【映画】親切なクムジャさん2011/10/02

親切なクムジャさん
『親切なクムジャさん』(2005年・監督:パク・チャヌク)

『オールド・ボーイ』(2003年)で驚愕の心理サスペンス&復讐劇を描いて魅せたパク・チャヌク(朴贊郁)監督の復讐三部作にして最終作ということだが、残念ながら一作目の『復讐者に憐れみを』(2002年)は未見。

本作で「復讐者」となるのは、『チャングムの誓い』で静謐な佇まいながら秘めたる強靱な意志を感じさせて印象的だったイ・ヨンエ。その印象をさらに強くしたような、クールで孤独な復讐者を演じる。

幼児誘拐・殺人の罪で13年間服役していた主人公クムジャは、刑務所内で「親切なクムジャさん」と呼ばれ、多くの服役者を助け、力となっていたが、それには理由があった…。

というわけで、クムジャの頼みを断れない元服役者たちの力を借りて、濡れ衣を着せた真犯人を追いつめていく…というストーリーなのだが、そこは一筋縄ではいかないチャヌク監督で、その復讐劇がクムジャ一人のものではなくなっていく点に本作のキモがある。

詳しく記すとネタバレになるが、さしずめ『オリエント急行殺人事件』の様相を帯び(十分にネタばれか( ^ ^ ; )、それは復讐を巡って罪とは何か? 罰とは何か? への問いかけとなって事態は急転していく。

もっともそれが本作のテーマとして深遠なる問いかけに至るまで深められてはおらず、エンターテイメントの意匠を飾る程度にしか感じられないのは、チャヌク監督自身がそこに関心がないのか、単なる資質の問題か…。復讐を経ても救済されえないという暴力連鎖の虚しさが、その心象が、十分に描かれていないのだ

復讐というワンテーマをエンターテイメント作品として昇華させてきた手腕は買うが、観客を驚かせることばかりに執心すると、M・ナイト・シャマランのような失速劇を演じまいかと余計な心配をしてしまう。

それにしても、シャーリーズ・セロンによるハリウッド・リメイクの企画はどうなったのだろうか?

『親切なクムジャさん』の参考レビュー一覧(*タイトル文責は森口)
「この物語のテーマは「復讐」ではなく「贖罪」」--虎猫の気まぐれシネマ日記
「説得力に欠ける脚本が難点」--超映画批評(前田有一氏)
「脚本を映像化する際のあふれるアイデアに感嘆」--映画.com(滝本誠氏)

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【映画】ロンゲスト・ヤード2011/09/18

ロンゲスト・ヤード
『ロンゲスト・ヤード』(1974年・監督:ロバート・アルドリッチ)

なぜか縁なく見過ごしていた37年前の作品だが、「スポーツ映画の名作」と謳われるに恥じない爽快な一作だ。

刑務所送りになったフットボールの元名プレーヤー(バート・レイノルズ)が、受刑者チームをつくり、仇ともいえる看守チームと相対するという、言ってみればたわいないストーリーだが、随所に名匠アルドリッチ監督の薬味が効いて厭きさせない。

冒頭で主人公ポールの自堕落な生活ぶりを簡潔に写し出し、続く逮捕に至るまではカーチェイスで楽しませ、刑務所内ではその微妙な人間関係をジョークやウィットで一気に見せてしまう。

一癖も二癖もある受刑者の中から、チームメンバーを選んでいく様は野武士集団を形成していく『七人の侍』からの影響も感じられ、後の『少林サッカー』にも連なる集団形成ドラマの妙がそこにある。

もちろんクライマックスは受刑者対看守の試合シーンで、ブライアン・デ・パルマばりのマルチ画面やサム・ペキンパーばりのスローモーションを駆使して、臨場感あふれる名場面をつくりあげている。

それにしても男臭い映画だ。単に女性キャストが少ないというだけなく刑務所長のエディ・アルバートや看守長のエド・ローターをはじめ、まるで西部劇か犯罪ドラマの如き布陣。

