【コミック】作品集 このたびは ― 2010/12/11
![]() | 作品集このたびは (Feelコミックス) えすとえむ 祥伝社 2010-10-08 売り上げランキング : Amazonで詳しく見る by G-Tools |
えすとえむ氏はボーイズラブ系のマンガ家らしいが、本作で描かれているのは“男女”や“家族”の切なく、ときにほんのりとした愛情だ。
なかなか結婚に踏み切れないイケメン好きと草食系男子のそわそわとした結婚綺譚、遠距離恋愛中の二人が“祭り”を通じてふれあう人びとの思い、相いれなかった父親と入院を機に“出会う”娘の心の揺れ、互いに心に傷を持つ姉妹の“邂逅、彼女の祖母の葬儀に参じたフリーター君の密かな心象風景…。
こう記していくと、なにかドラスティックな展開が起きていそうな作品群だが、いずれの物語も大きな起伏はなく、流れる時間もゆったりとしている。そうしたゆったりとしたリズムのなかで、登場人物たちの心境の変化が無理なく綴られる。
そう、この作品集を通奏するのは、ここに登場する人たちが、迷い、戸惑い、怒り、諦めを経たあとに発見する、小さな心の安寧だ。
そして、それは次の「始まり」をもたらす静かな予感でもある。
この心のひだを丁寧に撫でるかのような短編の名手によって、ワタシたちもまた、その「予感」を共有し、一篇ごとにその小さな幸福感が心を満たす。
いわゆる少女マンガの絵のタッチが苦手なワタシは、この分野のいい読み手ではないと思うが、落ち着いたタッチと効果的なコマ割りで、その作品世界に浸ることを拒まない。
「ふつつかものですが…」「このたびは…」…。
登場人物が口にする、なんともない挨拶や言葉の端々が、やさぐれた日常に小さな灯をともしてくれる。それもまたワタシの涙腺を刺激してやまない。
◆『作品集 このたびは』の参考レビュー
asahi.com(南信長)
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【ダンス】加藤みや子ダンススペース「SAND TOPOS」 ― 2010/12/12
“ブラジル凱旋公演”と謳われた「加藤みや子ダンススペース」による笠井叡、伊藤キム、加藤各氏共演の「SAND TOPOS」を観る(新国立劇場 小劇場・12月11日)。
豊かな響きで奏でられるチェロ(林峰男)に耳を奪われていると、やがて暗がりのステージ奥から逆光に照らし出され、ゆっくりと床から這い出してきた3人のダンサー(笠井端丈 岩渕貞太 畦地亜耶加)。
まるでカフカの『変身』をこの目で見るかのように、“虫”のようにうごめく3体は、やがて天上に吊るされたシャンデリアのような器からこぼれ落ちる砂のステージへと進む。
そして、ステージに奥にしつらわれた調度品のような椅子とテーブルを、この日の主役たち(笠井、伊藤、加藤)がやおら囲み、なにやら密談の風。
彼、彼女たちが、いったい何者なのか、公演パンフには“家族”と記されているが、怪しげな“賊”か、何かを企てをたくらむ輩のようにも見える。
そしてまた、先に現れた若き3人のダンサーは、砂の“化身”なのか、“精霊”なのか、はたまた“悪霊”なのか、これまた判然としない…。
ここは砂上の楼閣か、ここで目にするものは蜃気楼か、幻影なのか…。
こうして舞台は、謎めいた空気を漂うわせながら始まる。
ワタシの興味は当然のことながら、この日の主役たちの“絡み”なのだが、3氏ともソロ・ダンサーとしてすでにその名を馳せているだけに、序盤はまるでオムニバス公演のようなスタイルで、各自がソロで見せ場をつくる。
しかし、やがて3氏が“絡み”だすと、舞台の妖気がぐっと濃厚になる。
日舞やフラメンコのような動きも魅せる加藤に、伊藤が舞踏出身らしい動きでそれに応える。続く、長い手足を活かしフラメンコ・ダンサーのように舞う笠井と加藤の絡みも妖艶であったが、笠井×伊藤が組み合わさると、さらに色気が放たれる。
男色さながらにしなう二人の後方で、これまた妖気を漂わせながら、しゃなりしゃなりと歩き去る加藤を借景としたこの場面が、ワタシは最も印象に残った。
最後は、砂塵舞うステージに、6人のダンサーが身をくねらせながら走り、舞い、踊り、やがてそれは、まるで砂上の白昼夢であったかのように、消えていく…。
ワタシは、ダンスについて語れる資質は持ち合わせていないので、この異才たちが今回の“ダンス・セッション”でどの程度、その実力を出しきったのかはわからない。また、どこまで“ダンス・ケミストリー”が創世されたのかも判ずることができないのだが、身体のみで、無言の“物語”を紡ぐというダンスならではの表現は、堪能することができた。
