【LIVE】FUJI ROCK FESTIVAL '112011/08/02

FUJI ROCK FESTIVAL '11
6年ぶりに「FUJI ROCK FESTIVAL」に参戦(7月29日~7月31日・新潟県・苗場スキー場)。といっても今回は、NGOビレッジでのボランティア参加なのでライブ参戦(チラ観も含めて)は少なかったが、以下簡単にレボート。

【7月29日】
毛皮のマリーズ
雨のフジロック '11の幕開けは、毛皮のマリーズから。志磨遼平(ヴォーカル)が、かつてこのホワイトステージを熱狂させた故・清志郎を思わせるかのような怪演。女性ベーシスト(栗本ヒロコ)も含めたビジュアルの弾けっぷりも、この野外フェスの雰囲気にぴったり。
リー・スクラッチ・ペリー wtth マッド・プロフェサー
「レジェンド」の域を出ずに、昔の名前で出ています…今の時代、もっと重低音を効かせなきゃ。
Amadou & Mariam
ワタシもノーチェックだったマリ出身のデュオが、この日の拾い物。アフリカン・ポップとして、さほどの目新しさはないが、リズミックでいながら軽やかなライブ・パフォーマンスは十分に楽しめた。

【7月30日】
少年ナイフ
噂の生ライブに接したことのなかったが、なるほど欧米での人気の秘密はそのキュートさとケレン味か。
LITTLE CREATURES
評価の高いトリオだが、ワタシはCDを聴いてもいまひとつで、ライブでもその印象は変わらず…。
岡林信康
今の岡林氏の音楽にはほとんど興味がないワタシだが、かつての“フォークの神様”が、フジロックの若者たちにどのように受け入れられるのか、興味津々だったが…。いやいや、フジの若者はアッタカイねぇ。演やっていることは上々颱風に遅れること30年だが、和太鼓や尺八、津軽三味線、チャングまで動員してのエンヤトット・リズムに会場は大いに盛り上がる。岡林氏もきっと嬉しかったろうな…。
DATE COURSE PENTAGON ROYAL GARDEN
こちらもCDは今ひとつで、いい線までいくのに最後に弾けさせてくれないというか、カタルシス不足。残念ながらその印象はライブでも変わらず。
ASIAN DUB FOUNDATION
残念ながらラスト1曲しか聴けなかったが(笑)、さすがの貫祿、さすがのパフォーマンス。

【7月31日】
Nabowa
京都からやって来たオーガニック系ジャム・バンド。うーん、悪くはないのだが、どうしても同じオーガニック系のSpecial OthersやヴァイオリンのフュチーャーがROVOを想起させ(ワタシら世代にはI'ts A Beautiful Dayも!?)て、ちょっと損をしているというか、もうひと工夫の個性が欲しいところ。
GOMA & The Jungle Rhythm Section
じつはワタシが最も期待をしていたライブがこれ。交通事故の後遺症による記憶障害から、見事に立ち直って本人も号泣のパフォーマンス。怒濤のリズムのなか、GOMAの吹く重低音のディジュリドゥが森の中に響きわたり、会場(フィールド・オブ・ヘヴン)はナチャラル・トランスの坩堝。まさに唯一無比の存在。復活おめでとう!
TINARIWEN
サハラ砂漠の遊牧民族がそのままフジロックのステージに挙がったかのようなTINARIWEN(ティナリウェン)。その出で立ちといい、独特の「砂漠のブルース」といい、やはりフジロックにぴったり。
CORNERSHOP
UKインド人兄弟によるCORNERSHOPもそれほど新味はないが、シタールを取り入れた「ノルウェーの森」や、ヒット曲「BRIMFUL OF ASHA」を持つ強みもあって、やはり会場をその名の通りヘヴン状態に。
ALTZ
やや期待した日本のアーティストだが、クラブ・フロアでのプレイ(?)は凡庸にしか聴こえなかったのだが…。
くるり
ラストの数曲に駆け込んだが、すごい人気ぶり。でも、ワタシには中越地震チャリティ(2004年・横浜)での火の出るようなライブの印象が強すぎて、最近のくるりはなんだか青春フォーク・バンドのようで…。
TOWA TEI
もしかしてバンドセットで演るのでは? と覗いてみたらDJプレイ。さすがにノセ方は巧いが、残念ながらワタシは途中リタイヤ。

