【本】月と蟹2011/04/02

月と蟹月と蟹
道尾 秀介

文藝春秋 2010-09-14
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『永遠の仔』 (天童荒太著)、『ナイフ』 (重松清著)、『4TEEN(フォーティーン)』 (石田衣良)、『温室デイズ』 (瀬尾まいこ著)など、近年、いわゆる“子ども”を主役に置いた名作が次々と生み出されているが、本作もそうした名作群に連なる逸品だ。

家族に“過去”を抱える元転校生の慎一は、やはり家庭に問題を抱える春也とともに海辺に秘密の場所を見つけ、ヤドカリを神様に見立てる儀式を繰り返す。そして「ヤドカミ様」に祈ると、なぜか少年たちの願いは叶う。やがて「ヤドカミ様」への願いは、少年たち自身と大人たちへも向けられ…。

冒頭から何度も登場するヤドカリが背負った貝殻をライターあぶる場面は、否が応でも『泥の河』(小栗康平監督)の一場面も想起させるが、物語は中盤まで大きな展開はなく、この二人の少年がやりとりとそこに織りなす心象風景が淡々と語られる。
その二人の関係にさざ波を立てるのは、慎一と浅からぬ因縁を持つ少女・鳴海のしなやかな存在だが、慎一の祖父・昭三の存在がまた、この物語にふくよやかさを与えるとともにトゲのように鋭く突き刺さる。

過去と現在が宿念のように絡み、物語はある種の悲劇へと向かっていくのだが、傷つきながらそこへ転がっていく慎一、春也、鳴海たちの心の痛みが、ジンジンと伝わってくる。
その作劇と描写のうまさが、この作家の評価であろうし、本作が直木賞を受賞したことにワタシもまったく異論はない。

あえて慎一の母親や鳴海の父親の心象を排除し、抑えた筆致で“子ども”たちの心的・神話的世界を描ききったことに、筆者の真骨頂と本書の成功がある。

帯にある宣言文句を引用する我が表現力の貧しさが腹立たしいが、まさに「深い余韻にとらわれる」読後感が、かえがたい魅力として沈殿する一冊。

『月と蟹』の参考レビュー一覧(*タイトル文責は森口)
「弱さの連鎖が因果となって」--asahi.com(佐々木敦氏)
「人間を描く筆致に凄み」--MSN産経ニュース(篠原知存氏)
「最後まで読ませる『筆力』に、圧倒」--琥珀色の戯言
「描写力や文章力で圧倒的な力を持つ作家」--黒夜行

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【演劇】北京蝶々×中屋敷法仁『パラリンピックレコード』2011/04/09

『パラリンピックレコード』
さまざまなことが重なり1週間ぶりのブログ執筆。震災以降、なかなか調子が戻らない…。というなかで久々の鑑劇となった劇団「北京蝶々」「柿食う客」中屋敷法仁氏とタッグを組んだ『パラリンピックレコード』(4月9日・三軒茶屋シアタートラム)

初見の「北京蝶々」だが、資料によると2003年に早稲田劇研を母体に旗挙げし、電子マネーや介護ロボットなど日常に浸透しつつあるテクノロジーをモチーフに近未来の日常を描く舞台を展開しているらしいが、今回の公演もそうした延長線上にあるのだろう。

一方、今回の演出を担当した中屋敷法仁氏(柿食う客)は、「演劇の虚構性を重視し、『圧倒的なフィクション』の創作を続ける」(劇団HPより)とある。

なるほど、この二つの個性がマッチングするとこういう芝居になるのか…という展開をみせてくれた芝居だった。

着想は面白い。二度目のオリンピックを控えた近未来の東京が舞台。親子二代で都知事となったイシハラのもとに、特殊な義手や義足を身につけた障害者アスリートが結集する。日本選手の金メダルが難しくなったオリンピックよりも、彼らをパラリンピックで活躍させるというアイデアが採用されるが、それまで差別され続けてきたアスリートたちが突然テロリストと化し、イシハラ都知事を人質にする…。

早くから配布されていたチラシにもそのような内容が記されているが、震災後に改訂が行われたのだろう。「震災での復興にはオリンピックが必要だ」と叫ぶイシハラのセリフは、よりリアルに聞こえる。

