【映画】息もできない2010/10/01

『息もできない』
『息もできない』(2008年・監督:ヤン・イクチュン)
「息もできない」のは登場人物たちか、はたまた観客か。…まさしくタイトルどおり、息もできない緊迫感が画面を覆い尽くすコリアン・フィルムノワール。これが長編初作とはとても思えない監督・脚本・編集・製作から主役まで5役をこなすヤン・イクチュンの異才ぶりに、言葉もない。

暴力でしか自分を表現できない男サンフン(イクチュン)と、気丈な女子高生ヨニ(キム・コッピ=こちらも名演)が偶然出会い、互いに「同じ匂い」を感じて惹かれあう…。おそらく2人は、直感的に自分と同じ苦しみを背負っていることを感じたのであろう。その「匂い」の根源にあるのは、果てしのない暴力の連鎖だった。「家族」の暴力に苦しみ続けるサンフンとヨニ。画面に飛び散る鮮血と繰り返される暴力シーンに、ワタシたちは暗澹たる気持ちになる。
そして、それら陰惨なシーンと対をなすような、幼い甥子を連れての街中での至福のデート・シーン。3人の幸せそうな姿を遠方からカメラが追う。手持ちカメラの揺れがまるで、この3人の不安定な心を顕すように…。

しかし、本作をあまりに哀しく、美しい物語にしているのは、漢江のほとりで二人が寄り添いながらさめざめと泣くシーンだ。そのやるせない気持ちが、言葉にできない絶望感が、ワタシたちを打つ。

だが、「死」をもってしても救済されない暴力の連鎖を暗示して、本作は幕を閉じる。近代史のなかで「暴力」が蔓延した韓国社会と、その影響がぬぐいきれない家族の「暴力」。自身が虐待にあった経験をもつ、若き監督による告発と救済のドラマは、韓国社会と歴史に向けられたものなのだろうか?

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息もできない息もできない
ヤン・イクチュン 相田 冬二 根本 理恵

ACクリエイト 2010-03-12
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【演劇】劇団ジャブジャブサーキット『蒼の組曲』2010/10/02

劇団ジャブジャブサーキット『蒼の組曲』
岐阜を拠点として活動する劇団ジャブジャブサーキットの新作『蒼の組曲』の東京公演(10月2日・下北沢ザ・スズナリ)に足を運んだ。創立25周年の記念公演だそうだが、名前は知れど公演に接するのは初めて。
同劇団の作・演出はせひろいち氏が、公演パンフに寄せた文にこうある。「思えば演劇を始めた頃、複数の大先輩の劇作家や評論家の方から『君ぃ、演劇でSFはいかんよ』という趣旨の事を言われました」。曰く、「『物語が深くならない』とか『逃げずに人間を見つめろ』」等々…。そうかなぁ? ワタシに演劇の面白さに教えてくれた、北村想の『寿歌』も川村毅(第三エロチカ)の『ニッポン・ウォーズ』もSFだっんだけどな…と独りごちる。

そして、本作もSFだ。
元はカラオケルームだったというアパートに住まう5~6名の男女。車椅子の管理人も含めて、皆それぞれに理由(わけ)ありでここに居住しているわけだが、居住にはルールがあり、個室はあるもののルームシェアにともいうべき緩い関係。そのリビングというか応接間(?)が舞台になっている。NHKの朝ドラ『ちゅらさん』を観た方はわかるかと思うが、いわゆる「ゆくたく部屋」だ。舞台セット転換も皆無で、この部屋での「出来事」と「会話」だけで劇は進む。
その、それぞれが傷を癒すように、ゆるやかに暮らす男女のなかに、突然「未来人」が闖入するのだが、まるでSFチックではなく、大人しげな、いわゆる草食系の青年がポツリポツリと語りだす…。つまりここから、芝居は動いていくのだが、SFという意匠は借りているものの、ここで展開されるのは疑似家族によるホームドラマともいうべきもの。あるいは、青年ドラマと言ってもいい。
なぜ、彼(彼女)らは共同生活を送るのか、なぜそこを離れようとしないのか…現代人も、未来人にも、共通する生きづらさと邂逅。それが本作のテーマだろう。