ボールをあれだけ虐待し続けた看守長が、試合後に刑務所長の行為に抗してみせた“スポーツマンシップ”なる振る舞いも、本作観賞後の清々しさに見事に貢献している。

そうした細部に怠りのないアルドリッチ監督の手腕は、後に“女性”を主人公に描いスポーツ映画『カリフォルニア・ドールズ』(1981年)でも十分に生かされている。

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【映画】ビリー・ザ・キッド 21才の生涯2011/09/12

ビリー・ザ・キッド 21才の生涯
『ビリー・ザ・キッド 21才の生涯』(1973年・監督:サム・ペキンパー)

サム・ペキンパーといえば、暴力描写を得意とするアクション映画の名匠として『ワイルド・バンチ』(1969)、『わらの犬』(1971)、『ゲッタ・ウェイ』(1972)といった諸作が思い浮かぶが、一方で移りゆく時代への郷愁を込めた『砂漠の流れ者』(1970)のような印象深い作品も撮っている。

本作もそうした後者の系譜に入るものと思われるが、考えてみれば代表作である『ワイルド・バンチ』にしても、『ガルシアの首』(1974)にしても、どこか哀愁を漂わせた“滅びの美学”を謳っているわけで、この人のこうした持ち味が激しい暴力シーンとコントラストとなって、その作品に深い陰影を与えているのかもしれない。

本作にしても、若きビリー・ザ・キッドをハイエナのように追い詰める保安官パット・ギャレット(ジェームズ・コバーン)との銃撃戦や、お得意のスローモーションでそのペキンパー節を隠そうとしないが、重点はむしろ“郷愁”と“滅びの美学”に置いている。

そのうえで、『砂漠の~』との差異をあげれば、キッドがかつて兄のように慕っていたギャレットとの世代間闘争を持ち込み、時代(70年代)とよりリンクさせたことだろう。

ここでのキッドは、早世したロック・スターたちの姿に重ね合せることができる。
ジミ・ヘンドリックス、ジム・モリソン、ジャニス・ジョプリン…あの頃は、多くのミュージシャンたちが次々と死んでいった時代だった。権威や体制に背を向け、Don't Trust Over Thirtyを地で行くように生き急いでいったミュージシャンたち。
みなキッドと同様に、20代の若者だった。

ペキンパー監督は、キッドに彼ら彼女らの姿に重ね合わせたのではないか。
なにしろキッドに、後に『スター誕生』で見事なやさぐれ元ロック・スターを演じた文字クリス・クリストファーソンを配し、キッドを慕う若者(!)にボブ・ディランあのを抜擢しているのだ。

これは西部劇の名を借りたロック・ムービーと言ってもいい。
音楽を担当したディランのうた詩歌も、あくまでも映画音楽としてストーリーと場面により沿い、この“音楽映画”を盛り立てる。
名曲『天国の扉』も、なるほどこのシーンがあってからこそ生れた名曲なのだと納得するマッチング。

そうした意味でも、時代(時間)を貫通するフェイク・ドキュメンタリーであり、カルトな音楽ムービーであるといっていい。

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【映画】アウトレイジ2011/09/03

『アウトレイジ』
『アウトレイジ』(2010年・監督:北野武)

「全員悪人」をキャッチフレーズに、ヤクザの抗争劇を描いてカンヌ映画祭りで話題を呼んだ北野武監督作。…なのだが、この作品で北野監督はいったい何を描きたかったのだろうか? まずそんな疑念が沸いてしまった。

というのもヤクザの抗争劇などは、それこそ今まで数多(あまた)描かれてきたわけだし、血も涙もなく合従連衡を繰り返す策略・謀略劇にしても、『棒の哀しみ』などのヤクザ映画のみならず、『華麗なる一族』などの企業買収や『武士道残酷物語』などの時代劇でも散々語られてきたことだ。だから、本作における抗争劇最期の勝者にも意外感はない。

