【TV】鬼平外伝 夜兎の角右衛門2011/03/24

『鬼平外伝 夜兎の角右衛門』
『鬼平犯科帳』のスピンオフとして3月21日に放送された時代劇『鬼平外伝 夜兎の角右衛門』。CSの「時代劇専門チャンネル」の放送ということで聴視者も限られたかと思うが、内容が素晴らしかったので、遅まきながらここに取り上げる。

「鬼平」こと火付け盗賊役・長谷川平蔵に中村吉右衛門を配して人気を呼ぶ『鬼平犯科帳』だが、2001年の第9シリーズを最後に週一での放送はなくなり、近年は時折スペシャルとして放送されるのみになってしまった。
伝え聞くところによると、池波正太郎原作の作品のなかでTVドラマ化できる作品はもうないらしく、実際に「スペシャル」では今まで脚本化された作品の焼き直しやリミックスばかり。

加えて、“相模の彦十”がはまり役だったの江戸屋ねこ八亡き後、あの情があり、笑いとペーソスがあり、そして凄味のある「鬼平ワールド」はもう堪能できないのかと寂しく思っていたところへ登場したのが今回のスピンオフ企画だ。

資料によると、池波正太郎は「鬼平」を書き始める前に、何本もの"盗賊"を主人公とした短編を書いており、その短編集『にっぽん怪盗伝』 から鬼平こと"長谷川平蔵"が脇役として登場する「白浪看板」が、今回の企画として選ばれたという。

今までのシリーズのなかでも、盗賊にスポットを当てた作品がなかったわけではないが、今回はもろに盗賊を主人公として、鬼平をまったく登場させないという“英断”によって、むしろ「鬼平ワールド」を見事に再現するという快挙に出た。

「鬼平」をこよなく愛する制作陣の、執念ともいえる“思い”が見事に結実している。

「犯さず」「殺さず」「貧しき者からは奪わず」という“掟”を守ってきた大盗賊・夜兎の角右衛門(中村梅雀)とある日、女乞食(荻野目慶子)と出会う。
彼女の片腕が、自分の配下によって切り落とされたことを知った角右衛門は、“掟”に従って火付盗賊改方に“自首”する。ところが、なぜか斬首されずに牢屋に留め置かれるのだ…。

その後の展開はお察しのとおり、“密偵”として鬼平配下となる角右衛門なのだが、その間の逡巡や悔恨、さまざまな感情沸き起こるドラマを緻密な脚本(金子成人)と役者たちが描いていく。

とりわけ脇を固める役者たちの演技が素晴らしい。
とても味のある役者なのに近年ひっぱりだこの人気で、どうも最近は“しょっぱい”演技が目立つ“佐嶋”扮する平泉成の凄味はどうだろう。鬼平不在を補って余りある存在感を示す。
さらに、角右衛門に仕える石橋蓮司の上手さ、“盗賊”本田博太郎の狂気を孕んだ役づくりなど、いずれも「鬼平シリーズ」では常連ともいえる面々すさまじい“競演”が繰り広げられる。

逆に「鬼平ワールド」という縛りがあるだけに、制作陣も役者たちも自由に“創作”ができたのではないだろうか。
“無常観”漂わせる哀しいラストも、まさに鬼平がこの間の顛末を静かに見守っていたのかの如く、ワタシたちの胸にストンと落ちる。

そうか、こういう手もあったのか!と膝を打つとともに、ならば人を殺めた過去をもつ密偵“伊三次”や、腹心“佐嶋”やひょうきん者の“うさ忠”を主人公にしてスピンオフ企画もぜひ観たくなる。

すでに3月27日(日)、30日(水)、さらには4月にも再放送が予定されるというが、いずれ地上波にも登場することになるだろう。
こうしたCSを利用した“実験”ならば、今後も歓迎したい。

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【TV】笑う沖縄・100年の物語2011/02/27

小那覇舞天
先日レビューしたETV特集『深く掘れ 己の胸中の泉 沖縄学のまなざし』に続いて放映されたNHKハイビジョン特集『笑う沖縄・100年の物語』(2月25日)もまた、沖縄の“文化”から今の米軍基地問題に至るその苦難の歴史を問うたドキュメンタリー。