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豊かな響きで奏でられるチェロ(林峰男)に耳を奪われていると、やがて暗がりのステージ奥から逆光に照らし出され、ゆっくりと床から這い出してきた3人のダンサー(笠井端丈 岩渕貞太 畦地亜耶加)。
まるでカフカの『変身』をこの目で見るかのように、“虫”のようにうごめく3体は、やがて天上に吊るされたシャンデリアのような器からこぼれ落ちる砂のステージへと進む。
そして、ステージに奥にしつらわれた調度品のような椅子とテーブルを、この日の主役たち(笠井、伊藤、加藤)がやおら囲み、なにやら密談の風。
彼、彼女たちが、いったい何者なのか、公演パンフには“家族”と記されているが、怪しげな“賊”か、何かを企てをたくらむ輩のようにも見える。
そしてまた、先に現れた若き3人のダンサーは、砂の“化身”なのか、“精霊”なのか、はたまた“悪霊”なのか、これまた判然としない…。
ここは砂上の楼閣か、ここで目にするものは蜃気楼か、幻影なのか…。
こうして舞台は、謎めいた空気を漂うわせながら始まる。
ワタシの興味は当然のことながら、この日の主役たちの“絡み”なのだが、3氏ともソロ・ダンサーとしてすでにその名を馳せているだけに、序盤はまるでオムニバス公演のようなスタイルで、各自がソロで見せ場をつくる。
しかし、やがて3氏が“絡み”だすと、舞台の妖気がぐっと濃厚になる。
日舞やフラメンコのような動きも魅せる加藤に、伊藤が舞踏出身らしい動きでそれに応える。続く、長い手足を活かしフラメンコ・ダンサーのように舞う笠井と加藤の絡みも妖艶であったが、笠井×伊藤が組み合わさると、さらに色気が放たれる。
男色さながらにしなう二人の後方で、これまた妖気を漂わせながら、しゃなりしゃなりと歩き去る加藤を借景としたこの場面が、ワタシは最も印象に残った。
最後は、砂塵舞うステージに、6人のダンサーが身をくねらせながら走り、舞い、踊り、やがてそれは、まるで砂上の白昼夢であったかのように、消えていく…。
ワタシは、ダンスについて語れる資質は持ち合わせていないので、この異才たちが今回の“ダンス・セッション”でどの程度、その実力を出しきったのかはわからない。また、どこまで“ダンス・ケミストリー”が創世されたのかも判ずることができないのだが、身体のみで、無言の“物語”を紡ぐというダンスならではの表現は、堪能することができた。
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【演劇】毛皮族『小さな恋のエロジー』 ― 2010/12/13
「劇団、江本純子」で、そのセリフ劇の才能にワタシも注目した江本純子氏率いる「毛皮族」の10周年記念公演『小さな恋のエロジー』を観劇(12月12日・下北沢駅前劇場)。
劇団のプロフィールを読むと、かつてこの駅前劇場で史上初の1カ月ロングラン公演を行ったというだけあって、この劇団への高い人気と期待感だろうか、男女入り乱れた客席は開演前から上気が立ち上る。
桟敷席に座る客には、首からすっぽりかぶれるビニール(レインコート?)が配られ、それも何事が起こるのかと期待感をあおる。
舞台には、“汚し”の入ったバラックが建てられ、バケツや段ボール箱やらが雑然と転がる。そこにかすかに流れる韓国語の歌。それもお洒落なK-POPではなく、この舞台に似合うチープ感漂うポンチャック歌謡が…。
この『焼肉ドラゴン』を思わせるようなセットをバックに、舞台は幕を明ける。
ハワイ旅行の「当りくじ」を当てた在日(?)韓国人姉妹の騒動を端に発したストーリーは、謎めいた連続殺人事件へと様相を変え、極貧にあえぐ“うっかり妻”と夫の作業場、女殺し屋らが踊り狂うクラブ、殺しを依頼した男の家庭、そして、姉妹のルームメイトであるOLの職場…など、いくつもの異なる場面が次々と転換されるなかで、やがて“物語”はダイナミズム溢れるラストへと向かっていく。
終盤はバラックがハケた舞台に雪が舞い、吹雪のなかで銃撃・追走劇が繰り広げられるのだが、ストーリーそのものは特筆すべきものでもなく、多層的な場面転換やエンターテイメント感溢れる劇的ドラマトゥルギーを支えるためツールでしかないように思える。
意外だったのは、そのテイストがかつてのアングラ劇を彷彿させるもので、78年生れの江本氏がそれらにどのように影響を受けたのか、はたまたまったくの突然変異なのか?
