【本】アニメは越境する2010/12/18

アニメは越境する (日本映画は生きている)アニメは越境する (日本映画は生きている)
黒沢 清

岩波書店 2010-07-30
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岩波書店から刊行されているシリーズ「日本映画は生きている」 の第6巻で、アニメへの偏愛に満ちた“研究書”。

このシリーズ自体が「日本映画の全体像を、映画史のみならず社会学やメディア論の力を借りて、さまざまな視点から分析し素描」(はじめにより)するという壮大な謀(はかりごと)だが、本書もまた「映画史をアニメを導入する」として、「映画とアニメを均等に論ずる」という意欲的な試みだ。

その前のめりの意気込みを、本書の編集協力者である上野俊哉氏がまず「総論」として語り、続いて津堅信之氏が日本アニメの成り立ちを「日本の初期アニメーションの諸相と発達」で詳らかにしていく。
世界初のアニメーションが1906年につくられ、1910年代には日本でも輸入・公開された後、1917年には日本アニメ史の起点となる国産アニメが制作されていたことなど、ワタシの知らないことも多く(というかほとんど知らなかったことばかり)、現代に至るまでの日本アニメ発達史がくっきりと姿を現す。

さらに、中国、カナダ、アメリカ人ら海外の研究者も含めた筆者による、個別テーマの論考が続くわけだが、なにせ“研究書”なので読み解くのにもいささか骨が折れる。
しばしば、ドゥルーズ=ガタリが引用されるので、これらの研究者たちの多くが、ドゥルーズ=ガタリ・チルドレンなのやもしれぬが、「私たちはテクスチャの水準に、触覚的な空間に関する議論の中でジル・ドゥルーズフェリックス・ガタリが『近接像(close vision)』と呼んでいた現象を見出す。映画的な用語で言うなら、クローズアップが遠近法的な空間を廃止して物語の安定性を脅威にさらすと認められている限りにおいて、イメージのテクスチャは永続的なクローズアップの形式であると私たちは言うことができるだろう」(「デジタル・イメージの諸次元」マーク・スタインバーグ)などいった一文を目にしたりすると、思わずドン引きしてしまうワタシ(苦笑)。

このシリーズの他の諸作は未読なので何とも言えないが、そういう読者を想定しているのだろうか? もう少し平易な表現による、一般向けの“研究書”にならなかったものだろうか …。

それはさておき、ほかにも「宮崎駿アニメーションのストーリーテリング戦略」「フル・リミテッドアニメーション」などの興味深い論考が続く。
とりわけ韓国人研究者・朴己洙氏による「~戦略」では、宮崎アニメのキャラクター分析や空間の構図、さらには「英雄の旅物語構造と『もののけ姫』の物語展開比較」など、図表を多用した解析には、知的興奮を覚えざるを得なかった。
おそらくネット上も含めてさまざまな宮崎アニメ論渦巻くなかで、この分野に明るくないワタシには、韓国に、このような宮崎アニメの理解者が存在することに驚き、敬意を表するとともに、思わず嫉妬すら覚えるほど。

残念なのは、「細田守、絵コンテ、アニメの魂」(イアン・コンドリー)などで絵コンテや画像を使用して、興味深い考察を行っているのだが、掲載サイズが小さく、わかりにくい。
図版掲載にあたってはいろいろな制約もあったのかもしれないが、このあたりも“一般向け”とは言えず、もう少し工夫の余地があるのではあるまいか…。

◆『アニメは越境する』の参照レビュー
bibliophil

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