以上が、FUJI ROCK FESTIVAL '11のワタシの簡単な観戦記。
なにしろ3日間、雨が降り続いたというはFUJI ROCK史上初とかで、過酷な状況のなかで、じっと(いや、歓喜のまま)耳や身体を傾ける参加者たちのFUJI ROCK魂に改めて、感服。
観客減が懸念される中で、今年も11万人以上を集め、大きな事故やトラブルもなかった。いろいろな意味で新たなFUJI ROCK伝説をつくった FESTIVAL '11ではなかったと思う。

【本】中国朝鮮族を生きる―旧満洲の記憶2011/08/07

中国朝鮮族を生きる――旧満洲の記憶中国朝鮮族を生きる――旧満洲の記憶
戸田 郁子

岩波書店 2011-06-25
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韓国や中国の地から、時折含蓄に富んだレポートを届けてくれる戸田郁子さんの最新刊。

冒頭の、旅と出会いを記した章が感動的だ。
中国黒龍江省ハルビンに語学留学した著者が、歴史に翻弄されてきた中国の朝鮮族である李先生と出会い、温かな交流をつむぐ。その出会いをきっかけとして、この希有なる著者の、中国東北地方の朝鮮族の移住と定着の歴史の探究する深遠なる旅が始まるのだ。

そこから満州国を舞台とした、日・朝・中(否、中・朝・日か)の雄大かつ壮絶な歴史人間ドラマが、本書では展開される。
黒龍江省中国共産党委員会副首席を務めた李敏(リミン)女史をはじめ、間島(カンド)出身の詩人・尹東柱(ユンドンジュ)、英雄・安重根(アンジュングン)のその後の家族たち、そして延吉の「新鮮族」など、この希有なる著者によって、未(無)知なる近現代史が駆け回る。

そう、ワタシたちをあたかも歴史の現場に誘うこの著者は、いかにも“希有な”存在なのだ。それはなぜか?
民主化宣言(1987年)以前の、韓流ブームなど想像もつかなかった1985年に渡韓し、高麗大学で「日帝」の歴史を学び、やがて韓国人カメラマンと結婚。さらに中国に渡り、朝鮮族の取材をすすめてきた著者には、日本と朝鮮と中国という三つの民族の“魂”が内在しているように、ワタシには思える。

単なる知識ではなく、その地に生き、暮らしてきた人々の歴史や生活の息吹までもを心身にとり込み、“魂”として宿してしまった。戸田氏はそういう書き手だからだ。
だからこそ、この日・朝・中に「つながった」物語が書き記せるのだ。

惜しむらくは、途中のコラム的な記述が、ノンフィクション書として一貫性を欠いたきらいがあり、これが整理されていれば、本書は大宅賞もしくは講談社ノンフィクション賞級の収穫になったであろうに。
しかし、戸田氏が心砕いてきた日・朝・中をつなぐ旅は、ワタシにはまだそのとば口に立っているようにしか見えない。そう、氏の中にある“魂”たちが黙っているはずがない。本書が、氏の新たな旅の序章になることを願ってやまない。

『中国朝鮮族を生きる』の参考レビュー(*タイトル文責は森口)
「中国に移民し、忘れられた朝鮮人たちの歴史」--愚銀のブログ
「氏のライフワークの集大成とも言える一冊」--統一日報

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【本】ニッポンの書評2011/08/11

ニッポンの書評 (光文社新書)ニッポンの書評 (光文社新書)
豊崎 由美

光文社 2011-04-15
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本ブログも含めて、有象無象の“書評”が連日、連夜ネット上にUPされ、増殖を続けている昨今、こうした書評本が刊行されるのも至極当然のことと思われる。

書評家・豊崎由美氏が、そうした現在の百花繚乱というか玉石混交、混沌(カオス)な書評状況を、氏なりに俯瞰・分析した書評評論である。
本書を読み始めてまずもって目を引いたのが、氏が主宰する書評講座の件だ。