今回の主役は“笑い”だ。
沖縄漫談の小那覇舞天(ブーテン)が、浅草で学んだ政治風刺を効かせた笑い「ブーテン漫談」で戦後の沖縄を席巻し、その弟子・照屋林助もまた「ワタブーショウ」で、大人気となる。
そして、その風刺の笑いの系譜は、沖縄方言(ウチナー口)にこだわわる芸人集団「笑築過激団」に引き継がれ、今も笑いで基地問題を鋭く告発する劇団「お笑い米軍基地」に脈々に受け継がれている…。

前述の“沖縄学の父”・伊波普猷(いは ふゆう)の足跡を追った『深く掘れ~』が、やや強引に「沖縄学」と「基地問題」をリンクさせていた感があったのに比して、こちらは何しろ“現物”が次々に出てくるのが強みだ。

さすがに“動画”は出てこないが、残された舞天さん、林助さんらの録音物から、その風刺の効いた歌詞やエンターテイメントを溢れる歌いっぷりやセリフ劇から、彼等の反骨精神が溢れだす。

その“遊び心”にNHKのスタッフも触発されたのか、林助さん似の沖縄の若手芸人(平良大)と、かつて林助さんとコンビを組んでいた前川守康の息子・前川守賢(沖縄民謡歌手)とで、「ワタブーショウ」を再現。
音声は当時の「ワタブーショウ」をそのまま流し、二人が口パクで演じるという疑似「ワタブーショウ」を見事に演ってのけた。

ちなみに音声部分は、かつてワタシも愛聴した『うちなーゆんたく・沖縄の笑い芸』 からだろうか。CBSソニーからLP版(1982年)では「ワタブーショウ」 「ブーテン漫談」が各面に刻まれたスプリットLPの名盤だった。

それにしても、もちろん本土でも「ザ・ニュースペーパー」「大川興業」のような政治風刺集団はあるが、「お笑い米軍基地」というまんな劇団名で痛烈なギャグを飛ばし、基地問題を笑いで風刺する若手劇団が人気を博しているというのも、やはり沖縄の歴史性を感じずにはいられない。

そうした今日に連なる歴史性をうまくあぶり出したという意味でも、インテリ思考の『『深く掘れ~』よりも、庶民に息づく、したたかな“笑い”の神髄を“笑い”の精神でもって表現しようとした、本作に軍配を上げたい。(NHK総合で3月23日(水)22:00~22:48再放送予定)

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【TV】ETV特集「深く掘れ 己の胸中の泉 沖縄学のまなざし」2011/02/22

深く掘れ 己の胸中の泉 沖縄学のまなざし
“沖縄学の父”・伊波普猷(いは ふゆう)の足跡を軸に、沖縄のアイデンティティと現状をさぐるドキュメンタリー「深く掘れ 己の胸中の泉 沖縄学のまなざし」を観る(NHK教育・2月20日放映)。

伊波普猷については“沖縄の民俗学者”程度の認識しかなかったのだが、沖縄研究を中心に言語学、民俗学、文化人類学、歴史学などの学問体験を基に「沖縄学」を生み、琉球最古の歌謡集「おもろさうし」の解読に務めたなど、本作で多くのことを知った。

まず冒頭の、米軍基地を見渡す丘で、琉球王朝でおもろを歌う役職「おもろ主取」の末えいである安仁屋 眞昭(あにや さねあき)氏がおもろを歌うシーンからして、ワタシたちを神話の世界に連れていくのだが…。

そして、かつて琉球の村々で歌われていた神歌「おもろ」を100年も前に解読しようとした伊波の著書『古琉球』が紹介される。そこには自然を愛で、平和を愛する沖縄人の心が謳われていた…。

伊波が築いた「沖縄学」は、やがて愛弟子の沖縄方言研究者・仲宗根政善らに引き継がれていくのだが、この仲宗根のことも寡聞にしてワタシは知らずにいた。

それにしても「方言を使ったらスパイとみなす」など沖縄方言の徹底した排斥には、改めてその愚策に驚く。かつて沖縄では、学校で沖縄方言を使った生徒は「方言札」を首からぶら下げられたという。