そして、「芝居」の幕が閉じると、舞台は一転して女優たちの華やかなレビュー・ステージへと換わる。着物をはだけた半裸に星形ニプレスの女子たちが舞い踊り、KARAに扮して歌い、弾ける。まるで学園祭のようなノリで、熱と汗を振りまく。最後は、江本団長よるドスの効いた韓国歌謡で、ビシッと〆た。
もしかすると、これをやりたいがために、今まで「芝居」を演じていたのかと勘繰るほどの、祝祭感溢れるエンディングだった。
「毛皮族」は女性だけの劇団ではないが、“女性が主役”の劇団であることは間違いない。もちろん宝塚を始め、今も数々の女性劇団が活躍しているが、こと小劇場運動に限っていえば、最初に女性劇団として注目を集めたのは74年に結成された「青い鳥」ではないかと思う。
しかし、リブの運動から生れた(と聞いている)「青い鳥」には、どこかジェンダーフリーな表現が感じられたが、「毛皮族」は露悪的とも思えるほど、「女性性」を強調する(…かのようにワタシには見える)。
なにしろ舞台では、やたら女優がパンツを見せ…どころかわざわざ脱がしたり、胸をはだけたり、男性器(のダミー)を出し入れしたり、エロトークを繰り広げたりと、“サービス精神”満載だ。
もちろんこれは、特定の“異性”に向けたサービスではないことは、客席を埋めた若い女性客がコロコロと笑い転げていたことからも明らかだ。
これも、「青い鳥」以降、如月小春や渡辺えり子といった様々なジェンダーフリー作家・演出家を輩出し続けた「女性演劇」が獲得した、ひとつの“成果”なのだろうか。
ワタシはそこに、自らの“性”を肯定し、返す刀でそれを軽々と笑いとばす、“自分さらし”な女性たちのしたたかな姿を見る。
このあたりのジェンダーと現代演劇の関わりについては、ぜひ斎藤美奈子氏あたりの意見も聞いてみたい。そうそう、「市堂令」さんにも…。
◆毛皮族『小さな恋のエロジー』の参考レビュー
劇団天野屋 part3
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劇団のプロフィールを読むと、かつてこの駅前劇場で史上初の1カ月ロングラン公演を行ったというだけあって、この劇団への高い人気と期待感だろうか、男女入り乱れた客席は開演前から上気が立ち上る。
桟敷席に座る客には、首からすっぽりかぶれるビニール(レインコート?)が配られ、それも何事が起こるのかと期待感をあおる。
舞台には、“汚し”の入ったバラックが建てられ、バケツや段ボール箱やらが雑然と転がる。そこにかすかに流れる韓国語の歌。それもお洒落なK-POPではなく、この舞台に似合うチープ感漂うポンチャック歌謡が…。
この『焼肉ドラゴン』を思わせるようなセットをバックに、舞台は幕を明ける。
ハワイ旅行の「当りくじ」を当てた在日(?)韓国人姉妹の騒動を端に発したストーリーは、謎めいた連続殺人事件へと様相を変え、極貧にあえぐ“うっかり妻”と夫の作業場、女殺し屋らが踊り狂うクラブ、殺しを依頼した男の家庭、そして、姉妹のルームメイトであるOLの職場…など、いくつもの異なる場面が次々と転換されるなかで、やがて“物語”はダイナミズム溢れるラストへと向かっていく。
終盤はバラックがハケた舞台に雪が舞い、吹雪のなかで銃撃・追走劇が繰り広げられるのだが、ストーリーそのものは特筆すべきものでもなく、多層的な場面転換やエンターテイメント感溢れる劇的ドラマトゥルギーを支えるためツールでしかないように思える。
意外だったのは、そのテイストがかつてのアングラ劇を彷彿させるもので、78年生れの江本氏がそれらにどのように影響を受けたのか、はたまたまったくの突然変異なのか?
そして、「芝居」の幕が閉じると、舞台は一転して女優たちの華やかなレビュー・ステージへと換わる。着物をはだけた半裸に星形ニプレスの女子たちが舞い踊り、KARAに扮して歌い、弾ける。まるで学園祭のようなノリで、熱と汗を振りまく。最後は、江本団長よるドスの効いた韓国歌謡で、ビシッと〆た。
もしかすると、これをやりたいがために、今まで「芝居」を演じていたのかと勘繰るほどの、祝祭感溢れるエンディングだった。
「毛皮族」は女性だけの劇団ではないが、“女性が主役”の劇団であることは間違いない。もちろん宝塚を始め、今も数々の女性劇団が活躍しているが、こと小劇場運動に限っていえば、最初に女性劇団として注目を集めたのは74年に結成された「青い鳥」ではないかと思う。
しかし、リブの運動から生れた(と聞いている)「青い鳥」には、どこかジェンダーフリーな表現が感じられたが、「毛皮族」は露悪的とも思えるほど、「女性性」を強調する(…かのようにワタシには見える)。
なにしろ舞台では、やたら女優がパンツを見せ…どころかわざわざ脱がしたり、胸をはだけたり、男性器(のダミー)を出し入れしたり、エロトークを繰り広げたりと、“サービス精神”満載だ。
もちろんこれは、特定の“異性”に向けたサービスではないことは、客席を埋めた若い女性客がコロコロと笑い転げていたことからも明らかだ。
これも、「青い鳥」以降、如月小春や渡辺えり子といった様々なジェンダーフリー作家・演出家を輩出し続けた「女性演劇」が獲得した、ひとつの“成果”なのだろうか。
ワタシはそこに、自らの“性”を肯定し、返す刀でそれを軽々と笑いとばす、“自分さらし”な女性たちのしたたかな姿を見る。
このあたりのジェンダーと現代演劇の関わりについては、ぜひ斎藤美奈子氏あたりの意見も聞いてみたい。そうそう、「市堂令」さんにも…。
◆毛皮族『小さな恋のエロジー』の参考レビュー
劇団天野屋 part3
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【映画】ある殺し屋 ― 2010/12/14
『ある殺し屋』(1967年・監督:森一生)
