【本】教育問題はなぜまちがって語られるのか?2011/02/10

教育問題はなぜまちがって語られるのか?―「わかったつもり」からの脱却 (どう考える?ニッポンの教育問題)教育問題はなぜまちがって語られるのか?―「わかったつもり」からの脱却 (どう考える?ニッポンの教育問題)
広田 照幸 伊藤 茂樹

日本図書センター 2010-09-16
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本書が生れるきっかけになったのは、中華料理屋での著者と編集者の会話からだという。
曰く、「教育学を勉強したい、教師になりたいといって大学に入学してくる学生に、社会学的なセンスがまったくなかったりするんだよねー(略)。ちゃんと社会科学的な視点を身につけて、教育の問題を考えてくれれば、と思うんだけどねー」という広田照幸氏のグチを受けて、編集子が「進学先を考えている高校生の人たちや、大学に入ってまもない大学生の人たちに、社会科学的な視点から教育問題を考えてもらうような、読みやすい本を作るというのは、どうですか」と提案し、「やるかー」となったそうなだ…。

このように本書は、端から読者対象を「若い読者」としているだけに、教育学者が書いたとは思えぬような(失礼)平易な言葉を、読者に語りかけるように綴るというスタイルが取られている。

そのうえで、本書の内容を換言すれば、次のひと言に尽きる。
「本書で若い読者のみなさんに伝えたかったことは、結局のところ、教育問題について『リテラシー』を高めることの大事さと、そのためには何が必要かということでした」

つまり本書は、一見、若者向けの軽いノリで書かれたように見せかけて、じつはあまたの“教育トンデモ論”を痛烈に批判する宣戦布告の書なのだ。

そのたたかいの前面に立つのが、快著『日本人のしつけは衰退したか』(子談社現代新書) をもって、無責任な家庭教育衰退論を緻密なデータ分析によって葬り去った広田氏だ。

その『日本人で~』でも駆使されたデータと冷静な論理の構築は、本書でも変わらぬスタンスとして読者にたたみかける。
例えば、犯罪学者・浜井浩一氏の調査を引きながら、「殺人事件の数そのものは増えていないのに、『凶悪な殺人』の事件報道が増えている」と指摘し、「みなさんが『凶悪な殺人事件が増えている』と考えているとすれば、それは『最近は、凶悪な殺人事件のニュースをたくさん耳にする』ということにすぎない」と、諭す。

また、「現代の家族は、人間関係が希薄化し、親子間のコミュニケーションが少なくなり、家庭の教育力が低下している」論についても、まったく正反対の調査結果を出ていることを掲げて、論破する。

そうした見事な手腕で、「思い込み「や「常識」を覆してみせるアプローチは、一瞬、謎解きミステリーを読んでいるかのような興奮を覚える。

そうして、広田氏は「解決策を考えたり議論したりする時に気をつけるべきこと」として、「(解決の)手段のなかに有効なものと無効なもの(さらにはかえって有害なもの)がある」「数字で立証できないものを『効果がない』と決めつけてはいけない」「教育の力を過信し過ぎてはいけない」「その手段が、別の困った事態をひき起こしてしまわないか」考えてみるべき、と説くのだ。

そう、これは「教育書」の体裁をとっているものの、社会なさまざまな問題に対する科学的アプローチや文字どおりリテラシーを論じた書でもなあるのだ。

冒頭に記したような若者向けの表現にかえって読みにくさを感じる人もいるだろう(ワタシもその一人)。また、多くのオトナにとって、目からウロコであると同時に、耳の痛くなる話も少なくない。
そんな痛くて、痛快な、多面的な側面から語られるべき一冊。

『教育問題はなぜまちがって語られるのか?』の参考レビュー一覧
(*タイトル文責は森口)
「教育議論の前提をとらえようとするユニークな教育書」--asahi.com(樋口大二氏)
「『教育問題への無理解』を批判するメタ言説本」--あれぐろ・こん・ぶりお
「教育問題の「トンデモ論」に対する『超』入門書」--先生解決ネット
「メディアリテラシーを強化する有効な本」--いぬの軌跡
「教育問題ではなく、情報リテラシーの本」--憂太郎の教育Blog

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