【演劇】シアターカンパニーARICA『house=woman 家=女』2010/11/13

シアターカンパニーARICA『house=woman 家=女』
「転形劇場」にいた安藤朋子サンが実験的な舞台を行うと聞き、シアターカンパニーARICAの新作公演『house=woman 家=女』を“感劇”。“感劇”と記したのは、まさに“観る”だけでなく“感じる”芝居だった、からだ。(11月12日・新宿A to Z)

会場は新宿歌舞伎町のど真ん中にある古びたビルの地下室。コンクリートが剥き出しになった部屋には、粗末な電球がぶら下がり、その下には古風なソファ、壊れたドア、埃だらけの水道、バケツが無造作に置かれ、かすかにかつて人が住んでいたかのような気配を漂わせる…。

部屋の隅が30席ほどの客席になっており、その眼前に舞台らしきだだっ広い空間が横長に拡がる。下手にギター、上手にチェロの学士が二人。
「開演すると出入りできなくなります」と、スタッフの声にワタシたちはやや緊張し、開演を待つ。まるで地下室に閉じ込められたように…。そう階段を下り、その部屋に足を踏み入れたとたん、ワタシたちはこの舞台の“共犯者”となったのだ。

やがて舞台は静かに始まる。やおら「手」が現れ、身をくねらせるかのように、その「手」が妖艶な動きをくり返す。そして、地の底から絞り出すようなくぐもった女声…。セリフはあるにはあるが、くり返しや句点の位置をずらすことで、まるでセリフであることを拒否するかのように、それは地下室に漂う。

やがて、「手」の主たる“女”が顕れるのだが、生きているのか死んでいるのか、それとも“怨霊”なのか…どうやらギリシャ悲劇を下敷きにした“物語”はあるようなのだが、それを理解されることさえ拒むかのように、セリフはヴォーカリゼーションと化していく。

この地下室は“女”の棲家なのか? 棺桶なのか? 不気味に発せられる音と、したたる水、うごめく“物”たちが、ワタシたちを放おっておかない。演じているのは“女”だけではない。この“部屋”も演じているのだ。
その不気味な静寂と、それを突き破るかのような音と動きで、次に一体何が起こるのか、起こらないのか。ワタシたちは神経をすり減らしながら、息をひそめて“彼女たち”を凝視する…。

そして突然、暗転となった漆黒の闇の中で、うごめく“物”たち。ワタシたちは、五感研ぎ澄まし、そこで起きていることを妄想するしか術はない。闇を見つめながら、その瞬間に嗅覚が奮いたち、部屋を覆うコンクリートや木々、鉄や水の匂いさえも嗅ぎとろうする自分にワタシは気づく。

…という緊張の“感劇”が1時間余続き、ようやくワタシたちはこの実験劇から解放される。その“解放感”は、心地よい刺激とともにワタシを包む。

「転形劇場」在籍時には封印されていた“セリフ”を解き放つかのように映画にテレビに活躍する大杉漣、“セリフ”を解体し、再構築を試みようとする「地点」、そしてこの安藤と、太田省吾のDNAの一つの進化形を観たような舞台だった。

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