『薄桜記』(1959年)で市川雷蔵とタッグを組んだ森一生監督による傑作フィルムノワール。本作で再び雷蔵と組んだ森監督は、雷蔵を非情な「殺し屋」に仕立て、特異な現代劇を創り上げた。
墓地裏の荒涼たる荒れ地に、廃墟のように立つアパート。
ここを一人訪れ、部屋を借りたい、と言う男。市川雷蔵。
その男のもとへ、はすっぱな女・野川由美子が転がり込む。
この二人は恋人か、兄妹か、はたまた…。
というように、冒頭から謎めいたシーンで一気に観る者を引き込む手練が冴える。
すでにここに犯罪の匂いが漂い、ワタシたちは「殺し屋」というノワールな世界に浸ることができる。
そして、場面は殺し屋・雷蔵と、女(野川)の出会いに遡り、殺し屋家業を欺く仮の姿・飲み屋の亭主を装う雷蔵。画面からピリピリとした妖気が立ち上がり、やがてヤクザの親分から依頼された殺しで、「殺し屋」としての見事な“技”が披露される。
殺しを依頼したヤクザの成田三喜夫は、雷蔵に手下にしてくれと懇願するが、やがて女とただならぬ仲となる。二人は雷蔵に儲け仕事を持ち込むが、そこにはある陰謀が…。
といったストーリーが展開するのだが、雷蔵はあくまでもクールな面持ちを保ち、フィルムはあくまでもスタイリッシュを貫き通す。
『紅の流れ星』(1957年・桝田利雄監督)、『東京流れ者』(1966年・鈴木清順監督)、『殺しの烙印』(1967年・鈴木清順監督)、そして本作。
かつて日本映画にこんな不敵なフィルムノワール群があったことを、不遜にもワタシは最近まで知らなかった。
これらの作品は例えば、「キネマ旬報」の年間ベストテンなどには挙がっていない。しかし、積年の映画ファンの支持を得て、またDVD化などによるアーカイブ化によって、改めて評価すべき作品として浮上している。
音楽の世界でもかつて、クラブDJや“幻の名盤解放同盟”らの活動によって、あまたの過去作品に再び光が当てられて、従来とは異なる角度からの評価が与えられるなどのムーブメントが起こった。
日本に映画が誕生して110余年。
なんとか活況を保つ今のうちに、邦画の世界でも、「映画秘宝」に連なる“幻の名作解放同盟”運動が、さらに必要になってくるのではあるまいか…。
そんな思いを抱かせる逸作であった。
◆『ある殺し屋』の参照レビュー一覧
良い映画を褒める会。
SummaArs 藝術大全
愛すべき映画たち
本日ハ晴天ナリ
西沢千晶のシネマ日記+
ときどき映画館日記
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『薄桜記』(1959年)で市川雷蔵とタッグを組んだ森一生監督による傑作フィルムノワール。本作で再び雷蔵と組んだ森監督は、雷蔵を非情な「殺し屋」に仕立て、特異な現代劇を創り上げた。
墓地裏の荒涼たる荒れ地に、廃墟のように立つアパート。
ここを一人訪れ、部屋を借りたい、と言う男。市川雷蔵。
その男のもとへ、はすっぱな女・野川由美子が転がり込む。
この二人は恋人か、兄妹か、はたまた…。
というように、冒頭から謎めいたシーンで一気に観る者を引き込む手練が冴える。
すでにここに犯罪の匂いが漂い、ワタシたちは「殺し屋」というノワールな世界に浸ることができる。
そして、場面は殺し屋・雷蔵と、女(野川)の出会いに遡り、殺し屋家業を欺く仮の姿・飲み屋の亭主を装う雷蔵。画面からピリピリとした妖気が立ち上がり、やがてヤクザの親分から依頼された殺しで、「殺し屋」としての見事な“技”が披露される。
殺しを依頼したヤクザの成田三喜夫は、雷蔵に手下にしてくれと懇願するが、やがて女とただならぬ仲となる。二人は雷蔵に儲け仕事を持ち込むが、そこにはある陰謀が…。
といったストーリーが展開するのだが、雷蔵はあくまでもクールな面持ちを保ち、フィルムはあくまでもスタイリッシュを貫き通す。
『紅の流れ星』(1957年・桝田利雄監督)、『東京流れ者』(1966年・鈴木清順監督)、『殺しの烙印』(1967年・鈴木清順監督)、そして本作。
かつて日本映画にこんな不敵なフィルムノワール群があったことを、不遜にもワタシは最近まで知らなかった。
これらの作品は例えば、「キネマ旬報」の年間ベストテンなどには挙がっていない。しかし、積年の映画ファンの支持を得て、またDVD化などによるアーカイブ化によって、改めて評価すべき作品として浮上している。
音楽の世界でもかつて、クラブDJや“幻の名盤解放同盟”らの活動によって、あまたの過去作品に再び光が当てられて、従来とは異なる角度からの評価が与えられるなどのムーブメントが起こった。
日本に映画が誕生して110余年。
なんとか活況を保つ今のうちに、邦画の世界でも、「映画秘宝」に連なる“幻の名作解放同盟”運動が、さらに必要になってくるのではあるまいか…。
そんな思いを抱かせる逸作であった。
◆『ある殺し屋』の参照レビュー一覧
良い映画を褒める会。
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愛すべき映画たち
本日ハ晴天ナリ
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【映画】アルゼンチンタンゴ 伝説のマエストロたち ― 2010/12/15
『アルゼンチンタンゴ 伝説のマエストロたち』(2008年・監督:ミゲル・コアン)
ハイライトは、やはりラスト30分のコンサート・シーンだろう。
老マエストロたちの超絶、名演、名唱と呼べる白熱の演奏・歌が、めくるめく繰り広げられるステージ。アルゼンチンタンゴの黄金時代を築いたスターたちによる“夢の競演”。
これぞ本作の真骨頂といえる。
しかしながら、そこに至るまでの本作にはいくつかの不満がある。
タンゴと言えば、ワタシもいくつかの盤は耳にしてきたかと思うが、たぶんに住宅事情もあり、わが家のCD棚に残ったのは、わずかに洒脱溢れる歴史的名歌手・カルロス・ガルデルと、タンゴの革新者アストル・ピアソラのそれのみ。