ではこれらの諸作と本作のどこが違うかといえば、北野監督が得意(こだわる?)とするスタイリッシュな暴力描写かと思うのだが、本作ではそれが全開しつつも北野監督がもう一つの「顔」ともいえる「静」がここにはない。あるいは効いていない、というべきか。

デビュー作『その男、凶暴につき』で北野氏がただただ路上を歩くシーン、そして『HANA-BI』での岸本加世子との“無言”の会話シーン。それらの「静」のシーンがあってこそ、「動」なる暴力描写が映え、水墨画のような陰影がついた。暴力のもつ「哀しみ」が伝わってきた。

本作にはどうもそれが足りない。あえて封印したのだろうか?
『ソナチネ』をして「ダーティーハリーと小津の幸せな結婚」と評された北野節は影をひそめ、ここでは結婚相手のいない殺人スプラッタームービーとなってしまった。

続編も制作されているというが、さて幸せな結婚は見られるだろうか?

『アウトレイジ』の参考レビュー一覧(*タイトル文責は森口)
「昔の自分を殺した北野武」--シンジの“ほにゃらら”賛歌
「本家帰りしたバイオレンス映画の快作」--お楽しみはココからだ~ 映画をもっと楽しむ方法
「面白い映画だが、もう少し工夫の余地も」--映画的・絵画的・音楽的
「北野監督らしいトンガリ感が感じられず」--超映画批評(前田有一氏)
「北野監督が暴力の世界をリロードして臨む、ニュー・バイオレンス映画」
--映画通信シネマッシモ(渡まち子氏)

「新たなステージに立った暴力映画」--映画.com(高崎俊夫氏)
「エンタティンメントであると同時に、北野武監督による暴力論」
--映画ジャッジ!(小梶勝男氏)


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【映画】世界大戦争2011/08/31

『世界大戦争』
『世界大戦争』(1961年・監督:松林宗恵)

これまたカルトな逸品。キネ旬の『オールタイムベスト 映画遺産200 日本映画篇』で推されていたので、一体どんなものかと怖いもの(?)観たさでDVDでレンタル観賞してみたが、これがじつにエグい作品に仕上がっている。

米ソによる東西対立を模した同盟国側と連邦国の緊張が高まり、世界は核戦争一歩手前の一触即発の状態を迎えていた。その迫りくる地球の危機を地球規模でダイナミックに描く一方で、日本に暮らすごく平凡なタクシー運転手の家族の視点をも重ね併せたSF特撮ドラマ。

なんといっても円谷英二による特撮がエグい。ミニチュアを駆使し、北極から朝鮮半島、洋上の船、ロケットまで精巧に描き、さらには東京、ニューヨーク、ロンドン、パリ、モスクワの町並みが核ミサイルによって破壊される様をリアルに映像化した。
この作品が今から50年も前につくられたというまずその事実に驚き、その執念にも似た“匠の技”に敬意を抱かざるをえない…。

もちろんミニュチュア特撮は、どんなにリアルにそれを描いても結局はミニチュアにしか見えないだろう。しかし今や、映画表現に溢れかえるアニメ、CG、3Dを、「本物」と思って観る観客はいない。すべて“まがいもの”として、それをわかったうえで楽しんでいる。

そうした“まがいもの”を“まがいもの”として楽しめるようになった今だからこそ、その終末的なモチーフとともに再評価されるべき作品だと思う。

出演者も、主人公のタクシー運転手・フランキー堺をはじめ、宝田明、乙羽信子、星由里子、笠智衆、白川由美、東野英治郎、山村聡、上原謙、中村伸郎というオールスターキャストともに、芸術祭参加作品というのにも驚かされる。

目を奪われるのは特撮だけでなく、セリフの中にも「平和を粗末にしちゃいけねえ」「わずか4個の水爆で日本はなくなる」「この平和を守るためにどこまでも努力すべきだ」など時折光るものがあり、人間ドラマとしても手抜き感はない。それだけ時代の空気というか危機感からか、映画会社もスタッフ・出演者も、この作品に賭けるものがあったに違いない…。