はせ氏は同パンフで「なんとも緩い作品です」と記しているが、いやはやどうして。その無駄のないセリフに感心した。昨今(だけではないかもしれないが)は、意味のない(とワタシには思える)セリフや動き、たわいのない会話をやたら盛り込んだ芝居が目につくが、同氏のセリフは相当つくり込み、計算されたものだ。役者の動きもしかり。
さすが「25年」の実績…とへんなところで感心したが(失礼)、こういうのを「大人の芝居」と言うのではあるまいか。

「浅く」もなく、「逃げ」てもいない、演劇だかこそ表現できうるSF劇だと思う。唐突だが、舞台・設定が限定されている分、テレビ観劇に向いた芝居だとも思った。

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【本】俺俺2010/10/03

俺俺俺俺
星野 智幸

新潮社 2010-06
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同じ著者の『ファンタジスタ』はほとんど印象に残っていないのだが、本書は面白かった。いや、傑作と言っていいだろう。

ほんの偶然で他人の携帯を盗んでしまった「俺」。その携帯の着信元である「母」に電話し、息子になりすまして金を振り込ませた「俺」。ここまでのお話だったら、オレオレ詐欺に着想を得たトレンド小説で終わってしまう。ところが、その「母」が訪ねてきて、「俺」を息子だと言う…。このあたりから本作は、軌道を逸した物語が展開し始める。仕方なく、戸惑いながらも半分面白がりながら息子を演じる「俺」。
ところが、混乱のまま実家に帰ってみるとそこにもう一人の「俺」がいた!さらにそこにもう一人「俺」が現れて…と、この物語はにわかに不条理小説の様相を帯びてくる。ワタシはこのあたりで松浦理英子氏の一連の著書を思い起こしてしまった。そして、増殖を続ける「俺」たち…。
「俺」のアイデンティティーも記憶も混濁し、どの「俺」が「俺」なのか、いや、すべての「俺」が「俺」なのだから、すべての「俺」は同期しているはず…と読者も迷宮へと放り出される。次第にワタシの頭の中をYMOの『増殖』のイメージが膨れあがっていったが…小説の中の「俺」の頭の中も…!

つまり本作は、まわりの様子を見回し、ただ周囲に同調する「鰯の群れ」のような「俺」たちへの痛烈な批判の書なのだ。物語はさらに進化し、「俺」は何度も再生を繰り返しながら、最後はピカレスクロマンのごとく、荒涼たる世界へと読者を連れていく。「俺」再生のかすかな希望と力強いメッセージを残して…。
「あの悪夢みたいな俺俺時代を覚えていてほしい」と、作者は「俺」に語らせる。「これは他人事じゃない。おまえたちが忘れたとたん、おまえたちもまた俺俺になっちまう。俺俺は、おまえたちが現在を見ないようにして忘れちまうことを、こっそり待っている。だから、頼む、覚えておいてくれ。そして自分たちが誰だか、忘れないでくれ」…。
現代の携帯端末を通じた危うい関係性と派遣労働社会を撃ちつつ、アイデンティティーと他者との繋がりという普遍性をもったテーマを追及した力作。小説でしかなし得ない世界がここにある。

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【映画】第9地区2010/10/04

『第9地区』
『第9地区』(2009年・監督:ニール・ブロムカンプ)
『ロード・オブ・ザ・リング』のピーター・ジャクソンが製作にあたったB級SF作ということなのだが、B級と切って捨てるにはあまりに惜しい作。すでにアカデミー作品賞にもノミネートされるなど「評価」されてはいるが、数(十?)年後にはカルト・ムービーとしてさらに「再評価」される? かも。
というのも本作はかなりアイロニカルなテーマを内包しており、見方によってさまざまなメッセージを受けとることができるからだ。