東京都知事選にぶつけるタイミングもよいし、「二代目」という構想も実際にあの親子のなかにはあったかと思う。

さらに、先頃まで表現規制問題で揺れていた東京の未来が「言論統制下にある」というのも、特殊なギアによって障害者や高齢者が常人以上の身体能力を持つというも、けっして荒唐無稽な話ではなく、そうした意味でも“近未来感”溢れるエンターテイメントといえる。

しかしながら、ワタシにはその作劇(風)がどうも80年代にさんざん使い古された手法や構造にみえて、“新しさ”が感じられなかった。たしかに「虚構性の高い発話法/演技法を追求し、人間存在の本質をシニカルに描く」というのは“新しさ”なのかしれないが、その発語される単語や装飾語が新しいだけで、どうもかつての「第三エロチカ」や「演劇団」などの芝居とダブって仕方がないのだ。

そういう意味では、中屋敷氏が「その姿勢から『反・現代口語演劇』の旗手」とされるのもよく理解できた。気のせいか客席の年齢層も高かったように思える。

ワタシには、本作のようなテーマ一発のノリでつっ走る活劇よりも、平田オリザ氏の“ロボット演劇”のほうが、よほど近未来的で、刺激的に思えるのだが…。

『パラリンピックレコード』の参考レビュー一覧(*タイトル文責は森口)
「グルーブ感とボディをしなやかに持ち合わせた舞台」--RClub Annex
「スタイリッシュなリズムが躍動する演出」--江森盛夫の演劇袋

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【CD】鈴木慶一/ヘイト船長回顧録2011/04/10

ヘイト船長回顧録 ラヴ航海士抄ヘイト船長回顧録 ラヴ航海士抄
鈴木慶一

ソニー・ミュージックダイレクト 2011-01-26
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ムーンライダースのリーダーにして、ソロアーティストとしても精力的に活動を続けている御大・鈴木慶一氏の最新ソロ作『ヘイト船長回顧録 In Retrospect』を聴く。
近年、曽我部恵一とユニットを組むが如く『ヘイト船長とラヴ航海士』 (2008年)、『シーシック・セイラーズ登場!』 (2009年)といったソロ作を立て続けにリリースしていた御大だが、本作はその三部作・完結編として位置づけられれている。

とはいうものの、じつそれらの緒作を耳にしていたもののをじっくりと聴き込んでいたわけではなく、本作も当初はそのレトロ風味のモコモコ感に耳が反応せずに、捨て置いた次第。
というのも、もう何年も前のことだが、初めてムーンライダースのライブに接した際に、カルトな生演奏を期待していただけにどうもそのモコモコなサウンドが肌(耳)に合わず、やや期待外れだった経験を持っているからだ。

しかしながら、まるで“発掘音源”のようなポップ・マエストロ作を紐解くうちに、ベールが少しずつ剥がれ、ワタシの中で突然視(聴)界が開けるようにきらびやかな音の粒が拡がっていった…。

大滝詠一氏の『ロング・バケイション』 (1980年)が、ポップの粒を外界に向けて放ったビッグバンならば、この『ヘイト船長~』はそれらの粒を拾い集めて玉手箱に詰め込んだかのような印象。
鍵穴から目を凝らして見ないと箱の中の宝の山は拝めないが、その宝はポップ/ロックンロールの歴史と地理に縦横無尽にローラーをかけて集められた逸品ばかり。

ブルース、カントリー、ジャズ、ロックンロールからパンク、テクノ、歌謡曲、祭り囃子、グリー(男声合唱)、はてはワールドミュージックまで息もつかせぬ、まさに全身音楽家・鈴木慶一の一大レトロスペクトが全開する。

とくに、後半⑫「Witchi-Tai-To」あたりからのヘイト船長が不屈の魂で荒海から生還したかのような威風堂々ぶりは、まぶゆい音像として迫る。あくなきポップ探究者としての、鈴木慶一氏の矜持あふれる一枚。