海外でも公開され英語版のTrailerも作られている!↓


◆『世界大戦争』の参考レビュー(*タイトル文責は森口)
「もし核戦争が…を描いた入魂の作品」--かたすみの映画小屋
「スペクタクル特撮映像も見事なリアリティある悲劇」--Godzilla and Other Assorted Fantastic Monsters

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【映画】ナッシュビル2011/08/27

ナッシュビル
『ナッシュビル』(1975年・監督:ロバート・アルトマン)

ご存じロバート・アルトマン監督の代表作にしてカルトな一作。TV放送もされず、DVD化もされず、ワタシにとっては幻の逸品の一つだったが、ようやく新宿武蔵野館にて観賞(9月2日まで上映中)。

内容については今さら記すまでもないと思うが、カントリー・ミュージックのメッカであるテネシー州ナッシュビルを舞台に、大統領選を絡めながらそこに集った24人の5日間が描かれるというアルトマンお特異の大群像劇。

その特異な手法は、次々に登場するそれら人物たちの行動が観る側の生理を無視するかのように、ブツブツと切り刻んでいくことに象徴される。カットごとの繋ぎ(意味)など無視したかのように、次々と場面が変わり、またその場面も冗長に感じられるかと思えば唐突に終わったりする。…ので、その意図があるのかないのか(当初、ワタシには)まるでわからない。

しかしその映像のカオス(混沌)に身を委ねていると、やがてそのカオスこそアルトマン監督が描きたかった世界であることが見えてくる。1970年代のアメリカ。ベトナム戦争の傷も癒えず、保守と革新の対立、人種差別、暴力も渦巻く混沌たるアメリカ社会を、一個人の生活や行動を紡ぎ合せることで、フォーカスしていくのだ。

まるでアメリカの地方都市で暮らす人々のドキュメンタリーを観せられるているかのような映像断片が、やがて巨大な像を成して、アメリカ社会を映し出していく。
そしてそのカオスは、70年代アメリカを象徴するかのような衝撃のラストによって、見事に収斂されるのだ…。

『ザ・プレーヤー』がアルトマン群像劇の表・エンターテイメント版であるとすれば、本作は裏・ドキュメンタリー版のような趣。公開から年月も経ち、“傑作”とまではいわく言い難いが、まさにカルトな一作として後世に伝えられるべき作品。

『ナッシュビル』の参考レビュー(*タイトル文責は森口)
「アルトマン的な批判精神とシニシズム」--粉川哲夫の「シネマノート」
「アメリカのカオスをみせる群像劇。」--映画ジャッジ(中野豊氏)

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【映画】ソーシャル・ネットワーク2011/07/28

ソーシャル・ネットワーク
『ソーシャル・ネットワーク』(2010年・監督:デヴィッド・フィンチャー)

Facebookの創設ドラマを描いた話題作をようやく観賞。ひと言でいえば、デヴィッド・フィンチャー監督の“語り口”の上手さが光る作品といえる。

『セブン』があまりに鮮烈だったために、“映像派”という印象が強いフィンチャー監督だが、本作ではその映像魂は極力抑えられ、物語を転がしていく構成力にその映画ヂカラが特化される。

まずもって、創設者マーク・ザッカーバーグが起された二つの訴訟を軸に、Facebook創設のストーリーをなぞっていくという着想にも瞠目だが、裏面史から正面史をあぶり出すことで、見事な人間ドラマになっている。

それを成功させたのは、先にも挙げたフィンチャー監督の構成力なのだが、過去のFacebook史と、現代の訴訟シーンを交互にカットインしながら、破綻せずに緊張感あふれるエンターテイメントをつくり上げた。
また、ドロドロとした訴訟話をビターな味つけとして、単なる成功譚に終わらせることなく、ホロ苦い青春物語としたことも、本作成功の秘密といえる。