まず、南アフリカ・ヨハネスブルグにエイリアンの居住区がつくられるという設定からして、もろにソウェトをイメージさせるし、アメリカ人ならネイティブ・アメリカンの居留地を奪い、強制移住させた歴史が思い起こされるだろう。 エイリアンに英語風の名前を付けているのも皮肉が効いているし、その隔離された居住区“第9地区”がスラム化し、ギャング化した“黒人”に搾取されるというのも、じつに強烈。差別された民を差別された民によって圧政する、というのはニッポンにもあった(ある)話。

流行りのフェイク(疑似)・ドキュメンタリーの手法を取り入れているが、これも臨場感を持たせるというよりも、あえて「まがいもの」っぽくするために、批判的に使っている気がするし、エイリアンの強制移住に抜擢されたお調子者の主人公の造形も、ニュースキャスターのそれを思いっきりオチョくっている。
そもそも「予算の関係」というが、監督も新人、キャストも無名ばかり…というのも、アイデアさえあれば、これくらいの作品はつくれるだよ、というニュージーランドからハリウッドに招かれたジャクソンの痛烈な皮肉が込められているのかもしれない。

で、物語は『ザ・フライ』+『E.T』+『アイアイマン』…なのだが(笑)、ワタシがこの作品に惹かれたのは、どこか物語の通奏に「悲しみ」を感じるからだ。なんらかの理由で難民となり故郷を失ってしまったエイリアン、輪廻のごとく差別を繰り返す人間、果てしない殺し合いの無情さ、愚かなマスコミ、強欲と地位、格差、搾取…どこかみな「悲しみ」を背負っている。主人公がスーパーヒーローにもなりきれず、情けないままに終わるのもイイ。なんとも言えない手触りを持った作品。

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【本】科学と神秘のあいだ2010/10/05

科学と神秘のあいだ(双書Zero)科学と神秘のあいだ(双書Zero)
菊池 誠

筑摩書房 2010-03-24
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いわゆるニセ科学批判書は(特に近年)あまた出版されているが、本書における著者のスタンスは明確だ。

かの大槻義彦先生を、「テレビ出演して、お茶の間にオカルト批判を届ける活動ではパイオニア」と評価しつつも、「残念ながら、テレビでの大槻先生は絵に描いたような頑固な科学者を演じておられる」「『科学的におかしい』『間違い』と声高に言うのを見るのはたしかに面白いし、ときに痛快でもあるきだけど、でもそういうパフォーマンスは、これまで考えてきたような問題にはあまり効果がなさそうだ。というより、相手を頑なにさせるという意味で、むしろ逆効果かもしれない」と評している。
対してこの著者は、最後まで柔らかな語り口を崩さずに、やさしく読者に二セ科学の問題を語りかける。

1958年生れというから、ワタシとほぼ同世代の“ロックっ子”なのだろう。電子楽器テルミンや、やたらと挿入されるロック小咄は、読者に「頑固な科学者」像を植えつけないための、著者流のパフォーマンスとみた。
だが、その親切さ(?)のゆえ、ややまだるっこしい記述もあって「天皇家のY染色体」について、「物語批判」も含めて10数ページにわたって解説しているが、もうちょっとコンパクトにまとめてほしかった…ていうか最後まで読んでもよくわからなかった。(→それはワタシの問題か(笑))。

もっとも、演奏活動もされているというテルミンはご愛嬌にしても、唐突に繰り返されるロック小咄(ちょっと笑えるが)はあまりパフォーマンスとして効いている感じはせずに、だったら「ニューエイジ思想におけるロック世代の責任論」などのテーマで、今も拡大し続けるニセ科学の問題をもっと幅広く取り上げてもらいたかった。

とはいうものの、ニセ科学蔓延の時代に、こうした“文系科学者”の存在は本当に貴重だと思うし、著者にはぜひ今後も続編を書いていただきたい。巻末のブックガイドも丁寧な解説で役立った。

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【コミック】さよならもいわずに2010/10/07

さよならもいわずに (ビームコミックス)さよならもいわずに (ビームコミックス)
上野 顕太郎

エンターブレイン 2010-07-24
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次期手塚治虫マンガ大賞の最有力候補にして、日本のマンガ史にその名が間違いなく刻まれるであろう傑作。マンガ家・上野顕太郎氏を突然襲った最愛の妻との別れ。その慟哭の記録をマンガという表現に刻み込んだ至高のドキュメンタリー作。