課題本もしくは課題テーマにそった本の書評を八○○字~一六○○字で書いて提出し、誰がどの書評を書いたのかわからない状態で採点。当日はその採点をもとにディスカッションし、書評王を決定するというシステムを採っているのですが、なんと講師たるわたしく、七十数回中一五回くらいしか書評王になったことがありません。

なんとも、プロの書評家であり講師でもある氏から語られた衝撃の告白!?
さらに、氏は「プロとしてのアイデンティティ崩壊一歩手間、そんな感じです」とまで、正直(?)に記している。

このことが何を示しているかといえば、それだけ本に対する価値や視点は多種多様であり、「書評」という表現が自由であり、その評価もまたさまざまであるということであろう。

まさにプロもアマもない、同じ地平で語られる、広大な世界がそこにある。
その書評宇宙にあって、なぜ素人に混じっての“書評王”すらおぼつかない豊崎氏がプロの書評家として、食べ続けられているのか?
その謎こそが、本書にあると思う。
氏は断言する。「面白い書評はあっても、正しい書評なんてない」。
そうした自分なりの書評観を持ち、その変遷まで含めて、このような書評評論という新たなジャンルまで開拓できる剛力こそが、彼女の持ち味なのだ。

「(作品を)押すことが書評家の役割」、「粗筋紹介も立派な書評」といったベーシックな書評論に始まり、「プロの書評と感想文の違い」「トヨザキ流書評の書き方」などの書評指南、さらに「書評の読み比べ」「新聞書評を採点してみる」といったサービス精神溢れる(?)読み物も用意され、お約束(?)の他の書評子を論(あげつら)った酷評もある。

執拗に「ネタばらし」問題について言及し、Amazonのカスタマーレビューを「営業妨害」を断じるあたりはプロとしての矜持だろうか。が、「書評」そのものが好きなワタシとしては「ネタばらし」もありだと思うし、舌を巻くような多くの“素人”ネット・レビュワーや、なにより個人技ではない「集合知」としてネット・レビューの可能性にも惹かれる。

いやだからこそ、本書を契機して今後はさまざまな形での書評家による書評論を読んでみたくなる。巻末の大澤聡氏とのような対談・鼎談を書評家たちによって企画すれば、論壇風発の新たな書評論が飛び出すのではないだろうか?
それは、これからの出版文化や表現・メディア・ジャーナリズムを考える上でも貴重な議論になると思う。

『ニッポンの書評』の参考レビュー一覧(*タイトル文責は森口)
「「面白い書評」の姿を浮かび上がらせる試み」--本読みな暮らし
「書評もまた文芸作品のひとつ」--tsunokenのブログ
「あえて言うなら各論賛成、総論反対。」--bookmarks=本の栞
「ユニークな意見は面白いが疑問も」--本の宇宙(そら) [風と雲の郷 貴賓館]
「真面目で情熱的で、ちょっと辛口な書評論」
--BOOK asahi.com(田中貴子氏)
「書評に冷たい日本の活字文化や保守的な批評状況を乱れ斬り」--47NEWS片岡義博氏)
「「本に対する愛の深さ」が浮かびあがる」--エキレビ(米光一成氏)
「すべての書評家・ブックレビュアーの「必読」の一冊」--蔵前トラックⅡ

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【アート】ヨコハマトリエンナーレ2011(その1)2011/08/14

ヨコハマトリエンナーレ2011
8月6日から開催されている「ヨコハマトリエンナーレ2011」に足を運ぶ(8月13日)。といっても、今回は主に三つある会場のうち横浜美術館での展示を眺めただけなので、まずは(その1)といったところ。

人波でゴッタ返す「みなとみらい駅」からほどなく歩いて会場に着くと、そこもまた奇妙な高揚感に包まれていた。その高揚感の原因は、若いカップルや子ども連れなど、おおよそ現代アート展ではあまりお目にかかれない入場者たちによるものであることに気づく。