ところでワタシが気になったのは、登場人物たちのエスニシティー(民族性)で、ザッカーバーグという名からオランダ系か?とも思われたが、wikipediaで調べるとユダヤ教徒の家庭に生れている。演じるジェシー・アイゼンバーグもユダヤ系なので、アメリカの観客ならばザッカーバーグもすぐにユダヤ系であることがわかるという仕組み。

「アイデアを盗まれた」とザッカーバーグを訴えたハーバード大ボート部エリートのウィンクルヴォスも、その聞き慣れない名から出自が気になるところだが、wikiではよくわからない。

もう一人、ザッカーバーグを訴えたFacebook創設者の一人、エドゥアルド・サベリンはブラジル系アメリカ人だ。

なるほど本作はまた、人種の坩堝・ニューヨーク(しかもカリカチュアライズされたハーバード大)を部隊にしたマイノリティ(?)人種抗争劇というステレオタイプな側面も持ちあわせているのかもしれない。

『ソーシャル・ネットワーク』の参考レビュー一覧(*タイトル文責は森口)
「21世紀の『市民ケーン』」--お楽しみはココからだ~ 映画をもっと楽しむ方法
「「ネットとリアル」の親和性は?」--ブリストン発新潮流アメリカby冷泉彰彦
「天才の孤独感が描かれた秀作」--徒然なる日常
「一度や二度では掴みきれない奥行きをもった作品」--アゴラ(小川浩氏)
「時代の変化のリアリティをとらえていない失敗作」--粉川哲夫の【シネマノート】

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【映画】無常素描2011/06/29

『無常素描』
『無常素描』(2011年・監督:大宮浩一)

高速道路を降りた車はやがて直線道路に入る。そして、ワゴン車の車窓から向けられたカメラがとらえたものは…ガレキの山、山、山。そして、荒れ果てた大地。忽然と現れたその“信じがたい”光景は、ワタシたちの言葉を奪い、戦慄へと落とし込める--。
東日本大震災の実像をとらえたこのドキュメンタリー映画は、こうして始まる。

本作を世に問うたのは、介護現場の描いたドキュメンタリー『ただいま、介護現場のいま それぞれの居場所』(2010年)で注目を浴びた大宮浩一監督。残念ながらこの作品も含めて大宮作品は未見なので、この監督の演出テイストはわからないが、本作では恐ろしく寡黙だ。

冒頭で紹介したような車からの無言の映像が、しばしば挿入される。しかもそれらどのシーンでも、ガレキの山が延々と写される。つまり、車がどこを走っても、どこを通っても、ガレキの山、山、山が続くのだ。まず、その事実に圧倒される。
その事実をまず、見せたい。多くの人に知ってもらいたい。そんな監督の執念が、無言の車窓カットを生んだ。車窓カットの連なりが生れた。…そんな妄想を抱かせる、事実と映像のチカラに依ったドキュメンタリーが、本作だ。

撮影地は、震災1カ月を経た宮城県・気仙沼市。
土台しか残っていない家を前に途方にくれる家主家族、ボランティアに訪れた外国人は「信じられない…」と言葉を失い、「トラジェティ(悲劇)…」と言ったまま無言になる。
一人の老いた男性がインタビューの途中で突然慟哭をはじめ、子どものように泣きじゃくる…。

余計な言葉を挟まず、ナレーションもない。
演出らしきものは、僧侶で作家の玄侑宗久氏の言の葉のみ。
氏が「無常」を語り、映像は“事実”を「素描」としてとらえる。
そこから生み落とされた驚愕の生と死の「記録」…。

これは作品として論評云々の前に、震災直後の被災地をとらえた貴重な記録映像として、永遠に記憶される作品だろう。いや、記憶されなければいけない作品だ。(7月15日まで東京・オーディトリウム渋谷で上映後、各地で公開予定)

『無常素描』の参考レビュー一覧(*タイトル文責は森口)
「単なる記録や情報でもない、アクチュアルな映画」--映画芸術DIARY(神田映良氏)
「写真と動画の違いを感じるドキュメンタリー」--アピタル(平子義紀氏)

