【本】誰も国境を知らない--揺れ動いた「日本のかたち」をたどる旅2010/12/31

誰も国境を知らない―揺れ動いた「日本のかたち」をたどる旅誰も国境を知らない―揺れ動いた「日本のかたち」をたどる旅
西牟田 靖

情報センター出版局 2008-09-26
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2008年の刊行だが、改めてこのタイミングで読みたい一冊。
日本の「国境」に位置する知られざる島々を、自身の目と足で確認するというノンフィクション・ジャーナリズムに立ち返った力作だ。

著者が旅したのは、北は国後島色丹島から、南は沖ノ鳥島硫黄島小笠原諸島、そして西は与那国島尖閣諸島、そして北西は対馬竹島に至る島々。

その取材手法はいわゆる紀行文に類するものだが、副題に「揺れ動いた『日本のかたち』をたどる旅」とあるように、ワタシたちは著者の案内によって、“揺れ動いた「日本かたち」”を確認する旅へと誘われるのだ…。

「知床半島までは小型のボートで往復できる距離」にある「国後島」へ、サハリン・ルートから訪れた著者は、「日本のゴミが流れ着き、島にアンテナがなくても(日本に)形態電話が通じる」事実に興奮する一方で、「ゴミと電波がいとも簡単に越えられる海峡を、人だけは面倒な手続きを経なければ越えられない」ことに、複雑な思いを抱く…。

また、洋上には観測施設が浮かび、コンクリートで覆われた“岩”である「沖ノ鳥島」を目にした著者は、「そこが日本の領土であるという感慨と、二つの島に施された『延命治療』に対する疑問--」という、「相反する思いの間で振り子のように心が揺れ動くの」と、素直にその心情を吐露する。

そして、韓国側から「日本人であること隠して」上陸した「竹島」では、その“実行支配”の様を、「沖ノ鳥島の風景とどこか共通する印象があるのだ。どちらも国が実行支配をたしかなものにするために、本来持っていた人の定住を拒む厳しい環境に手を加え、一変させてしまった風景である」ととらえ、「日本と韓国では島への情熱や手間のかけ方にいまや天と地ほどの隔たりができてしまった」と、指摘する。
その著者の姿勢は、特定のイデオロギーにとらわれず、じつにフラットにその“現実”を見つめようとするものだ。

韓国人ツアーに混じっての「対馬」の旅もじつに興味深く、抗日運動家・崔益鉉(チェイクヒョン)の碑など、ワタシも知らないことだらけ。この島が、韓日の歴史をつなぐ要地であったことを、改めて知る。

ワタシが実際に訪れたことのある小笠原や与那国にしてもそうで、小笠原では統治者が替わることで翻弄されてきた家族の苦難の歴史が語られ、大琉球時代を思わせる与那国と台湾の親密な関係も「この島は国境が消えると栄えるし、できるとしぼむ」という島民の言葉に、やはり翻弄される島の歴史が明らかにされる。
いずれも著者の、丹念な取材とインタビューによって、その島の過去と今の暮らしが、くっきりと姿を現す。

とりわけ、さまざまな困難をはねのけての尖閣諸島への旅は、今に至る島そのものが持つ苦難の歴史と相まって、感動的ですらある。

まさしく、百聞は一見に如かず。
そこで著者が視たのは、「『国境の島』の不自然なありよう」だ。
著者は言う。「『国境の島』には実にさまざまで複雑な現実」があり、「ヒトとクニの歴史が交差し現実へとつながる場所だった」と。そして、「『国境の島』を直視することで見えるもうひとつの日本の姿」を晒(さら)しだす試みが本書であった、と。

本書は5年にわたる歳月をかけて書き上げられたものだ。雑誌取材を基にした原稿ではあるものの、そこに著者が注ぎ込んだ時間と労力、資金を思んばかれば、改めてこの労作には頭が下がるばかり。
同時に、本来ならばこうした仕事は、取材も資金力もある新聞やテレビ・ジャーナリズムが率先して行うべきものではなかったか…。
時代の記録という面でも、大きな意味のある仕事だと思う。

◆『誰も国境を知らない』の参考レビュー一覧
asahi.com(重松清氏)
日経ビジネス オンライン書評(朝山実氏)
アジアの真実
ミステリ読みまくり日記

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