【演劇】五反田団『迷子になるわ』2010/11/08

五反田団『迷子になるわ』
フェスティバル・トーキョーの一貫として出展(店)されたやなぎみわプロディースのおばあちゃんメイド・カフェ「カフェ・ロッテンマイヤー」を横目に、五反田団『迷子になるわ』に駆け込む(11月6日・東京芸術劇場小ホール)。

前田司郎氏(作・演出)が率いる同劇団だが、ワタシは初観劇。
チラシに掲載された本人の弁では、「この頃どうも戯曲を書くのが上手くなってきてしまっていて、これはいかんなと思っている」そうで、「今回は予定を決めずにバッと出かけて迷子になってみようと思います」と記されている。
…まあ、その通りのような芝居だった。

結婚や仕事やら家族やら…自分の人生に閉塞感を感じているらしい(それが“迷子”ということか)30歳になる女性が思いめぐらす脳内模様を、時空を越え、錯綜交えて“開示”したかのような舞台…。まずはそんな印象だ。

死んでしまったのか、始めから存在しないのか(あるいは主人公の分身?)謎めいた“姉”が冒頭から登場し、“恋人”となるウエイター青年との出会いが、“過去”として語られ始める。そして、青年とつきあう以前に不倫関係にあった男との寝間に、時間を遡って青年が乱入し…。
かと思うと巨大な“母親”が現れ、一体となった“父親”が、シュールな笑いを誘いながら登場する。それが前田氏なので、なおさら可笑しいのだが。
さらに、“自分の中”に入っての“家族の物語”が展開し(このあたりは『マルコヴィッチの穴』を想起させる)、登場人物たちもワタシたちも“迷子”にされたまま、オチらしい“オチ”もなく幕が降りる。

舞台に登場するのは、前田氏も含めてわずか5人。舞台装置もステージ中央に置かれたベットと、その回りに客席のように置かれたいくつもの椅子、そして“東京タワー”という簡素なもの。
“タワー”を見上げながら椅子の間をブラブラと歩き回り、“デート”を重ねる二人。ベッドはラブホテルのそれと、自室の、そして診察室の、とクルクルとその役割を変えていく…。

前田氏は“静かな演劇”の系譜とされているそうで、たしかに舞台上で繰り広げられるのは、友人や気心の知れた者同士の“ダベり”のような会話と所作ばかりで、それがまたダラダラと続く…。しかし、そのセリフが英語字幕で映し出されることからもわかるように、アドリブなどではなく、かなり練り込まれたものであることは確か。

いやいや、冒頭に記したように、氏はあえて今回“それ”をやらなかった!?

時間や空間が交錯し、それらをメビウスの輪のように継ぎはいでいく脚本は、それなりにスリリングで興味深かったのだが、最終幕の“ONN/OFF”問答など冗長に感じ、またワタシには“オチなし”の放り出され状態にどうもうまく“迷子”になれず、芝居としてのカタルシスが感じられなかった。
氏のプロフィールには、「日常にひそむおかしみや哀れさから人間の本質を描きだす独特の世界観が話題を呼び」と記されているが、その“独特の世界観”とやらがワタシの脳内に表出しなかった…のだろう。

次は、同氏の「上手く」なった戯曲での作品を観てみたい。

◆五反田団『迷子になるわ』の参考レビュー
ワンダーランド(芦沢みどり氏)

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