まずそれをもって、会場入り口に掲げられた主催者・キューレーターらの「意図」を見事に満たしている。「みる、そだてる、つなげる」の三つのテーマを掲げ、「子どもや家族連れまで楽しめるアート展」というのが、本展のコンセプトなのだ。

さて、会場に入るとまず目に飛び込んでくるのが、衣服からほどいた糸をフィルム状に巻いて、それらをとぐろ状に並べた尹秀珍(イン・シウジェン)の「ワンセンテンス」。その回路をたどりながら間近に見ているだけではそれほど面白みのある作品には思えなかったのだが、その後改めて二階から見下してみると、その表情を一気に変えてきた。
これが現代アートの面白さであり、大型展示・作品の面目躍如たるところ。

透明なアクリル板による迷路の終点に電話が置かれ、そこにときたま作者本人から電話がかかってくるという趣向は、ジョン・レノンを一気に惹きつけたかつての「YES」を彷彿させて、いかにもオノ・ヨーコ氏らしいコミュニュケーション・アート。

そんなふうに、一つひとつの作品に言及している余裕も技量もないワタシだが、「天転劇場」を思わせる静寂のパフォーマンス作品「五つの点が人を殺す」(ジェイムス・リー・バイヤース)、色とりどりの幻想的なミニチュア都市「シティ」(マイク・ケリー)、工事現場のような巨大な足場の下で音が鳴り響く「オルガン」(マッシモ・バルトリーニ)といった海外アーティストの作品よりも、どうしても日本の若い作家たちの作品群に惹かれたてしまう。

早世した石田徹也の孤独を抱きしめたような作品には胸が締めつけられるような思いにかられるし、今回は多数の動植物のスケッチ(デッサン?)を出展してきた池田学氏の筆致には改めて舌をまくし、『ナウシカ』(原作本)に登場する一つ目の「神聖皇帝」を模したかのようなメタルチックな陶芸(!)作品を創出した金理有氏も注目の作家だ。

佐藤允氏のリアリズム画も池田氏とはまた違った迫真があり、立石大河亜氏のレトロフューチャーな木馬ロボ世界にもまた惹かれる。

そして、「湯本憲一コレクション」で展示された名もなき作家による妖怪映画ポスターと並んだパチンコ台のなんたるキュートでエレガントなデザイン!

新旧の商品看板やいん石まで展示し、「すべてマルセル・デュシャンへのオマージュ」とした杉本博司作品も含めて、“なんでもあり”の現代アートを堪能できるまさに「マジック・アワー」を満喫。

「ヨコハマトリエンナーレ2011」の参考レビュー一覧(*タイトル文責は森口)
「様々なアプローチで横浜を舞台に繰り広げられるアートの祭典」--弐代目・青い日記帳
「真の強さにつながる複眼的な発想」--朝日新聞(大西若人氏)
「バラエティに富んだ作品群」--日毎に敵と懶惰に戦う

【芸能・落語】浪花ぶし 澤孝子の世界2011/08/24

浪花ぶし 澤孝子の世界
これはいい企画だ。
当代きっての人気落語家・柳家喬太郎師匠がナビゲーターとなって、浪花節の世界を案内するという「浪花ぶし 澤孝子の世界」(8月23日・博品館劇場)を堪能した。

おそらくメイン・ターゲットは落語ファンなのだろう。ふだんは木馬亭でしか聴けない浪花節をおしゃれな(?)銀座にもってきての公演。これは「澤孝子氏の芸に圧倒された」という喬太郎師匠の計らいか?
というもの、落語好きならば講談を聞く機会はあっても、じつは近しい芸であるはずの浪花節をナマで聞いたことのある人は意外と少ないのではないだろうか。かくいうワタシもつい最近になって、浪花節に開眼したばかり…。

そういう意味でも鈴々舎風車による浪花節解説を冒頭にもってきたのもよかったし、ふだんは声を聞くこともない曲師(佐藤貴美江氏)にマイクに向けて、伴奏者から観た浪花節の魅力を伝えたのもよかった。

