【映画】風の中の子供2011/02/23

『風の中の子供』
風の中の子供』(1937年・監督:清水宏)

先日足を運んだ東京国立近代美術館フィルムセンター(NFC)のリニューアル常設展「NFCコレクションでみる 日本映画の歴史」でもその足跡が紹介されていた清水宏監督の佳作。

ワタシがこれまで鑑賞した清水監督作品は、『有りがたうさん』(1936年)、『蜂の巣の子供たち』(1948年)、『小原庄助さん』(1949年)の3作のみかと思うが、いずれも写実的な中にもどこか飄々とした、おおらかな作風を感じた。

戦災孤児たち主人公とした『蜂の巣~』とともに、この『風の中の子供』もまた、子どもたちがスクリーンの中で活き活きと躍動し、ユーモア溢れる心あたたまる物語を紡いでいる。

ワクパク仲間と共に夏休みを満喫する喧嘩ばかりの兄弟(葉山正雄・爆弾小僧)。ところが父親(河村黎吉)の横領容疑で家族は苦境に陥り、弟・三平は叔父の家に預けられることになるが、そのワンパクは治まらずにとうとう家に返されてしまう…。

なんといって素晴らしいのは、まるで風が吹き抜けていくかのように広々とした家内のシーンだ。その広さは寸尺を指して言うのではない。仕切られた一つひとつの部屋は狭いはずなのに、とりはらわれた障子によって、家内は大広間のように使われ、開けれた窓やガラス戸から借景のように緑(モノクロだがそう見える)が映える。

低いカメラ位置はほぼ同じであるのに、小津監督がまるで箱庭のように家内を撮ったの比して、ここでの清水監督はまるで子どもたちの心象風景であるかのように、家の中に小宇宙に描く。

その奥行きを活かしたカメラワークは屋外のシーンでも同じで、子どもたちのワンパクぶりも、背景にある大きな自然にの中ではお釈迦様の掌に乗った孫悟空のように愛おしい。

三平の木登りやたらい舟での川流れも、大自然の(スクリーンの)中ではちっぽけな悪戯しか見えず、その“映画的”ダイナミズムが心地好い。

もちろん、三平ら家族を心底心配する叔父(坂本武)の心根や、喧嘩ばかりだった兄弟間に横たわる深い絆を写し出していることもまた、本作の魅力である。

ラストの、縁側越しの宴の様子を背景に、父と兄弟が相撲をとる場面でも、見事にスクリーンの奥行きを活かし、にじみ出る家族再会の喜びを表現し切っている。

『風の中の子供』の参考レビュー一覧(*タイトル文責は森口)
「子供の“言葉”を効果的に使う」--CinemaScape-映画批評空間-
「解放的な映像が『自由』を感じさせる」--最近気になること
「単純な人生のなかの事件をクローズアップして描く」--chim chim cheree ***diary
「清水監督は、構図の人」--寄り道カフェ
「計算されたショットに感心」--プロフェッサー・オカピーの部屋[別館]

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