【映画】必死剣 鳥刺し2010/10/11

『必死剣 鳥刺し』
『必死剣 鳥刺し』(2010年・監督:平山秀幸)

久しく西部劇らしい西部劇がつくられなかったアメリカで、西部劇復活のきっかけとなったのは、『ダンス・ウィズ・ウルブズ』(1990年)であり『許されざる者』(1992年)ではなかったかと思う。そして、両作に共通するのは、異民族・文化への畏怖と自然回帰、あるいは「老い」と「孤独」といった、それまで西部劇ではあまり語られることのなかった「新たな視点」を持ち込んだことではないだろうか。

そういう意味で、日本の時代劇復活の先鞭をつけたのは、やはりそこに「新たな視点」を持ち込んだ山田洋次監督の『たそがれ清兵衛』であったかと思う。その「武士社会に現代サラリーマン社会を投影する」視点はすでに『武士道残酷物語』などでも提示されていたが、藤沢周平作品に備えられたある種のさわやかさの力を借りて、それは現代に蘇ったのだ。

そして、本作もそうした系譜に数えられる作品だ。
藩の苦境を救うべく、また自身の「死に場所」を求めて凶行に及んだ寡黙な役人にして「必死剣・鳥刺し」の使い手(豊川悦史)。しかし、藩主は彼の切腹を認めず、再び側用人として仕われるのだが、そこには隠された「意図」があった。…というのが大枠のストーリー。

平山秀幸監督といえば、ワタシのなかでは“職人監督”として位置づけられているのだが、襖の開け閉めもワンシーン、ワンシーン省略なく描くなど、その武士社会の所作を執拗に描く様は、まさに“職人”そのもの。冒頭の不穏さを漂わせる能舞台を、なめるようなカメラワークで追いかけ、見事な美術セット、衣装、小道具などで、その時代と世界を再現する技に、手抜かりはない。
こうした一つひとつの映画の所作が、この物語に“リアル”を与えている。

終盤の、藩主を襲う吉川晃司との死闘は「清兵衛」と田中泯とのそれを彷彿させ、過酷な運命に翻弄される豊川の姿は『薄桜記』での市川雷蔵がダブる。そうした意味では、まるで本作は『清兵衛』『隠し剣 鬼の爪』『武士の一分』に続く連作時代劇のようであり、かつての名作時代劇へのオマージュともいえる。

しかしながら、山田時代劇の登場人物が(欠点を持った)人間味あふれる人物として描かれているのに比して、平山時代劇がややカテゴライズされている分、物語としてのふくよかさに欠ける。
だが、それを消してあまりあるのが、「鳥刺し」が放つカタルシス。その壮絶なシーンのなかに、どこか主人公が求めていた「死に場所」をようやく手にすることができたある種の幸福感をワタシたちは嗅ぎとることができるのだ。

余談ながら、主人公を慕う池脇千鶴が「見合い」の席で見せた戸惑いとともに怒りを含んだ表情、たった「一夜」で「おかみさん」のような佇まいをみせる芝居の上手さに、改めて感服。さらに無表情の仮面の下に狂気を醸しだす岸部一徳は、いつもながらフシギな役者だなぁと感心。噺家の瀧川鯉昇師匠が、渋い役どころで好演していることにも驚いた。

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_ 映画的・絵画的・音楽的 - 2010/10/20 04:58

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