【演劇】『日本国憲法』2010/11/21

『日本国憲法』
『自殺対策基本法』に続いて、同じく小嶋一郎氏が作・演出した『日本国憲法』を観る(11月20日・自由学園明日館講堂)。ちなみに本作は、京都芸術センター「舞台芸術賞2009」で大賞を受賞しているそうだが、それも頷けるたいそう刺激的な作品だった。

会場は『自殺~』と同じ講堂を使用。しかし、今回は「スタンディング形式」ということで、客席となるベンチは一部を残して撤去され、まさにまっさらなスペースでの上演となった。
最初にスタッフが「美術館のように自由に動き回って鑑賞してください。役者に近づいて観ていただいても結構です」と、説明する。しかし、「では、始めます」と宣ずられる前に、すでに会場内には“役者”らしき若者が、床にのたうち、ぼおっと立ちつくすなど、すでにワタシたちはこの作品に“取り込まれている”ことを察していた。

いつの間にやら会場(舞台)の隅に、うつ伏せた青年をマッサージする女性が居る。女性はどうやら憲法の条文を諳じているようなのだが、その声は小さく内容を聞き取ることができない。(それこそ現在の「憲法」の立ち位置の表現か?)
ときどき青年が誰に呼びかけるのでもなく「のりこさ~ん」と発するのだが、やがて「のりこさん」とは「憲子さん」なのでは? という確証へと変わっていく。

なによりこの実験劇の優れた点は、ワタシたち観客を否応なくこの作品の“参加”させてしまうことだ。
同時に会場(舞台)のあちこちで、前述の“役者”たちが、奇妙な動作で身をよじり、何かにとり憑かれたように夢遊を始める。それらが同時多発で起こるので、ワタシたち観客も視線を、身体を、動かさざるをえなくなる。

役者の動きを観客が凝視する、覗き込む、それをまた傍観する観客がいる。
役者の他にもスタッフらしき人間が、会場内を動き回っているのだが、ワタシたちには一体誰がスタッフで、誰が観客なのが見分けることができない。もしかすると、あそこにはただ座っている人も、“芝居”をしているのかも? あそこで座り込んで役者を観ている人は? そして、挙動不審なワタシの動きもまた“芝居”と思われているのだろか…等々。

そこに無限に写し出される合せ鏡のような奇妙な空間が生れる。
だれが、この芝居の“当時者”で、だれがそうではないのか? いやいや、もしかすると、ここに居る全員が“当事者”なのでは? そう、思い至った時に、ワタシの中でストンと府に落ちる。
そうか、まさにこれが「憲法」なのだ、と。
これはワタシたちが、“当事者”を体験する憲法体験劇なのだ、と。
(ちなみに作者にもそうした“意図”があったことは、終演後のポスト・トークでも確認された)

さらに、ワタシが講堂のステージへと上り会場全体を俯瞰して見たときに、役者たちとスタッフの動き、そして会場内を所在なさげに移動する観客たちは、静かな混沌とも言える状態を示していた。そう、それもまた「憲法」を体現しているのではあるまいか? これこそが、「憲法」をめぐる状況なのではないか? …そんなも思いも抱いてしまった。

最終盤になって、今まで憲法の条文しかセリフとして発していなかった役者たちが、突然に歌をうたいだす。それはじつは、憲法の前文を役者たちが、各自の言葉で訳出してそれぞれがメロディーを付けて歌っているのだが、ポストトークで小嶋氏はそれを「それぞれが違うメロディーを唄うので不協和音になるが、異なる意見でも共存できることを示したかった」との趣旨を語っていた。

ワタシはそこまでの“意図”を掬い取ることができなかったが、憲法を自分流の言葉で伝えようとする“意志”は感じるとることができた。
小1時間ほどの短い作品だが、おそらく会場のつくりや条件、また観客によって、毎回その表情を変えるに違いない。
そうした意味でもじつに興味深いパフォーマンスだった。

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