『ヘイト船長回顧録』の参考レビュー一覧(*タイトル文責は森口)
「懐かしさと新しさが渾然一体となった強烈なトリップ感覚」--One Way To The Heaven
「とんでもなく混沌とした情報量の多い世界」--松岡康史のワールドミュージック短信
「聴くものそれぞれの物語が作られていく…」--cozy-zonked-quail blog
「ハイブリッドな環境でアナログな遊びをする粋人」--席亭風流日記

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【写真】竹内敏恭写真展「石巻2002-2010」2011/04/14

竹内敏恭写真展「石巻2002-2010」
廃屋となった造船所、昭和にタイムスリップしたようなストリップ劇場の看板、うらびれたポルノ映画館の前を通り過ぎる女子高生…。モノクロに焼かれた35枚の写真たち。

タイトルを付ければ「石巻残照」といったところか。

おそらく撮影者である竹内敏恭氏もそのような思いで、このひなびた港街を愛し、斜陽となった造船の街を歩き、その寂しげながら風情ある街の姿をフィルムに焼き付けてきたのではあるまいか。

写真展「石巻2002-2010」(コニカミノルタプラザ)は、そうした写真展になるはずであった…。そう、なるはずであった、のだ。

ところが今、この写真たちはまったく違う視点で視られている。写真の意味が、3月11日以前とそれ以降では、まったく違うものになってしまったからだ。

この愛おしい景色たちの多くを、ワタシたちはもう、視ることができない…。
食い入るように写真を見つめていたギャラリーの一人が呻くようにつぶやく。
「どれも今となっては貴重な写真だ…」。

自然の猛威が、文化・芸術の意味をかくも変えてしまう、その希有な例としてこの写真たちは存在する。人びとの暮らしのなかで、生きていくなかで、改めて写真、そして芸術の意味を考えざるをえないワタシたちがいる。

本展での説明文によって、ワタシは初めて元は廻船問屋だったという陶器店「観慶丸」が昭和初期に建てられた、宮城県内でも貴重な洋風建築であることを知った。

その雄姿はワタシたちの記憶と共に、フィルムに焼き付けられ、このモノクロのリアルな姿で後世に伝えられることになるだろう。
ワタシも彼の人同様「今となっては」というありていな常套句しか思い浮かばないが、やはりこれは「貴重な記録」と言うしかない(4月12日)。*写真展は、4月21日まで

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【本】活劇 日本共産党2011/04/18

活劇 日本共産党活劇 日本共産党
朝倉 喬司

毎日新聞社 2011-02-26
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先頃、急逝された朝倉喬司氏の遺作(未完)。
朝倉さんとは一時、個人的も親しくしていただき、また『犯罪風土記』 『メガロポリス犯罪地図』 といった「朝倉喬司が時代を引き寄せた」と言わしめた犯罪ルポ群をはじめ、『バナちゃんの唄』 『芸能の始原に向かって』 『流行り唄の誕生』といった朝倉芸能史観が全開する芸能ルポ&評論群を唸りながら読んできたが、正直、本書によって久しぶりに朝倉本を手にとった。

かくして、朝倉氏による「共産党史」だ。
もちろんそこは“アサやん”で、通りいっぺんの正史を記すわけもなく、思いっきり人物にスポットを当てた任侠的共産党史を描いてみせる。

とり挙げた人物は、関東大震災後の混乱で実弟を警察に殺されたことで共産に入党した元国策バルブ(現日本製紙)会長の南喜一、戦前の非合法政党時代より戦後初期に至るまでの日本共産党の代表的活動家だった徳田球一、戦前期の非合法時代の日本共産党中央委員長で、後に右翼となる田中清玄の3人。

かねてから書きたかったテーマであり、念願の企画だったのであろう、その筆も踊る。その時代と活劇ぶりが、朝倉節によって活写される。

おそらく朝倉氏の世代にとっては「共産党」というのは、自分史の中に深く沈殿する避けて通れない、咽の奥に刺さったトゲのようなものなのかもしれない。本書を読んでそんなことを感じた。

しかしながら、正直に告白すれば、ワタシは共産党にほとんど興味がなく、またこの3人の人物についてもほとんど知識がない。そのせいか、朝倉流絵巻物を十分に堪能することなく頁を閉じた…。
むしろ、およそ“物語”とはほど遠い立花隆氏の『日本共産党の研究』 の方が、ワタシら世代に近い“時代の空気”が感じられて、スラスラと読んだことを思い出してしまった。