本作であまた登場する“名匠”たちにしても、ワタシが識るのはファン・ダリエンソ、オスバルド・プグリエーセくらい。したがって、彼、彼女らがいかにタンゴ界に功績を残し、どのような位置にいたのか、スクリーン上の情報のみではワタシには見当もつかない。
第一の不満は、そうした登場人物たちの説明不足にある。
アルゼンチン国民、もしくはタンゴ・ファンならば垂涎の名匠オールスターズなのかもしれないが、そのあたりの紹介がされないのは“映画”としてあまりに不親切ではあるまいか。
さらに、本作はコンサート・フィルムではなく、音楽ドキュメンタリーのはずだ。
かつてのスターたちがタンゴ黄金時代を郷愁するだけでなく、それがどのように生まれ、どのように社会や文化に影響を与えるなどしたか、歴史的・社会的な考察を交えた、もう少し突っ込んだ“つくり”が出来なかったものか。
たとえば、コンサートの幕開けで「西欧音楽の影響を受けなかった魂の音楽」という紹介MCが入るが、ピアノの奏法やベルカント唱法など明らかにクラシックの影響を受けているし、ワタシの耳にはジャズやブラジル音楽、ユパンキなどのフォルクローレ音楽、さらにはフラメンコなどからの影響も感じられた。
事実、ウルグアイ出身の女性歌手ラグリマ・リオスは本作の中で、カンドンベ(ウルグアイのアフリカ系音楽)との近似性についても語っている。
ジャズと並んで、1920~40年代に世界的に支持された“世界音楽”としてタンゴのグローバリズムを、もう少し探ってほしかった。そして、それがやがて衰退した意味も…。
本作は、キューバ音楽の“伝説”たちを蘇らせてみせた『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』のタンゴ版とも評されているようだが、『ブエナ~』がライ・クーダーという最良のナビゲーターを得て、彼によって“発見”された老人たちが、ステージに上がるやいなやスーザン・ボイルばりに驚愕の名演・名唱を魅せる点がじつにドラマティックだった。
本作は、マエストロたちが結集したレコーディングを契機にしたプロジェクトのためか、酒場での独唱やレコーディング風景がいくつも挿入され、そうしたドラマ性もやや希薄だ。
だが、そうした不満をもってしても、奏でられる音楽はどれも素晴らしい。それだけに、コンサートシーンでの演奏途中カットが多い点も気になった。
◆『アルゼンチンタンゴ 伝説のマエストロたち』の参照レビュー一覧
映画瓦版
映画通信シネマッシモ
LOVE Cinemas 調布
...旅とリズム...旅の日記 by 栗本斉
シュミットさんにならない法 映画編
Cafe Opal
Tower Record Online(佐藤由美氏)
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ハイライトは、やはりラスト30分のコンサート・シーンだろう。
老マエストロたちの超絶、名演、名唱と呼べる白熱の演奏・歌が、めくるめく繰り広げられるステージ。アルゼンチンタンゴの黄金時代を築いたスターたちによる“夢の競演”。
これぞ本作の真骨頂といえる。
しかしながら、そこに至るまでの本作にはいくつかの不満がある。
タンゴと言えば、ワタシもいくつかの盤は耳にしてきたかと思うが、たぶんに住宅事情もあり、わが家のCD棚に残ったのは、わずかに洒脱溢れる歴史的名歌手・カルロス・ガルデルと、タンゴの革新者アストル・ピアソラのそれのみ。
本作であまた登場する“名匠”たちにしても、ワタシが識るのはファン・ダリエンソ、オスバルド・プグリエーセくらい。したがって、彼、彼女らがいかにタンゴ界に功績を残し、どのような位置にいたのか、スクリーン上の情報のみではワタシには見当もつかない。
第一の不満は、そうした登場人物たちの説明不足にある。
アルゼンチン国民、もしくはタンゴ・ファンならば垂涎の名匠オールスターズなのかもしれないが、そのあたりの紹介がされないのは“映画”としてあまりに不親切ではあるまいか。
さらに、本作はコンサート・フィルムではなく、音楽ドキュメンタリーのはずだ。
かつてのスターたちがタンゴ黄金時代を郷愁するだけでなく、それがどのように生まれ、どのように社会や文化に影響を与えるなどしたか、歴史的・社会的な考察を交えた、もう少し突っ込んだ“つくり”が出来なかったものか。
たとえば、コンサートの幕開けで「西欧音楽の影響を受けなかった魂の音楽」という紹介MCが入るが、ピアノの奏法やベルカント唱法など明らかにクラシックの影響を受けているし、ワタシの耳にはジャズやブラジル音楽、ユパンキなどのフォルクローレ音楽、さらにはフラメンコなどからの影響も感じられた。
事実、ウルグアイ出身の女性歌手ラグリマ・リオスは本作の中で、カンドンベ(ウルグアイのアフリカ系音楽)との近似性についても語っている。
ジャズと並んで、1920~40年代に世界的に支持された“世界音楽”としてタンゴのグローバリズムを、もう少し探ってほしかった。そして、それがやがて衰退した意味も…。
本作は、キューバ音楽の“伝説”たちを蘇らせてみせた『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』のタンゴ版とも評されているようだが、『ブエナ~』がライ・クーダーという最良のナビゲーターを得て、彼によって“発見”された老人たちが、ステージに上がるやいなやスーザン・ボイルばりに驚愕の名演・名唱を魅せる点がじつにドラマティックだった。
本作は、マエストロたちが結集したレコーディングを契機にしたプロジェクトのためか、酒場での独唱やレコーディング風景がいくつも挿入され、そうしたドラマ性もやや希薄だ。
