527038/tb
※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。