そうした意味も含めて、巻末に付せられた船戸与一氏による本書の解説というか、それを超えた歴史アカデミズムへの批判とさらに朝倉歴史観への“幻視”は、本書の価値を素晴らしく高めていると思う。

この解説を読まずして、本書は完結しない。

血沸き肉踊ると朝倉“活劇”と、熱さと悔恨をもって語られる船戸“歴史観”という特上コラボをもって、朝倉氏はライター最期の仕事をやり遂げた。

『活劇 日本共産党』の参考レビュー(*タイトル文責は森口)
「戦前戦中、党員にたぎる「義」--CHUNICHI BOOK WEB(平井玄氏)

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【CD】Rumer(ルーマー)/シーズンズ・オブ・マイ・ソウル2011/04/19

シーズンズ・オブ・マイ・ソウル(初回限定バリュー・プライス盤)シーズンズ・オブ・マイ・ソウル(初回限定バリュー・プライス盤)
ルーマー

ワーナーミュージック・ジャパン 2011-03-09
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華やかで、穏やかな才気溢れるアルバムだ。
イギリスで話題の女性シンガー・ソング・ライターRumer(ルーマー)の新作が、この一カ月、揺れに揺れたこの世界を、この日本のワタシたちを癒してくれる…。

一聴して、70~80年代のポップ/シンガーソングライター黄金期を彷彿させる声とサウンドが、めくるめく思いとなって、ワタシたちの耳を心底をとらえて離さない。芳醇な音が万華鏡のように響き渡る。

1曲目の「アム・アイ・フォーギヴン」から彼女の才能を絶賛したというバート・バカラック・ワールドが全開し、スモール・サークル・オブ・フレンズカレン・カーペンターをも彷彿させる歌声が響く。優しげなフリューゲル・ホーンの響きはまさしくA&Mサウンドだ。
ヒット・チューン③「スロー」は、Sade(シャーデー)をさらにソフトにしたように、たゆたいながらその思いを歌い込む。④「テイク・ミー・アズ・アイ・アム」では透明感に溢れ、⑦「サンクフル」ではあのキャロル・キングの名盤『つづれおり』 をも想起させる。

「オン・マイ・ウェイ・ホーム」 はパキンスタン人の血が流れる彼女ならではの“異郷”の視線か、アイリッシュ~北欧の響きから、さらにあのロバート・ワイアットにも似た静寂の中の強さを感じさせる。
一転して、ブレッドを思わせるような⑪「グッバイ・ガール」、⑫「アルフィー」、⑬「君に想いを 」ではブリルビルディング的なアメリカン・ポップ・フレイバーをふり撒き、華やかにこのアルバムは幕を閉じる。

プロフィールを読むと、かなりドラマティックな人生を歩んできたようにその体験や人生観が、その詩世界は反映されているというが、英語に疎いワタシにはそこに言及する資格はない。

が、先に触れたSade(ナイジェリア人)やノラ・ジョーンズ(インド系)、そしてワタシが惹かれるジョヴァンカ(アフリカ系オランダ人)にして、どこかに異国人として覚めた視線をもち、それがひとつの魅力となっている気がする。

曲のよさ、耳に残る独特の歌声、そして緻密なサウンド・プロダクションと、いずれもその才能は一級品の輝きを感じさせる。しばらく愛聴盤となりそう。


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【映画】レスラー2011/04/21

『レスラー』
『レスラー』(2008年・監督:ダーレン・アロノフスキー)

恥ずかしながらワタシは、『白いドレスの女』(81年)も『ナインハーフ』(85年)も『エンゼル・ハート』(87年)も観ていないので、ミッキー・ロークの“セックス・シンボル”時代を知らない。識っているのは、『バッファロー'66』(98年)や『プレッジ』(01年)、『デスペラード』(03年)でいずれも脇役に甘んじ、落日感を漂わせていたただの中年男の姿だ。