愛する者との死別という悲しみと喪失感、そして二度と還らない愛おしき日々を、どのようにマンガで表現できるか…。氏が砕身粉骨、渾身の力を込めて描くいたその世界に、ワタシたちは心張り裂ける思いを共感するとともに、マンガという表現の底知れぬ力を感じるはずだ。
日本のあまたマンガ作家たちが、長い歴史のなかで切磋琢磨し、世界に類のない独自の表現として獲得してきた“マンガ表現”の数々の技を、これでもか!というまで本作に注ぎ込んだ氏の執念と技量…。ギャグ漫画家であるという氏が、むしろギャグ表現は最小に抑え、ネーム、コマ割り、構図、擬音…ありとあらゆるマンガ表現をこの物語に注ぎ込む。
そこにはまるで、マンガの教科書ともいうべき渺々たるマンガ表現の宇宙が拡がっている。愛する妻へのそれとともに、これはマンガそのものへのオマージュ(愛)ではあるまいか…。

見開きページに拡がる無人の大通り。その廃墟のような画面の端に、今にも倒れそうに身を傾ける氏(主人公)。その中空を切り裂くように「タン!」と響く音。「ああ、誰かが…俺を狙撃してくれないもんだろうか」…。やるせない登場人物の気持ちを、このように見事にワンシーンで表現できるメディアが他にあるだろうか?

そして、この物語が悲しみのまま終わるのではなく、スタッフロールのごとく本書をつくりあげた関係者が紹介されたあと、「再生」の物語として本作は「はじまりのおわり」を告げる…。絶望から希望へ。それもまた「人間」の深淵なる生の営みなのだとして…。
涙を模した装丁など、作者のみならず制作陣のなみなみならぬ「思い」も感じる。日本のマンガ文化が到達した、私小説ならぬ“私マンガ”の金字塔であると思う。

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【映画】白昼の通り魔2010/10/08

『白昼の通り魔』
『白昼の通り魔』(1966年・監督:大島渚)
1950年代末、関西で起こった連続殺人事件を題材に大島渚がメガホンをとったフィルム・ノワール。本作のキモはなんといっても、主役の「通り魔」に稀代の悪役顔・佐藤慶(先ごろ亡くなられた=合掌)を起用したことだろう。

観る者をヒリヒリとさせるヒッチコックを彷彿させるような冒頭の、屋敷で働く女を覗き見るシーン。そして、にじり寄るように登場する「通り魔」佐藤の異様な迫力。スクリーンを支配するかのように、やたらアップを多様する大島監督の要求に十分に応える凄味のある顔、無表情の下に潜む残虐性。
やがて、女を訪ねてきた「通り魔」の過去が時を遡りながら明かされるのだが…本作で大島監督が多用するのは、前述のクローズ・アップと背景をボカすシャロー・フォーカス。たしか『市民ケーン』がパン・フォーカスとこのシャロー・フォーカスを使い分けて、謎めいた雰囲気をうまく醸し出していたかと思うが、ここでの大島監督の意図は、あくまでもクローズ・アップの強調か。

…と、キャスティングや映画技法ばかりを語っているのは、40年近い歳月を経た作品だけあって、ストーリーを追ってもあまり意味がないと思うからだ。農村での青年共同体や聖職者として描かれる女性教師(小山明子)の姿など、現代においてはやはり感情移入しにくい。
また、『チェイサー』をはじめ近年の韓国映画に描かれた漆黒の闇に包まれた犯罪を識るワタシたちには、この主人公が犯す犯罪は“わかりやす”過ぎる。

なので、本作はスタイリッシュな映像による犯罪社会映画を目指した大島監督の実験作・野心作として、当時の雰囲気に浸りながら、出演陣(ほかに戸浦六宏、小松方正、渡辺文雄ら)の怪演ぶりを楽しむのが、正しい鑑賞法といえるかもしれない。