だが、そうした不満をもってしても、奏でられる音楽はどれも素晴らしい。それだけに、コンサートシーンでの演奏途中カットが多い点も気になった。
◆『アルゼンチンタンゴ 伝説のマエストロたち』の参照レビュー一覧
映画瓦版
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【CD】中島美嘉/STAR ― 2010/12/16
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声量や声域があるわけでもないし、ヴォイス・コントロールに長けているわけでもない。
しかし、宇多田ヒカルがそうであるように、確固たる自分の歌世界を持ち、その世界に聴く者を引き込む不思議なチカラがある。
その“セツナイ”の歌唱が、中島がつむぐ歌世界と相まって、儚い夢を魅せてくれる。そこが中島の魅力だと、ワタシは思う。
その中島が自身の歌世界に確信を持った(?)、自身に満ちた6作目『STAR』。
アルバムを貫くテーマは、“生きる強さ”か。
全14曲のうち8曲を中島の自作詩が占める。
①「ALWAYS」、②「一番綺麗な私を」、③BABY BABY BABY」と続く冒頭のバラード3曲で、すでに“セツナサ”満開の中島ワールド。
「光輝くために、今を生きていこう」と歌いかける前向きソング④「Over Load」、K-POPを思わせる軽快な⑤「GAME」、ファンキーな⑥「SMILEY」、山口百恵を彷彿させる歌唱が印象的な⑦「CANDY GIRL」、重厚なエロクトロニカ⑧「LONELY STAR」、 ダンシーかつストリングスが映える⑨「No Answer」、ハウス風の⑩「SPIRAL」、オーガニックなダンスナンバー⑪Memory(feat.DAISHIDANCE)、中島が16歳の時の思いを綴った⑫「16」、そしてキュートなロマンチック・バラード⑬「流れ星」と続き、最後はピアノとチェロ、コントラバスのみで見事に中島ワールドを構築した⑭「SONG FOR A WISH」で、このアルバムはしっとりと幕を閉じる。
そうした中島の歌世界を彩るサウンド群は、けっして時代に即したエッジ感溢れるものではない。むしろ徹頭徹尾、中島の歌を生かすために、クリエーターたちが細心の技を注いだ“引き”の音、という印象。
CMやテレビなどのタイアップ・ソングが多いためか、やや統一感に欠ける散漫なイメージも受けるが、それを凌駕する中島の自信に満ちた歌世界に浸れる一枚。
「耳」の治療に専念するために、歌手休業をしている中島だが、ゆっくりと休養・治療して、またあの素晴らしい歌世界にワタシたちを連れて行ってほしいと思う。
『STAR』 アルバムダイジェスト PV↓
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【本】アニメは越境する ― 2010/12/18
![]() | アニメは越境する (日本映画は生きている) 黒沢 清 岩波書店 2010-07-30 売り上げランキング : 153727 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
このシリーズ自体が「日本映画の全体像を、映画史のみならず社会学やメディア論の力を借りて、さまざまな視点から分析し素描」(はじめにより)するという壮大な謀(はかりごと)だが、本書もまた「映画史をアニメを導入する」として、「映画とアニメを均等に論ずる」という意欲的な試みだ。
その前のめりの意気込みを、本書の編集協力者である上野俊哉氏がまず「総論」として語り、続いて津堅信之氏が日本アニメの成り立ちを「日本の初期アニメーションの諸相と発達」で詳らかにしていく。
世界初のアニメーションが1906年につくられ、1910年代には日本でも輸入・公開された後、1917年には日本アニメ史の起点となる国産アニメが制作されていたことなど、ワタシの知らないことも多く(というかほとんど知らなかったことばかり)、現代に至るまでの日本アニメ発達史がくっきりと姿を現す。
さらに、中国、カナダ、アメリカ人ら海外の研究者も含めた筆者による、個別テーマの論考が続くわけだが、なにせ“研究書”なので読み解くのにもいささか骨が折れる。
しばしば、ドゥルーズ=ガタリが引用されるので、これらの研究者たちの多くが、ドゥルーズ=ガタリ・チルドレンなのやもしれぬが、「私たちはテクスチャの水準に、触覚的な空間に関する議論の中でジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリが『近接像(close vision)』と呼んでいた現象を見出す。映画的な用語で言うなら、クローズアップが遠近法的な空間を廃止して物語の安定性を脅威にさらすと認められている限りにおいて、イメージのテクスチャは永続的なクローズアップの形式であると私たちは言うことができるだろう」(「デジタル・イメージの諸次元」マーク・スタインバーグ)などいった一文を目にしたりすると、思わずドン引きしてしまうワタシ(苦笑)。
このシリーズの他の諸作は未読なので何とも言えないが、そういう読者を想定しているのだろうか? もう少し平易な表現による、一般向けの“研究書”にならなかったものだろうか …。
それはさておき、ほかにも「宮崎駿アニメーションのストーリーテリング戦略」「フル・リミテッドアニメーション」などの興味深い論考が続く。
とりわけ韓国人研究者・朴己洙氏による「~戦略」では、宮崎アニメのキャラクター分析や空間の構図、さらには「英雄の旅物語構造と『もののけ姫』の物語展開比較」など、図表を多用した解析には、知的興奮を覚えざるを得なかった。
おそらくネット上も含めてさまざまな宮崎アニメ論渦巻くなかで、この分野に明るくないワタシには、韓国に、このような宮崎アニメの理解者が存在することに驚き、敬意を表するとともに、思わず嫉妬すら覚えるほど。