そのやさぐれた中年男が、本作ではそのやさぐれ感をいい具合に全開させし、見事に“映画スター”として甦った。そんなロークのためにつくられたような作品だ。

冒頭で栄光に満ちたプロレスラー“ランディ(ローク)”の過去が、新聞記事や資料をゆっくりとなめるカメラによって紹介され、やがてフィルムの中の時間(とき)は一気に20年後のラムの姿をとらえる。年はとったものの、まだまだ現役として、そこそこに活躍するレスラーとして、ラムの“今”の姿が描かれる。

リングに向かう、控え室に向かうラムの姿から手持ちカメラが追いかけるのだが、監督はこのショットがお好きなようで、本作中でしばしば多用される。それによって、前半はドキュメンタリーのようにラムのリング内外の日常が描かれるのだが、なにしろカメラがラムを正面からまともにとらえるのは、開始から10分近く経ってからのことだ。

かつてのプロレス・ファンとして瞠目させられたのは、プロレスの裏側(真実)が臆することなく描かれていることで、勝敗はもとより、試合内容についてレスラー同士が事前に対戦相手と打合せをする様が描かれる。

それもよい試合をすれば相手を讃え、心からリスペクトする。ロッカールームはまるでチームのようで、会場を盛り上げた功労者には賛辞を惜しまない。

ラムがカミソリの刃で自身の額を切り、流血するシーンでは、ワタシもかつて東京スポーツの記者から、同じような手口で流血をする“技”を聞いたことが思い出された。テリー・ファンクが上手いんだよねと言いながら、自分で切った傷をわざと相手に殴らせるとよく血が飛び散るんだ、とその記者は話してくれた…。

話がすこし横道に逸れたが、デスマッチの相手と一緒に、試合で使う“凶器”を嬉々として買い求める姿には、ギャグを通り越して、プロとしての崇高なプライドすら伝わってくる。

そうして日々肉体的にも傷つき、けっして経済的にも恵まれない生活ながら、観客の歓声が忘れられずにレスラー生活を送るラムだが、肉体の酷使と、寄る年波には勝てず、ある日ロッカーで倒れる…。

そこから、この物語のキモとなる娘(エヴァン・レイチェル・ウッド)との再開と邂逅、そしてストリッパー(マリサ・トメイ)とのせつない恋などが織りなされるのだが、なにしろこの娘が登場するのが1時間もしてからで、しかも唐突だ。あっという間の和解も不自然だし、その後の展開もとってつけたよう。ストリッパーとの関係も同様だ。

つまり、本作はとどのつまるところ、ランディ=ミッキー・ロークの生きざまを描いた映画といえる。ところが、ランディがどのようにしてレスラーとなり、どんな生活を送り、なぜ妻と別れ(?)、そしてなぜ生活に困窮しているのか、多くは語られない…。

しかしながら、「ラムスキー」と本名で呼ばれることをひどく嫌い、「ランディと呼んでくれ」と訴える場合が、本作中何度も出てくる。その名から東欧系と想像するが、かつて米プロレス界には、ジン・キニスキーキラー・コワルスキーといった東欧ルーツの名レスラーが多く活躍していた。

以前ワタシは、プロレス雑誌に起稿した「プロレスにおける民族問題」なる拙文で、移民によって支えられてきたプロレスの歴史に触れたが、ラムがけっして恵まれたエスニック・ルーツでないことは、このラムの態度から透けて見える。

だからこそラムはリング上では、“ミスター・アメリカ”となって“イラク”を体現するアヤトラーと名勝負をくりなすことができるだ。

そのラムが背負う哀しみが、ロークから、スクリーンから滲み出ているからこそ、本作が多くの人に愛されたのだと思う。ちなみに、アロノフスキー監督がニューヨーク生まれのユダヤ人であることも、それと無縁ではない気がする。もちろんレスラーに“なりきった”御年56歳のロークの肉体改造にもワタシは賛辞を惜しまない。