孝子×喬太郎対談も、両者さすがに堂にいったもので、二人の語りだけで「芸」になっていて、たっぷりと会場を沸かせる。

で、孝子氏の弟子である澤雪絵が露払いを務め、まずは語り始めたが、この人は高音に魅力がある。語りも低音部の唸りもまだまだだが、今後ののびしろが感じられる舞台。

もはやいつどこに出ても、何にも怖くない喬太郎師匠は、季節ネタをもってきた。四谷怪談をモチーフにしつつつもブラックジョークの効いた「お菊の皿」。かつてのこのネタを春風亭昇太師匠で聞いて、現代落語の魅力に憑りつかれワタシだが、さすがは喬太郎師匠。それをはるかに上回る面白さ、凄まじさ。今ドキ風若者からお菊の豹変する形態まで、ハチャメチャに演じわけ、観客の気持ちをガッチリ掴む。

立川志らく師匠は近著『落語進化論』 (新潮社)で、喬太郎師匠にも触れて「名人の基準は『江戸の風を吹かせられるか』にある」としているが、ワタシは「江戸の風」なんぞより、そよ風から台風まで変幻自在に吹かせまくる喬太郎師匠のふれ幅の大きな“喬風”が好きだ。

さて、澤孝子氏については事前にYou Tubeなどのチェックできず、まったく予備知識のないままその芸に接することに。が、一聴してその声に驚く。咽から絞り出すその強烈なコブシは、モンゴルのホーミーの如く倍音に響く。
そしてこの日の客層にあわせてか、落語でもお馴染みの「徂来豆腐」を可笑しく、情味たっぷりに演じ、語り、歌い、貫祿の舞台。その芸の確かさに舌を巻く。

先日も関西で活躍する三原佐知子師匠の“語り”に圧倒されたが、浪花節界は東西とも、女流がリードしているのだろうか? 寡聞にして浪花節界の現況については見当がつかないが、これだけ魅力ある芸(人)が確たる世界ならば、落語のように“再生”もあるやもしない。

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【アート】ヨコハマトリエンナーレ2011(その2)2011/08/25

ヨコハマトリエンナーレ2011
横浜美術館での展示を眺めた(その1)に続いて、「ヨコハマトリエンナーレ2011」のヨコハマ創造都市センターと日本郵船海岸倉庫会場での展示を観賞(8月20日)。

このほかにも展示会場があるらしいが、この点在する会場を廻ることで、明治期の建築物を数多く残す横浜の町並みそのものが、本展のもう一つの会場であったことに改めて気づかされる。

創造都市センターもまたそうした風格と荘厳さを備えた建物で、楽器(音楽)と植物によるコラボ・インスタレーション「グリーン・ハウス」(ピーター・コフィン)を観た後に、こちらも古色蒼然たる日本郵船ビルに隣接する倉庫会場へと進む。

じつはヨコハマトリエンナーレは初参戦なので、これまでとの比較できないのだが、どこの会場も祝祭感に溢れ、観賞者たちもまた高揚感に包まれていたのが実に印象的。別な言い方をすれば、ライブ感溢れるアート展というべきか。

横浜美術館では日本人作家による作品に目を奪われることが多かったが、この巨大な港湾倉庫を利用した会場では、その場のダイナミズムに同期したかのような、まさにモダンでなトリッキーな作品が並んだ。

エントランスで出迎えるのは、どこかユーモラスな巨大な粘土のカバ(イェッペ・ハイン=上・画像)。2F展示で一際目を引くインド人作家リナ・バネルジーによるインスタレーション「お前を捕まえてやるよ、おじょうちゃん!」は、ファンタジックな世界にもどこか東洋・仏教的な極楽浄土感が漂うのはその出自ゆえか。

しかし、ワタシが大いに注目したのはヘンリック・ホンカーソンによる植物インスタレーションだ。2Fの「根のついた木」では、フロアから生える数本の木が置かれているだけで、これはデュシャンの「泉」の植物版パロディかと思いきや…それが3Fではその木の上部が床を突き破り、さらにその横では巨大なプランター群が水平に置かれた作品「倒れた森」が多を圧倒する…。
環境破壊/自然保護という強烈なメッセージ(?)を含んだアイロニカルでトリッキーな、いかにも現代アートを象徴するかのような作品。

