【映画】武士の家計簿2010/10/27

『武士の家計簿』
武士の家計簿』(2010年・監督:森田芳光)

結局、森田監督はこの映画で何を伝えたかったのだろうか?
加賀(金沢)藩士・猪山家の家計簿を解読してベストセラーとなった同名書 を原作に、森田監督が紡ぎだした160年前の“家族の物語”…。しかし、本作の試写を観て、ワタシには冒頭の疑問がどうしてもぬぐいきれずにいる。

「御算用者」として代々、藩の経理業務にあたってきた猪山家。しかし、武士の生活は厳しく、猪山家の借金はかさみ破綻寸前。そこで、当主である直之(堺雅人)は、家族を救うために、借金返済のための大英断を下す…。武士の体面をかなぐり捨て、なりふり構わない緊縮財政政策を断行するのだ。
つまり、本作の基本は“経済ドラマ”なのだ。それこそが、近年のブームを支えてきた、今までの時代劇になかった新機軸であり、それが基調にありるからこそ、”家族ドラマ”としてワタシたちはこの異色コメディーに自分たちの“今”を重ね、思いっきり泣き、笑うことができた。

ところが途中から、もう一つのテーマである“親子の確執”がこの物語を支配し始める。幕末維新という激動の時代に、同じく御算用者となった息子・成之が「ソロバンだけで政治に関わらなくていいのですか?」と父・直之に迫る。
まるでひと昔前の“政治の季節”に、常套句のように語られた問答がここで繰り返され、その生真面目さがワタシたちの“共感”を彷徨させる…。

じつは、以前から読みたいと思っていた原作なのだが、試写までに読むことができず、その後に目を通した。すると、たしかに直之のスパルタ教育ぶりを示す記述はあったものの、それが成之の成人後も含めて“確執”までに至るような親子関係は見当たらなかった。

森田監督は、経済と家族というテーマだけでは、この物語に深みが欠けると思ったのだろうか? そこで自身が体験したであろう世代間断絶 を持ち込むことで、この作品に更なるメッセージを発したかったのか? しかし、そのメッセージの着地点は一体何なのか? それが ワタシにはよくわからなかった…。

さまざまテイストの作品が撮れる森田監督だけに、欲が出たのかもしれないが、ここは経済+家族ドラマとして思いっきりエンターテイメントに徹してよかったのではないか。極上のエンターテイントから、ほのぼのとした“感動”が沸き上がってくることは、滝田洋二郎監督の『おくりびと』を例に挙げるまでもなく映画の歴史が証明している。前半が秀逸だけに…なんとも中途半端な印象で残念。(12月4日からロードショー)

↓応援クリックにご協力をお願いします。
人気ブログランキングへ ブログランキング・にほんブログ村へ