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【映画】トゥルー・グリット2011/06/16

『トゥルー・グリット』
『トゥルー・グリット』(2010年・監督:ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン)

ジョン・ウェイン主演の『勇気ある追跡』(1969)をジェフ・ブリッジス主演で、コーエン兄弟がリメイクした話題作だが、『勇気~』は未見(たぶん)なのでワタシには本家との比較はできない。が、さすがコーエン兄弟!と手を打ちたくなるような、魅力ある作品に仕上がっている。

“魅力”の第一は、父親の復讐を誓う14歳の少女マティ(ヘイリー・スタインフェルド)のキャラクターだ。父親を雇い人のチェイニー(ジョシュ・ブローリン)に殺されたマティは、遺体の引き取りとともに復讐を果たすために、街へとやって来る。
犯人追跡の資金をつくるために、遺体置き場を宿とし、商人と掛け合うマティ。冒頭から智恵と度胸で、大人たちと対等以上に渡り合うこの少女パワーに、観客は一気に西部劇を舞台にした少女活劇の世界に引き込まれる。

その、いたいけでこまっしゃくれたキャラは、“守ってあげたい”と思わせると同時に頼もしきジャンヌ・ダルクでもあり、宮崎アニメによってその洗礼を受けているワタシたちにとっては、「ナウシカ」や「千尋」を想起する。

そこに、大酒飲みで片目(アイパッチ)の連邦保安官ルースター(ブリッジス)が疑似・父として、また、かねてからチェイニーを追い続けてきたテキサス・レンジャーの若きラビーフ(マット・デイモン)も疑似・恋人としてこの追跡劇に加わり、役者が揃う。

グラミー賞では、スタインフェルドが助演女優賞に、ブリッジスが主演男優賞にノミネートされたが、「助演」というにはあまりの「主演」ぶりだし、ブリッジスの凄味さえ感じさせるやさぐれ感は、主演賞に輝いた『クレイジー・ハート』より本作の方が、ワタシは好き。

その、それぞれのキャラを全開させたセリフも見事で、大自然をバックにしたアクション・サスペンス劇であるにもかかわらず、味のあるセリフ劇も堪能できるという寸法。このあたり、コーエン兄弟の上手さがじつによく出ていると思う。

しかしながら、いくらなんでも14歳の小娘が犯人追跡に同行すれば足手まといになるのは明白で、荒唐無稽な“ありえな~い”展開はまるでコミックかコメディのよう。
そもそも、マティがなぜそこまで執拗に復讐や追跡の同行にこだわるのか? あるいはなぜ、法律やラテン語の知識まで持ち得ているのか、説明がなされていない。

その謎を解くカギは、全編を覆う宗教的寓話的なトーンにあるのかもしれない…。
冒頭スクリーンに写し出された「天罰は必ず下される」という一節も旧約聖書から引かれたものらしく、セリフ中にもたびたび宗教的な引用が施される。

もしやワタシのようなニッポン生まれでニッポン育ちの浅学には量りえない宗教的なモチーフが隠され、何らかの宗教体験を持つ欧米の観客ならば、マティやルースターたちの行動にある宗教的なモチベーションやこの物語の背景などもまたたく理解されているのかもしれない。

そういえば、同じコーエン兄弟によるアメリカ南部を舞台にした『オー・ブラザー!』も寓話的な喜劇であったし、その一方で不気味な殺人鬼を描いた『ノーカントリー』もまた、(今にしてみれば)どこかコーエン兄弟の死生観漂う宗教的な作品だったような気がする。そのあたりは、コーエン兄弟がユダヤ人であるということも関係しているのかもしれない…。

