【演劇】『自殺対策基本法』2010/11/20

『自殺対策基本法』
フェスティバル・トーキョーの公募プログラムとして上演された小嶋一郎氏・演出による『自殺対策基本法』を観る(11月19日・自由学園明日館講堂)。

まずリンク先の画像を見ていただきたいのだが、会場となった自由学園明日館講堂で、なかなか趣のある空間だ。椅子を撤去したこの中央フロアーが舞台となり、観客は周囲のベンチに腰掛けてそれを見守るという趣向。[※当初、上記画像を会場と勘違いしそう記したが、誤りだったので内容訂正しました]

氏は大阪で「スカイフィッシュ」という劇団で活躍した後、東京に拠点を移し、憲法の原文をそのままテキストとして使用した『日本国憲法』で一躍注目を集める。今回初上演された『自殺対策基本法』も同様に、発せられるセリフは法律の条文だけだ。

小嶋氏が、この会場が決定してから新作の『自殺対策基本法』の演出を練ったのかどうかわからないが、とにかく導入は素晴らしかった。
冒頭から会場の灯が落とされ、“舞台”は窓から差し込む街灯の明かりのみ。その薄暗がりのなかに、5人の男女が佇む。開演からしばらく経っても、“役者”たちはその場にただ佇むのみ…。

やがて、風の音か? あるいは息吹? かとおぼしき、かすかな音が流れてくる。そのうちに、その音は“人の声”であることがわかり、舞台のあちこちから低い“唸り声”が発せられる。
そして、その“声”たちが重なり合い、それは死者を弔う“声明(しょうみょう)”のように会場に響きわたる。その時に、ワタシたちはその声が自死さざるをえなかった人びとの慟哭の声であることに気づく。
そしてまた、この演出家が「講堂」という会場を十二分に活かしきっているを知る。

しかし、その後がいただけない。
闇に佇む“役者”たちはゆっくりと時には不意に激しく動き、叫びを発するのだが、いかんせんその動きも暗がりの中ではほとんど目視することができず、ときどき発せられる声もいかにも間延びしている。
最終盤になって、ようやくそのテキスト(自殺対策基本法)は発せられるのだが、おそろしく観客に忍耐を強いる芝居だった。

闇と声のみの演出。もちろんその狙いは、観客の“想像力”を最大限引き出し、この実験劇に“参加”してもらうことだろう。
しかし、ワタシたちの“想像力”も適切な材料が与えられなければ、それは発揮できない。

平田オリザ氏演出による「アンドロイド演劇」にワタシが惹かれたのも、その芝居の面白さというより、セリフや仕種といった演出一つ一つの背景に拡がる広大な「世界」が見えたからだ。
観客の“想像力”に寄りかかりすぎる芝居は、(厳しいようだが)失敗作と言うしかない。

…と、ここまで書いてupするつもりだったが、翌日(20日)に本作と交互に上演されている『日本国憲法』を観て、前言を修正したくなった。「失敗作」ではなく、「発展途上作」だと。この『日本国憲法』については明日また改めて。

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