【本】異国トーキョー漂流記 ― 2011/04/24
異国トーキョー漂流記 (集英社文庫) 高野 秀行 集英社 2005-02-18 売り上げランキング : 13622 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
というのもワタシも以前、エスニック・メディアの取材を続けていた時期があるものの、言葉の壁だけでなく、外国人の彼(彼女)らかの懐に入っていく難しさを実感していたからだ。
その壁を持ち前(?)のしなやか(いい加減?)さで、スルりと乗り越え、堂々と外国人と一緒になってその発行に汗する姿が、なんとも清々しかった。
その著者による、同じく日本を舞台とした“辺境”ものである。
といってもここでいう“辺境”とは、自然や土地ではなく、人である。
在日外国人という“辺境”だ。
解説の蔵前仁一氏も引いているように、本書での高野氏の視座は明確だ。
--そのアメリカ娘と一緒にいると、見慣れた東京の街が外国のように見えるのだ。漢字と仮名とアルファベットがごっちゃになった猥雑な看板群。くものように空を覆う電線。機械のような正確さと素早さで切符を切る改札の駅員…。
--これまで毎日のように目にしていたもの、だけど何とも思わなかったものが、ことごとく違和感と新鮮味を伴って、強烈に迫ってくるのだ。
--そのとき、私の目に映ったのは東京ではなく異国の「トーキョー」だった。
まさしく、高野氏の眼前に『ブレードランナー』に写し出されたトーキョー、『ブラック・レイン』でのオーサカの風景が拡がったのであろう。
先にも触れた辺境体験を活かして(?)、次々と出会うトーキョー外国人たちを観察し、探究し、そして自身と照らし合わせながらユーモア漂うルポとして描いていく。
“自分探し”をするフランス人とともに暗黒舞踏を体験し、故国を逃れてきたイラク人に日本でのアルバイトを世話し、盲目のスーダン人と野球観戦に行く。その“感性”は前掲書のままに、見事に輝いている。
なかでもコンゴ人の“友人”のために行った披露宴のスピーチは、当事者たちの歓喜ぶりが伝わってくる感動モノだ。
しかし、エンタメ・ノンフィクションを標榜する高野氏であっても、外国人となればそこに「政治」は避けて通れない。
フランス語からリンガラ語になったとたん「フランス人が来て、みーんな(コンゴを)壊した」と怒りを露にするコンゴ人、日本でのアルバイトを断られ続けるイラク人の姿をそのまま記すことで、その姿勢を明らかにする…。
そうした意味でも、本書(2005年刊)はその続編ともいえる『アジア新聞~』(2006年刊)と併せて読まれるべき書であろう。もしかすると今、「在日外国人」を書かせて最も優れた書き手となるのは、この高野氏ではないかと思う。
◆『異国トーキョー漂流記』の参考レビュー一覧(*タイトル文責は森口)
「自分自身を見つめるように冒険を書く」--メディア日記<龍の尾亭>
「出色の出来。最終章はすべての野球ファンが楽しめる」--カープときどきダイビング
「下手なマンガよりずっと面白いチャーミングな小品」--マンガソムリエ煉獄編
「在りのままの人間模様が滋味深くて切なくて、たまらなく愛おしい」--Favorite Books
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