デュシャンといえば、人気ゲームソフト『ぼくの夏休み』に出てくるようなやや懐かしい日常品を並べた泉太郎の作品には、そこからそれらの品々を使い、生活していた人の気配が立ち上がってくるような面白さがあった。

ほかにもこの会場では映像作品に目を惹かれるものが多く、死海に浮かぶスイカに囲まれた作家自身の裸身が美しくも、幻想的に流れていく様を写しとった「死視」(シガリット・ランダウ)。そして『スター・ウォーズ』よろしく宇宙の果てから、スケルトン状の果物が次々と浮遊してくるピーター・コフィンの作品(無題)は、3Dで観たくなるような不思議な映像だ。

観賞を終え、1Fのカフェ奥のドアから外で出てみれば、そこには横浜の波止場が…。なんとも贅沢な借景であり、この心憎い演出がまた、冒頭で記した祝祭感と高揚感につながっているかもしれないと感じた今回のトリエンナーレ体験だった。

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【映画】ナッシュビル2011/08/27

ナッシュビル
『ナッシュビル』(1975年・監督:ロバート・アルトマン)

ご存じロバート・アルトマン監督の代表作にしてカルトな一作。TV放送もされず、DVD化もされず、ワタシにとっては幻の逸品の一つだったが、ようやく新宿武蔵野館にて観賞(9月2日まで上映中)。

内容については今さら記すまでもないと思うが、カントリー・ミュージックのメッカであるテネシー州ナッシュビルを舞台に、大統領選を絡めながらそこに集った24人の5日間が描かれるというアルトマンお特異の大群像劇。

その特異な手法は、次々に登場するそれら人物たちの行動が観る側の生理を無視するかのように、ブツブツと切り刻んでいくことに象徴される。カットごとの繋ぎ(意味)など無視したかのように、次々と場面が変わり、またその場面も冗長に感じられるかと思えば唐突に終わったりする。…ので、その意図があるのかないのか(当初、ワタシには)まるでわからない。

しかしその映像のカオス(混沌)に身を委ねていると、やがてそのカオスこそアルトマン監督が描きたかった世界であることが見えてくる。1970年代のアメリカ。ベトナム戦争の傷も癒えず、保守と革新の対立、人種差別、暴力も渦巻く混沌たるアメリカ社会を、一個人の生活や行動を紡ぎ合せることで、フォーカスしていくのだ。

まるでアメリカの地方都市で暮らす人々のドキュメンタリーを観せられるているかのような映像断片が、やがて巨大な像を成して、アメリカ社会を映し出していく。
そしてそのカオスは、70年代アメリカを象徴するかのような衝撃のラストによって、見事に収斂されるのだ…。

『ザ・プレーヤー』がアルトマン群像劇の表・エンターテイメント版であるとすれば、本作は裏・ドキュメンタリー版のような趣。公開から年月も経ち、“傑作”とまではいわく言い難いが、まさにカルトな一作として後世に伝えられるべき作品。

『ナッシュビル』の参考レビュー(*タイトル文責は森口)
「アルトマン的な批判精神とシニシズム」--粉川哲夫の「シネマノート」
「アメリカのカオスをみせる群像劇。」--映画ジャッジ(中野豊氏)

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【本】プロテスト・ソング・クロニクル 反原発から反差別まで2011/08/28

プロテスト・ソング・クロニクル~反原発から反差別までプロテスト・ソング・クロニクル~反原発から反差別まで
鈴木孝弥

ミュージックマガジン 2011-07-19
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藤田正氏による類書 はあったものの、そのヴォリュームやジャンル、さらに福島原発事故以降の「反原発ソング」の急増も踏まえた、待望の一冊。副題に「反原発から反差別まで」とあるように、世界中のプロテスト・ソングを集めた貴重なカタログだ。

ほかに反戦ソング、覇権・圧政に抗する歌、性差別、自然破壊を糾弾するものまで、7つのジャンル分けで紹介されるプロテスト・ソングの数々は多岐にわたる。一読にして印象に残るのは、それらの歌の数々が欧米のポピュラー・ソングに限らず、広く世界中のプロテスト・ソングを紹介している点。
さすがにワールド・ミュージックに強い「ミュージック・マガジン」詩の面目躍如といったところか。