いずれにせよ、マティのその後の人生に「天罰」らしきものが施されたこともまた、そうした背景があってのことだろうと推察し、その神話的なラストに至極納得をするのだ。

『トゥルー・グリット』の参考レビュー一覧(*タイトル文責は森口)
「西部劇の体裁ながら、宗教寓話的ファンタジーが魅力」--「らりるれろ」通信 Remark On The MGS
「『現在』の背後に『過去』が隠された新機軸」--粉川哲夫のシネマノート
「批評家的思いを注ぎ込んで飛躍したリメイク作」--THE MAINSTREAM
「オフビートな感動をクライマックスに用意」--日刊サイゾー(長野辰次氏)
「復讐劇、ロードムービー、そして奇妙な友情の物語」--映画通信シネマッシモ(渡まち子氏)
「コーエン兄弟映画の新たな展開」--お楽しみはココからだ~ 映画をもっと楽しむ方法
「不幸大好きのコーエン兄弟らしい演出」--LOVE Cinemas 調布

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【映画】戦場でワルツを2011/06/14

『戦場でワルツを』
『戦場でワルツを』(2008年・監督:アリ・フォルマン)

2008年のアカデミー外国語賞を『おくりびと』と競った、レバノン内戦の悲劇を斬新なアニメーション手法で描いた作品。

なるほど、冒頭からアメリカン・コミックを思わせる人物の輪郭をクッキリと描き、実写の演技をアニメに興したかのようなスタイリッシュな手法には、ぐっと引き込まれる。

冒頭の犬に追われる“夢”のシーンからしてスリリングで、何度も再現される照明弾が灯る夜の海や海原で巨大裸女と戯れる幻想的な場面など、アニメならではの見どころも少なくない。

写実的ではあるが、どこかメルヘンチックな世界。
監督自身が本人役として登場し、レバノン内戦時の“忘れられた記憶”をたどっていくという夢の道程を描く意味でも、この手法を選択したことは当然の帰結だったのかもしれない。

しかしながらワタシは、物語が進むうちにこのアニメ手法が、しだいに疎ましいものに感じてしまった…。なぜなら、本作はアニメではあっても、れっきとしたドキュメンタリー作品だからだ。
作者(監督)自身がぬぐい去りがたい過去と向き合い、自身が19歳の時にその場に立ち会った「サブラ・シャティーラの虐殺」を告発した映画なのだ。

ならば、戦闘シーンや夢、幻覚(想)シーンはともかく、本人役として登場している人物は実写で描くべきだったのではないだろうか?
そのあたりの事情をネットで探ってみると、どうやら「自分で書いた脚本をもとにまず実写で撮影し、そのビデオをもとにアニメをつくりあげていった」(フォルマン監督(という。
「中年の男が、25年前の暗い過去について取材する様子を、当時の映像もないままに語っていたら退屈な作品になってしまう」ということらしい…。

そうした事情はあるにせよ、レバノン内戦の社会的背景に疎いこともあって、ワタシにはどうもそのアニメのゆったりとした動きに冗長な印象を受けてしまった。

タイトルに由来する戦場のライフル乱射シーンも、それほど衝撃的ではなく、やはりインパクトがあるのはラストの“実写”だ。
そこでは“虐殺”後の生々しいニュース映像が、ワタシたちを突き刺し、重い軛をもって問いかける。

だからこそ中途半端なアニメに逃げないでほしかったというのが、ワタシの本音だ。

『戦場でワルツを』の参照レビューの一覧(*タイトル文責は森口)
「映画史に確かな足跡を残す作品」--映画通信シネマッシモ(渡まち子氏)
「アニメと現実の狭間の不思議なトリップ」--映画ジャッジ!(岡本太陽氏)
「ドキュメンタリー・アニメーションという独自の映像表現」--映画ジャッジ!(山口拓朗氏)
「ラストで一転、ざらついた『真実』が登場するショック」--映画ジャッジ!(小梶勝男氏)
「"架空の世界"のアニメで"事実を記録する"試み」--映画のメモ帳+α
「表現のつたなさは否定できない」--シネマポスト
「虚無と悲しみが覆う実体験を描いた作品」--asahi.com(宮崎陽介氏)

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