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【本】西麻布ダンス教室2010/10/09

西麻布ダンス教室―舞踊鑑賞の手引き西麻布ダンス教室―舞踊鑑賞の手引き
桜井 圭介 押切 伸一 いとう せいこう

白水社 1998-08
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まず、書名がよくないよ、とツッコミを入れたくなるコンテンポラリー・ダンスの鑑賞ガイド。というのも、じつにまっとうで貴重なガイドブックなのに、これでは社交ダンス教室を舞台にしたB級小説みたいで…さらに、副題の「舞踊鑑賞の手引き」というもあまりにベタな…(笑)。

しかし、「貴重な」と記したのはこうした、歴史も含めたコンテンポラリー/モダン・ダンスを俯瞰かつ構造分析したガイドブックに、ワタシはお目にかかったことがないから。あるダンサーが「私のバイブルです」、劇評家が「目からウロコでした」と口にしていたことからも、本書以上のクオリティをもつ類書はないのではないか。
それを端的に示しているのが、巻頭に記された「ダンス・マトリクス」。ダンス表現を、抽象、具象、運動(天上的)、身体(地上的)の四つの機軸で示し、さらに抽象的運動、具象的運動、抽象的身体、具象的身体の概念でもって顕すことで、マース・カニングハムから暗黒舞踏まで、コンテンポラリー/モダン・ダンスの全体像を描いてみせた。
本書はこのマトリクスをもとに、桜井氏が「講師」となり、いとうせいこう押切伸一というひと癖もふた癖もある「生徒」に講義を行うというスタイルで進行していく。
そのスタンスは「全体的な視点からすべてのダンスを見る」で、その意味ではこの副題も正しいのだが(苦笑)、とにかく「見る」立場だダンスを語る3人の語り口は、鋭く、知的、ときに肉感的だ。

で、本書にはこうした踊り手たちの図版(主に写真)が多数掲載されているのだが、やはり「動く絵」ではないことにどうしても隔靴掻痒の思いが離れない。
そういう意味で、本書こそ、電子書籍としてリニューアルされるべき書物(コンテンツ)なのではないかと思う。 例えば、ベジャールの説明があればリンクしたYou Tubeのページへ飛ぶ、ニジンスキーの華麗の舞いを確認できる、ありし日の大野一雄氏の雄姿を目にするできる…そんな機能を備えた電子ブック。もちろん著作権等々のクリアしなければならない問題はあるが、それこそが、「未来の書物」の正しい姿だと思うのだ。
さらに、ワタシたちは、3D映画『アバター』で字幕が浮き上がって見える…という体験をしている。テキストのリンクをクリックすると、踊るダンサーの動画が手にした本から左右に浮き上がって見える…そんな技術が開発されないだろか? そうした技術が確立されれば、ワタシたちが持つ過去の膨大な書物アーカイブが「宝の山」となる可能性がある。ワタシは本書を通じて、そんな妄想を描いてしまった。

そうした意味でも、本書が『ラフガイド・トゥ・コンテンポラリー・ダンス』『コンテンポラリー・ダンスを見る技術!』などと改題のうえ、新たに電子ブックとして生れ変わることを切望する。電子書籍の未来、ココにあり、だ。

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【CD】BoA/Hurricane Venus2010/10/10

BoA 6集 - Hurricane Venus(韓国盤)BoA 6集 - Hurricane Venus(韓国盤)
BoA

SM ENTERTAINMENT 2010-08-09
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日本で活躍する元祖(?)K-POPシンガー・BoAちゃんの韓国仕様の最新アルバム。
オートチューンを駆使しての、LadyGAGAばりのエレクトロ・チューンを連発するなど、ここでのBoAはじつにノビノビとした印象。彼女の日本仕様の曲はどうも凡庸に聴こえてしまい、ほとんど興味が持てないワタシだが、やはり韓国盤の『Atlantis Princess』は愛聴した。

