【イベント】NFCコレクションでみる 日本映画の歴史2011/02/09

NFCコレクションでみる 日本映画の歴史
東京・京橋にある東京国立近代美術館フィルムセンター(NFC)の常設展が「NFCコレクションでみる 日本映画の歴史」としてリニューアルされたのを機に、立ち寄ってみた(2月9日)。

今回の展示では、同センターが所蔵するポスター・写真・文献・映画機械・映画人の遺品といったいわゆるノンフィルムの多彩な資料を閲覧できるのが特長。
たしかに、今から100年以上も前に描かれたポスターや、大小さまざまな映写機、ワタシの敬愛する成瀬己喜男監督が『山の音』を撮る際に描いた精緻なセット図や間取り図など、映画ファン垂涎のコレクションが居並び、まさに日本映画の100年の歴史とその“豊かさ”を体感できる。

しかしながら、映画ファンの末席をケガすワタシなどは、それらの展示物以上に目が奪われるてしまうのは、会場各所に設けられたモニターに写し出される数々の映像群だ。

リュミエール兄弟シネマトグラフを開発したのが1894年。その数年後にはシネマトグラフ映写機が輸入され、明治期の貴重な日本の姿が撮影される。
1897年に撮影されたという稲刈りや足踏み水車の情景はおどろくほど鮮明だし、日本人によって初めて歌舞伎の舞台が撮影された『紅葉狩』(1897年)や、関東大震災(1923年)の被災の様子を収めたフィルムなど、興味深いものばかり。

さらに、『忠治旅日記』(伊藤大輔監督・1927年)や『忠臣蔵』(衣笠貞之助監督・1932年)など、なかなか観ることのできない“幻の作品”が、ここではいともたやすく目にすることができる。これは映画ファンとしては、本当にありがたい。

『アニメで越境する(日本映画は生きている)』(岩波書店)でもその歴史的意義が触れられていた日本アニメ創世記の作品『なまくら刀』(寺山純一監督・1917年)や『浦島太郎』(北山清太郎監督・1917年)、も上映されていて、さらに驚く。
予想以上になめらかな動きに、口や眉まで動かして表情を変え、影絵の手法を採り入れた作風など、その技術の高さに瞠目せざるをえない。

日本の映画史を工夫をもってまとめた展示だとは思うが、せっかくなら当時の映画館内を再現した展示や、映写機の横に巨匠(監督)たちの等身大パネルを立たせるなどすれば、もっと臨場感溢れた楽しい展示になったかと思う。
「テーマパークにはしたくない」というNFC側の意志の顕れかもしれないが、せっかくこの豊穣なる日本映画史に知ってもらうには、もっと平場での誘いがあってもいいような気がする。

それと、「1 日本映画のはじまり」から「7 日本のアニメーション映画」という7つのコーナー分けのなかで、6の「日本映画のひろがり」だけ順路を大きく逸脱し、会場外の展示になっているのはどうしたことだろう…?

併せて開催されている「NFC映画展覧会の15年 1995-2010」では、ロシア・アバンギャルドの影響を受けたアートなポスターや、『姿三四郎』『ゴジラ』『新幹線大爆破』の斬新なデザインの外国版ポスター、さらに地下鉄構内にでも貼りだしたのだろうか巨大なフランス映画のポスター、美術監督・水谷浩のセットや衣装などが、展示されている。

が、ワタシが目を奪われたのはセルゲイ・エイゼンシュテインからロシア語翻訳家・袋一平に当てられた書簡。先のリュミエール兄弟と日本との関わりといい、世界と日本の映画史との奇遇に感慨を禁じえない。

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