原爆を投下したエノラ・ゲイ号を歌ったオーケストラル・マヌヴァーズ・イン・ザ・ダーク(OMD)「エノラ・ゲイの悲劇」や、あの山下達郎氏が反戦を掲げて歌いあげた「THE WAR SONG」がなぜ取り上げられないだの、喜納昌吉&チャンプルーズは「東崎」よりもやっばり「島小ソング」だろうとか、瑣末な揚げ足とりはやめておこう。

ここは本書を片手に豊穣なるプロテスト・ソングの世界を堪能すべし。しかしながらいつに増して思うのは、こうしたガイドブックこそ電子化されて即座にネットからその曲を聴くことができるという仕様がとれないものか。読んでいて曲が聴けないもどかしさを感じるのは、ワタシだけではないだろう…。

というけわで、とりあえず第一章の「原発、核兵器の根絶を訴える歌」を以下にリンクしてみた。

ゴールデン・ゲイト・カルテット/アトム・アンド・イーヴル
小室等と六文銭/ゲンシバクダンノウタ

クラフトワーク/放射能
ギル・スコット・ヘロン/ウィ・オールモスト・ロスト・デトロイト
加藤登紀子/原発ジプシー
ウィリー・コロン/ラ・エラ・ヌークレアル
デヴィッド・ボウイ/風が吹くとき
ミュート・ビート/キエフの空
RCサクセション/サマータイム・ブルース
ザ・ブルーハーツ/チェルノブイリ
佐野元春/警告どおり 計画どおり


ランキン&ダブアイヌバンド-誰にも見えない、匂いもない

ECD/Recording Report 反原発REMIX
RUMI/邪悪な×××(高円寺原発いらいなデモ)
斉藤和義/ずっとウソだった
制服向上委員会/ダッ!ダッ!脱・原発の歌


本来ならこの1章だけで1冊つくれるほど、世界にはプロテスト・ソングが溢れている。それだけ世界は多くの問題を抱えているということだ。続編に期待したい。

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【TV】ETV特集「ネットワークでつくる放射能汚染地図 3~子どもたちを被ばくから守るために~」2011/08/29

ETV特集「ネットワークでつくる放射能汚染地図 3~子どもたちを被ばくから守るために~」
ETV特集「ネットワークでつくる放射能汚染地図」シリーズの第3弾(8月28日NHK教育)。さすがに3作目ともなれば、新味もなくなり…と思いきや、これまた驚愕の展開に加え、ヒューマン・ドラマとしての妙味も加わり、極上のドキュメンタリーとなった。
これは、本年度ギャラクシー賞(報道部門)の有力候補作だろう。

まずは、福島第一事故直後から放射能汚染マップ作りに取り組む木村真三氏(獨協医科大学准教授)と岡野眞治氏(元理化学研究所)が、今もって汚染マップ作りに専心し、さらに詳細な避難区域に指定されていない地域での調査を続けていることが伝えられる。

なにしろ国や自治体が手をつけていない「汚染マップ」を、“在野”の立場からいまだにコツコツと作り続けていることにまずは驚かされるし、行政や政治家、そして東電の怠慢に改めて怒りが込み上げてくる。

さらに驚かされるのは、“ホットスポット”が点在する二本松市の中でも、最も高い線量を記録した家の家族にまでに調査のメスを入れる。おばあさんから、赤ちゃんを産んだばかりの若い母親まで、家族全員に計測機を付けてもらい、さらに家の周囲や部屋ごとの線量まで詳細に調査。

それによって、家族の生活スタイルや行動、部屋ごとも置かれた環境によって被ばく量が異なることが明らかにされる。このあたりは、ミステリータッチの科学ドキュメンタリーを観るようで、引き込まれる。