残念なのは、「細田守、絵コンテ、アニメの魂」(イアン・コンドリー)などで絵コンテや画像を使用して、興味深い考察を行っているのだが、掲載サイズが小さく、わかりにくい。
図版掲載にあたってはいろいろな制約もあったのかもしれないが、このあたりも“一般向け”とは言えず、もう少し工夫の余地があるのではあるまいか…。
◆『アニメは越境する』の参照レビュー
bibliophil
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【アート】池田学展『焦点』 ― 2010/12/19
以前『ビッグ・イシュー』に紹介された、その異様な迫力に魅せられ、いつか実際にその絵を見てみたい思っていた池田学氏の個展が開かれている。その池田学展『焦点』に足を運ぶ(12月18日・ミヅマアートギャラリー)。
中空に巨大な難破船が横たわる港を描いた「蒸発」に始まり、列車を飲み込み箱状となってとぐろを巻く巨大な蛇「とぐろ」、天国の階段を思わせる海の層「海の階段」、液状化した古代生物のような巨大なカタツムリ「梅雨虫」、荒海にぽっかりと空いた四角い穴から見渡す夜の大都会「Gate」(上記掲載画像)、など、20作品が並ぶ。
池田氏の絵の特徴は、とにかくその緻密さにある。紙にペンとインクだけで描いているとは信じられないくらいの情報がぎっりしりと詰まる。
例えば、「命の飛沫」では排水口からタツノオトシゴやらガイコツやら不思議な形状の無数の生き物たちが、吐き出されていく様を描いているのだが、これがまたメチャ細かい。
また、「降り積む」では、これまた小さな無数のしゃれこうべが雪の結晶となって降り積む様を描いている。
これらの気の遠くなるような作業を経て、池田氏が脳内で爆発した奇天烈で幻想的な空間・場面が、ワタシたちの目の前に立ち現れるのだ。
その壮大な世界観は、宮崎アニメや大友克洋、あるいはロジャー・ディーンからの影響もほの見える。
浮遊する巨木の支柱根下に水がたたえられ、人・魚が住み、恐竜の化石らしきものを見られる「地下の種」は、“ラピュタ”を思わせるし、“腐海”の地下を思わせる氷柱の森を飛行機がゆく「氷窟」や、地球となった王蟲(オーム)のような巨大な虫と、それを守るかのように警護する虫たちを描いた「渦虫」に、“風の谷”を想起するのはワタシだけではないだろう。
ただ今回の個展では、これまでの「興亡史」(2006年)や「予兆」(2008年)などの代表作が巨大なキャンパスに描かれていたのに対し、すべて22×27cmという小さな作品だったので、少々拍子抜け。
そうした意味では、今回の個展に併せて刊行された『池田学画集1』
を併読することで、その緻密さと迫力が堪能できることと思う。
◆池田学展『焦点』の参照レビュー一覧
Tokyo Art Beat
称猫庵
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中空に巨大な難破船が横たわる港を描いた「蒸発」に始まり、列車を飲み込み箱状となってとぐろを巻く巨大な蛇「とぐろ」、天国の階段を思わせる海の層「海の階段」、液状化した古代生物のような巨大なカタツムリ「梅雨虫」、荒海にぽっかりと空いた四角い穴から見渡す夜の大都会「Gate」(上記掲載画像)、など、20作品が並ぶ。
池田氏の絵の特徴は、とにかくその緻密さにある。紙にペンとインクだけで描いているとは信じられないくらいの情報がぎっりしりと詰まる。
例えば、「命の飛沫」では排水口からタツノオトシゴやらガイコツやら不思議な形状の無数の生き物たちが、吐き出されていく様を描いているのだが、これがまたメチャ細かい。
また、「降り積む」では、これまた小さな無数のしゃれこうべが雪の結晶となって降り積む様を描いている。
これらの気の遠くなるような作業を経て、池田氏が脳内で爆発した奇天烈で幻想的な空間・場面が、ワタシたちの目の前に立ち現れるのだ。
その壮大な世界観は、宮崎アニメや大友克洋、あるいはロジャー・ディーンからの影響もほの見える。
浮遊する巨木の支柱根下に水がたたえられ、人・魚が住み、恐竜の化石らしきものを見られる「地下の種」は、“ラピュタ”を思わせるし、“腐海”の地下を思わせる氷柱の森を飛行機がゆく「氷窟」や、地球となった王蟲(オーム)のような巨大な虫と、それを守るかのように警護する虫たちを描いた「渦虫」に、“風の谷”を想起するのはワタシだけではないだろう。
ただ今回の個展では、これまでの「興亡史」(2006年)や「予兆」(2008年)などの代表作が巨大なキャンパスに描かれていたのに対し、すべて22×27cmという小さな作品だったので、少々拍子抜け。
そうした意味では、今回の個展に併せて刊行された『池田学画集1』
◆池田学展『焦点』の参照レビュー一覧
Tokyo Art Beat
称猫庵
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![]() | 池田学画集1 池田学 羽鳥書店 2010-12-13 売り上げランキング : 10048 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
【CD】SPECIAL OTHERS/THE GUIDE ― 2010/12/20
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その躍動感溢れるサウンドに惹かれて、11月に行われた東京ライブに足を運ぼうとすれど、すでにチケットは完売。その人気の高さに驚くも、その後MUSIC ON! TVで放映されたライブ映像を観ても、そのライブ・バンドとして発する“オーラ”に改めて感じ入った。