どうも日本語や英語で歌われたナンバーは、ここでの韓国語ナンバーと違い、BoAの大陸的なおおらかさやしなやかさが失われてしまっているような気がしてならない。宇多田ヒカルの米国盤 にも同様の問題が露呈したが、そこは母語ではないので、いた仕方ないことか。

切ないバラードやジャジーなナンバー、ラップ調の曲も難なくこなし、まさに若きアジアン・ディーバの貫祿十分。声量バリバリタイプのシンガーではない分、ちょっと鼻にかかった甘セツナ系の声をうまく生かしている。つくり込んだサウンド・プロダクションや奇抜なコスチュームからして力の入ったジャケット・デザインも含めて、プロの仕事ぶりを堪能。

タイトル曲のYou Tube画像はコチラ↓

◆『BoA/Hurricane Venus』の推薦レビュー
大好きK-POP 勝手レビュー

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【映画】必死剣 鳥刺し2010/10/11

『必死剣 鳥刺し』
『必死剣 鳥刺し』(2010年・監督:平山秀幸)

久しく西部劇らしい西部劇がつくられなかったアメリカで、西部劇復活のきっかけとなったのは、『ダンス・ウィズ・ウルブズ』(1990年)であり『許されざる者』(1992年)ではなかったかと思う。そして、両作に共通するのは、異民族・文化への畏怖と自然回帰、あるいは「老い」と「孤独」といった、それまで西部劇ではあまり語られることのなかった「新たな視点」を持ち込んだことではないだろうか。

そういう意味で、日本の時代劇復活の先鞭をつけたのは、やはりそこに「新たな視点」を持ち込んだ山田洋次監督の『たそがれ清兵衛』であったかと思う。その「武士社会に現代サラリーマン社会を投影する」視点はすでに『武士道残酷物語』などでも提示されていたが、藤沢周平作品に備えられたある種のさわやかさの力を借りて、それは現代に蘇ったのだ。

そして、本作もそうした系譜に数えられる作品だ。
藩の苦境を救うべく、また自身の「死に場所」を求めて凶行に及んだ寡黙な役人にして「必死剣・鳥刺し」の使い手(豊川悦史)。しかし、藩主は彼の切腹を認めず、再び側用人として仕われるのだが、そこには隠された「意図」があった。…というのが大枠のストーリー。

平山秀幸監督といえば、ワタシのなかでは“職人監督”として位置づけられているのだが、襖の開け閉めもワンシーン、ワンシーン省略なく描くなど、その武士社会の所作を執拗に描く様は、まさに“職人”そのもの。冒頭の不穏さを漂わせる能舞台を、なめるようなカメラワークで追いかけ、見事な美術セット、衣装、小道具などで、その時代と世界を再現する技に、手抜かりはない。
こうした一つひとつの映画の所作が、この物語に“リアル”を与えている。

終盤の、藩主を襲う吉川晃司との死闘は「清兵衛」と田中泯とのそれを彷彿させ、過酷な運命に翻弄される豊川の姿は『薄桜記』での市川雷蔵がダブる。そうした意味では、まるで本作は『清兵衛』『隠し剣 鬼の爪』『武士の一分』に続く連作時代劇のようであり、かつての名作時代劇へのオマージュともいえる。

しかしながら、山田時代劇の登場人物が(欠点を持った)人間味あふれる人物として描かれているのに比して、平山時代劇がややカテゴライズされている分、物語としてのふくよかさに欠ける。
だが、それを消してあまりあるのが、「鳥刺し」が放つカタルシス。その壮絶なシーンのなかに、どこか主人公が求めていた「死に場所」をようやく手にすることができたある種の幸福感をワタシたちは嗅ぎとることができるのだ。

余談ながら、主人公を慕う池脇千鶴が「見合い」の席で見せた戸惑いとともに怒りを含んだ表情、たった「一夜」で「おかみさん」のような佇まいをみせる芝居の上手さに、改めて感服。さらに無表情の仮面の下に狂気を醸しだす岸部一徳は、いつもながらフシギな役者だなぁと感心。噺家の瀧川鯉昇師匠が、渋い役どころで好演していることにも驚いた。

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