それからが凄い。この家族の被ばく線量を抑えるために、木村氏自らが作業着をまとい家の「除染」にあたるのだ。

その結果は…なんと部屋内の線量が1/2に現象したのだ。明らかに家の「除染」が効果があったことが、この「実験」は示していた。

安心した家族の顔。幼子を抱いた母親のホッとした表情が印象的な場面だが、この「実験」はまた大きな問題も提示した。なにしろがその作業量たるやハンバではない。庭の除染(表土のはぎ取り)は市職員9名が5時間がかりで行ない、屋根(瓦・雨どい等)の除染は木村氏ら2名が8時間かけて行った。そして、運び出された土は土のう400袋、4トンにも及んだ。

とても、個人(各家庭)の力ではできるものではないし、行政としてもとてもおいそれと手を出されるようなシロモノではない。なにしろ一軒一軒の被ばくの状況を調査したうえで、その除染法を考え、それを実行に移さなければならないのだ。とほうもない作業量が待っている…。

それに対して、木村氏は単純な被ばく線量ではなく、乳幼児がいる家庭を優先するなど、各家庭の事情に応じた対応が必要だと訴える。
木村・岡村両氏は健康被害を抑えるために、内部被ばくも含めた、さらに詳細な調査が必要だとして、今後も続けていくという。

被ばくの不安に揺れる住人たちの表情だけでなく、「職がないときに塗装の仕事をしてましたから」と笑いながら屋根上で作業するその板についた職人ぶりや、住人やご家族に対する丁寧な説明や対応から、木村氏の人柄と強固な意志が伝わってくる。間違いなくそれが、本作を一級のヒューマン・ドキュメンタリーに押し上げた。

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【映画】世界大戦争2011/08/31

『世界大戦争』
『世界大戦争』(1961年・監督:松林宗恵)

これまたカルトな逸品。キネ旬の『オールタイムベスト 映画遺産200 日本映画篇』で推されていたので、一体どんなものかと怖いもの(?)観たさでDVDでレンタル観賞してみたが、これがじつにエグい作品に仕上がっている。

米ソによる東西対立を模した同盟国側と連邦国の緊張が高まり、世界は核戦争一歩手前の一触即発の状態を迎えていた。その迫りくる地球の危機を地球規模でダイナミックに描く一方で、日本に暮らすごく平凡なタクシー運転手の家族の視点をも重ね併せたSF特撮ドラマ。

なんといっても円谷英二による特撮がエグい。ミニチュアを駆使し、北極から朝鮮半島、洋上の船、ロケットまで精巧に描き、さらには東京、ニューヨーク、ロンドン、パリ、モスクワの町並みが核ミサイルによって破壊される様をリアルに映像化した。
この作品が今から50年も前につくられたというまずその事実に驚き、その執念にも似た“匠の技”に敬意を抱かざるをえない…。

もちろんミニュチュア特撮は、どんなにリアルにそれを描いても結局はミニチュアにしか見えないだろう。しかし今や、映画表現に溢れかえるアニメ、CG、3Dを、「本物」と思って観る観客はいない。すべて“まがいもの”として、それをわかったうえで楽しんでいる。

そうした“まがいもの”を“まがいもの”として楽しめるようになった今だからこそ、その終末的なモチーフとともに再評価されるべき作品だと思う。

出演者も、主人公のタクシー運転手・フランキー堺をはじめ、宝田明、乙羽信子、星由里子、笠智衆、白川由美、東野英治郎、山村聡、上原謙、中村伸郎というオールスターキャストともに、芸術祭参加作品というのにも驚かされる。

目を奪われるのは特撮だけでなく、セリフの中にも「平和を粗末にしちゃいけねえ」「わずか4個の水爆で日本はなくなる」「この平和を守るためにどこまでも努力すべきだ」など時折光るものがあり、人間ドラマとしても手抜き感はない。それだけ時代の空気というか危機感からか、映画会社もスタッフ・出演者も、この作品に賭けるものがあったに違いない…。

海外でも公開され英語版のTrailerも作られている!↓


◆『世界大戦争』の参考レビュー(*タイトル文責は森口)
「もし核戦争が…を描いた入魂の作品」--かたすみの映画小屋
「スペクタクル特撮映像も見事なリアリティある悲劇」--Godzilla and Other Assorted Fantastic Monsters

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