【演劇】毛皮族『小さな恋のエロジー』2010/12/13

毛皮族『小さな恋のエロジー』
「劇団、江本純子」で、そのセリフ劇の才能にワタシも注目した江本純子氏率いる「毛皮族」10周年記念公演『小さな恋のエロジー』を観劇(12月12日・下北沢駅前劇場)。

劇団のプロフィールを読むと、かつてこの駅前劇場で史上初の1カ月ロングラン公演を行ったというだけあって、この劇団への高い人気と期待感だろうか、男女入り乱れた客席は開演前から上気が立ち上る。
桟敷席に座る客には、首からすっぽりかぶれるビニール(レインコート?)が配られ、それも何事が起こるのかと期待感をあおる。

舞台には、“汚し”の入ったバラックが建てられ、バケツや段ボール箱やらが雑然と転がる。そこにかすかに流れる韓国語の歌。それもお洒落なK-POPではなく、この舞台に似合うチープ感漂うポンチャック歌謡が…。

この『焼肉ドラゴン』を思わせるようなセットをバックに、舞台は幕を明ける。
ハワイ旅行の「当りくじ」を当てた在日(?)韓国人姉妹の騒動を端に発したストーリーは、謎めいた連続殺人事件へと様相を変え、極貧にあえぐ“うっかり妻”と夫の作業場、女殺し屋らが踊り狂うクラブ、殺しを依頼した男の家庭、そして、姉妹のルームメイトであるOLの職場…など、いくつもの異なる場面が次々と転換されるなかで、やがて“物語”はダイナミズム溢れるラストへと向かっていく。

終盤はバラックがハケた舞台に雪が舞い、吹雪のなかで銃撃・追走劇が繰り広げられるのだが、ストーリーそのものは特筆すべきものでもなく、多層的な場面転換やエンターテイメント感溢れる劇的ドラマトゥルギーを支えるためツールでしかないように思える。
意外だったのは、そのテイストがかつてのアングラ劇を彷彿させるもので、78年生れの江本氏がそれらにどのように影響を受けたのか、はたまたまったくの突然変異なのか?

そして、「芝居」の幕が閉じると、舞台は一転して女優たちの華やかなレビュー・ステージへと換わる。着物をはだけた半裸に星形ニプレスの女子たちが舞い踊り、KARAに扮して歌い、弾ける。まるで学園祭のようなノリで、熱と汗を振りまく。最後は、江本団長よるドスの効いた韓国歌謡で、ビシッと〆た。
もしかすると、これをやりたいがために、今まで「芝居」を演じていたのかと勘繰るほどの、祝祭感溢れるエンディングだった。

「毛皮族」は女性だけの劇団ではないが、“女性が主役”の劇団であることは間違いない。もちろん宝塚を始め、今も数々の女性劇団が活躍しているが、こと小劇場運動に限っていえば、最初に女性劇団として注目を集めたのは74年に結成された「青い鳥」ではないかと思う。
しかし、リブの運動から生れた(と聞いている)「青い鳥」には、どこかジェンダーフリーな表現が感じられたが、「毛皮族」は露悪的とも思えるほど、「女性性」を強調する(…かのようにワタシには見える)。
なにしろ舞台では、やたら女優がパンツを見せ…どころかわざわざ脱がしたり、胸をはだけたり、男性器(のダミー)を出し入れしたり、エロトークを繰り広げたりと、“サービス精神”満載だ。
もちろんこれは、特定の“異性”に向けたサービスではないことは、客席を埋めた若い女性客がコロコロと笑い転げていたことからも明らかだ。

これも、「青い鳥」以降、如月小春渡辺えり子といった様々なジェンダーフリー作家・演出家を輩出し続けた「女性演劇」が獲得した、ひとつの“成果”なのだろうか。
ワタシはそこに、自らの“性”を肯定し、返す刀でそれを軽々と笑いとばす、“自分さらし”な女性たちのしたたかな姿を見る。

このあたりのジェンダーと現代演劇の関わりについては、ぜひ斎藤美奈子氏あたりの意見も聞いてみたい。そうそう、「市堂令」さんにも…。

◆毛皮族『小さな恋のエロジー』の参考レビュー
劇団天野屋 part3

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