課題は、そのライブの“オーラ”をスタジオ録音のCDにどうパッケージするかだろう。
ジャム・バンドに限らず、ライブでその実力を発揮するバンドの多くが、どのようにしてその高揚感をスタジオ作に押し込めるか、ずっと頭を悩ませてきた問題に違いない。
かのザ・フーにしても、『ライヴ・アット・リーズ』
渾身の3枚組『THE LIVE』
代表的なジャム・バンドだったフィッシュにしても、『A Live One』
さて、そしてスペアザの『THE GUIDE』だが、工夫を凝らした多彩なナンバーが収められている。
冒頭の①「Wait for The Sun」から楽器たちが“歌い”、②「It’s my house 」へとキャッチーなメロディーが続く。③「Parabola」でオーガニックな空気をふり撒き、④「The Guide」から⑤「luster」へと高揚感溢れるハードなナンバーが続く。⑥「Draft」では一転してレゲエ、⑦「Tomorrow」ではダブを取り入れる。
⑨「Go home」で再び軽快でダンシーなナンバー、そして⑩「ido」でジャズっぼく〆る。
…というように、全体を通してオーガニック、知的な雰囲気も漂うメロディアスなインスト・ナンバーが続く。
それで“課題”に戻るのだが、結論から言うとやはりライブで発揮している実力からすれば、まだまだこんなものではないだろう…という印象を持った。
それをどう解決するのかその具体策はワタシには提言できないが、同じジャム・バンドでもまだDACHAMBOあたりのほうがそれに成功しているように聴こえる。
安易にライブ盤を出せばいいという訳ではあるまいが、スペアザの最良部分を濃縮した決定盤といえるアルバムをぜひ聴いてみたい。
◆『SPECIAL OTHERS/THE GUIDE』の参考レビュー一覧
Skream!ディスクレビュー(花塚 寿美礼氏)
Kanagawa Holiday's
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【本】ルポ 生活保護―貧困をなくす新たな取り組み ― 2010/12/21
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日本では現在、全国で190万人を超える生活保護受給者がいる。本書では、全国平均で「80人に1人」としていたが、もうすでに70人に1人が生活保護受給者なのだ。日本がもの凄い勢いで貧困化が進んでいることを示す数字であるが、筆者が取材した釧路では、すでに20人に1人が生活保護受給者であるという。
そこに描かれるのは、受給世帯の過酷な生活実態だ。
丁寧なルポから、不況で仕事が激減し、病気で働けなくなるなど、さまざまな理由から生活保護を受けざるを得なくなった人びとが呻きが聞こえてくる。
例えば、フルタイムで働いても月収13万円にしかならない母子家庭…。「母子家庭は元祖ワーキング・プアだ」とする言説が、改めて胸を突く。
一方で、所得調査や資産調査でプライバーシーがオープンになる「恥ずかしさ」がスティグマ(心理的嫌悪感)となり、申請に二の足を踏む人がいる。
窓口で職員からひどい言葉を浴びせられ、「絶対に生活保護だけでは受けたくない」という人もいて、なんと貧困世帯の8割以上が生活保護を受けずに生活しているという事実に驚かされる。
本書にも、生活保護を受けずに、資格を取るために骨身を削って働き、学ぶ母子家庭の母親が登場する。
前半のルポを受けて、筆者はさらに生活保護が抱える構造的な問題に切り込む。
学歴と貧困が密接に結びついて「貧困の連鎖」を生む、「貧困の再生産」の実態を具体的なデータを基に明らかにする。そして、貧困が児童虐待や寿命にまで影響を与えていることを指摘する。
非正規労働者の増加などで、今や給与所得者の22.7%、1032万人が年収200万人に届かないワーキング・プアに陥っている。ざっと5人に一人がそうなのに、雇用のセーフティネットも脆弱だ。
いまだに850万人の非正規雇用者は、雇用保険のネットにもかからず、取り残されたままだ。
こうした実態と問題点を告発したうえで、筆者はさらに「提言」へと筆を進め、労働市場の崩壊を防ぐためには、「労働市場の内部規制の強化と、外部のセーフティネットの再構築をセットで行わないといけない」として「セーフィネットの拡充は社会を維持する上で必要な投資であるという社会の合意が不可欠だ」とする。
終盤にかかる第6章では、さらに深度を深め、「ボランティアから就労へ、と階段を上るように自立へ向けて、進んでいく」釧路市の自立支援プログラムを紹介している。
「ボランティアを通して社会との接点を持ち、社会に貢献するなかで、自分の存在を肯定的にとらえるようになり、元気を回復していく」という実験的な試みだ。
受給者が地域の子どもに勉強を教えるなど、こうした受給者の自立につながる「社会的包摂」こそが社会に求められていると、筆者は訴える。
さらには、生活保護世帯への塾代を支援している東京都の試みや、授業料や学用品、通学費を支援する厚労省が行っている「高校就学費」、また、海外の事例も紹介。
終章となる第7章では、給付付き税額控除、最低保障年金、派遣法の抜本改正、住宅保障、縦割り行政の是正にも言及する。
「貧困は社会を破壊する」--。
その悲痛な思いこそ、筆者に本書を書かせた、と言っていいだろう。
新聞記者らしい丁寧な筆致だけに、教科書を読むような堅苦しさは否めないが、それゆえに教科書的にこの問題を包括的に捉えた手腕は讃えていい。それに加えて、ジャーナリストの視点から問題解決に向けて積極な提案を行っている点が、なにより本書の価値を高めている。
◆『ルポ 生活保護―貧困をなくす新たな取り組み』の参考レビュー一覧
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