『レスラー』の参考レビュー一覧(*タイトル文責は森口)
「孤独とフェイクを絡ませながらロークが描く優雅なハート」--映画.com(芝山幹郎氏)
「プロレス映画の中でも、屈指の傑作」--超映画批評(前田有一氏)
「“過去の人”である、ローク主演だからこそ輝きを放つ」--お楽しみはココからだ~ 映画をもっと楽しむ方法
「異色のスポーツ・ヒューマン・ドラマ」--映画ジャッジ!(町田敦夫氏)
「ミッキー・ローク抜きでは成り立たない映画」--映画のメモ帳+α
「中年レスラーの悲哀が感動を呼ぶ」--映画通信シネマッシモ(渡ま子氏)

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【本】異国トーキョー漂流記2011/04/24

異国トーキョー漂流記 (集英社文庫)異国トーキョー漂流記 (集英社文庫)
高野 秀行

集英社 2005-02-18
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著者の高野秀行氏についてはもちろん、『幻獣ムベンベを追え』 『巨流アマゾンを遡れ』 を記した“辺境ライター”としての名を知っていたが、ワタシが注目をするようになったのは『アジア新聞屋台村』 (集英社)からで、その辺境体験が滋養となっているのだあろうか、じつにしなやかな感性で日本で発行される外国人向け新聞(エスニック・メディア)の奮闘ぶりを活写し、思わず唸ってしまった。

というのもワタシも以前、エスニック・メディアの取材を続けていた時期があるものの、言葉の壁だけでなく、外国人の彼(彼女)らかの懐に入っていく難しさを実感していたからだ。
その壁を持ち前(?)のしなやか(いい加減?)さで、スルりと乗り越え、堂々と外国人と一緒になってその発行に汗する姿が、なんとも清々しかった。

その著者による、同じく日本を舞台とした“辺境”ものである。
といってもここでいう“辺境”とは、自然や土地ではなく、人である。
在日外国人という“辺境”だ。

解説の蔵前仁一氏も引いているように、本書での高野氏の視座は明確だ。

--そのアメリカ娘と一緒にいると、見慣れた東京の街が外国のように見えるのだ。漢字と仮名とアルファベットがごっちゃになった猥雑な看板群。くものように空を覆う電線。機械のような正確さと素早さで切符を切る改札の駅員…。
--これまで毎日のように目にしていたもの、だけど何とも思わなかったものが、ことごとく違和感と新鮮味を伴って、強烈に迫ってくるのだ。
--そのとき、私の目に映ったのは東京ではなく異国の「トーキョー」だった。

まさしく、高野氏の眼前に『ブレードランナー』に写し出されたトーキョー、『ブラック・レイン』でのオーサカの風景が拡がったのであろう。

先にも触れた辺境体験を活かして(?)、次々と出会うトーキョー外国人たちを観察し、探究し、そして自身と照らし合わせながらユーモア漂うルポとして描いていく。

“自分探し”をするフランス人とともに暗黒舞踏を体験し、故国を逃れてきたイラク人に日本でのアルバイトを世話し、盲目のスーダン人と野球観戦に行く。その“感性”は前掲書のままに、見事に輝いている。
なかでもコンゴ人の“友人”のために行った披露宴のスピーチは、当事者たちの歓喜ぶりが伝わってくる感動モノだ。

しかし、エンタメ・ノンフィクションを標榜する高野氏であっても、外国人となればそこに「政治」は避けて通れない。
フランス語からリンガラ語になったとたん「フランス人が来て、みーんな(コンゴを)壊した」と怒りを露にするコンゴ人、日本でのアルバイトを断られ続けるイラク人の姿をそのまま記すことで、その姿勢を明らかにする…。

そうした意味でも、本書(2005年刊)はその続編ともいえる『アジア新聞~』(2006年刊)と併せて読まれるべき書であろう。もしかすると今、「在日外国人」を書かせて最も優れた書き手となるのは、この高野氏ではないかと思う。

『異国トーキョー漂流記』の参考レビュー一覧(*タイトル文責は森口)
「自分自身を見つめるように冒険を書く」--メディア日記<龍の尾亭>
「出色の出来。最終章はすべての野球ファンが楽しめる」--カープときどきダイビング
「下手なマンガよりずっと面白いチャーミングな小品」--マンガソムリエ煉獄編
「在りのままの人間模様が滋味深くて切なくて、たまらなく愛おしい」--Favorite Books

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