ところが今やその学校で方言教室が開かれ、子どもたちによる方言を使った発表会が行われている。また、在野の愛好者たちが集った「おもろ研究会」では、「おもろ」の解釈を巡って熱弁を振る若者たちの姿も写し出される…。
そうした、綿々と続く「沖縄学」の“今”が語られていく。

しかしながら本作をもっとも特徴づけるのは、そうした「沖縄学」が向き合わざるをえなかった沖縄の時代と歴史で、琉球処分や沖縄戦、占領、本土復帰さらには米軍基地問題等と深く関わっているのだとする。

したがって冒頭の米軍基地はもとより、全編にわたって随所に基地や米軍機などが挿入され、さまざま人物によって悲惨な戦争の記憶が語られる。

だが、ワタシにはどうもそうしたテーマに引きずられ過ぎた感を持った。
例えば、多くの沖縄人に衝撃を与えたとされる「人類館事件」にしても、それを伊波がどう捉えたかはほとんど語られずに、代りに突如として沖縄を代表するシンガーソングライター佐渡山豊が「人類館事件の歌」を中学生(?)たちの前に歌うシーンに切り替わり、インタビューがなされる。

なにしろ、「絶対的な天皇制の中に一元化していった皇民化政策の行き着いた先」だの、「沖縄では日本軍による虐待がくり返されていました」といった“過激な”ナレーションが淡々と綴られのだから、この番組制作者は確信犯に違いない。

以前にも本ブログで書いたが、NHKが例の番組改変問題以降、ふっきれたように腹の座った番組づくりをしていることは喜ばしいし、今まで沖縄文化にスポット当てた際にスッポリと現在の基地の問題が抜け落ちがちだったことも認めるが、それにしても「沖縄学」をそうした面ばかりで語ることで、やはりスッポリ抜け落ちてしまった部分もあるのではないか。

例えば、沖縄人は平和を愛し外国との交易を大切にした、とするならば東南アジア文化交流史における「おもろ」の意味や位置づけ、またアイヌのユーカラとの比較などがあってもよかったのではないか。

石垣島の「結願祭」のシーンでは、220年前にベトナムから伝わったとされる「弥勒(みるく)」の面が紹介されていたが、沖縄文化はこのように東南アジア文化から強い影響を受け、また交流もあったはず。

そうしたマクロな“まなざし”による「おもろ」の歴史や文化、そしてそれがいかに沖縄人の“胸中の泉”をつくりなしたかを、もっと広く“深く掘れ”なかったものだろうか…。

「深く掘れ 己の胸中の泉 沖縄学のまなざし」の参考レビュー一覧
(*タイトル文責は森口)
「文化とは他者を知るということでもある」--ささやかな思考の足跡
「沖縄文化はおもろと方言だけでは捉えきれない」--ある旅人の〇×な日々

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【TV】迷子2011/02/20

NHKドラマ『迷子』
「五反田団」による『迷子になるわ』では、見事にワタシも“迷子”にさせられてしまったのだが、同劇団を主宰する前田司郎氏脚本によるNHKドラマ『迷子』を観た(2月19日)。

2009年2月に放映された同氏脚本による『お買い物』(ワタシは未見・3月24日にBShiで再放送)が好評だったということで、中島由貴氏(演出)と再びコンビを組んでのドラマだという。

“迷子”になって路上に座り込む中国人とおぼしき老女(ユン・ユーチュン)を、ひょんなことから3人組の高校生たち(太賀・永嶋柊吾・山田健太)が手助けしようとする。さらに警官から逃げまどう老女に、若い男女(忍成修吾・中村映里子)や女子高生(南沢奈央)、ホームレス(逢坂じゅん)らも関わり、彼女を巡ってさまざまな人びとの思いや行動が錯綜する…。

しかし、物語の導入はあまり魅力的とはいえない。
老女と高校生たちの“出会い”もとってつけたようだし、手持ちカメラの演出もどこかつくりものっぽい。朝日新聞「試写室」では「不安定な心情を表すのに効果的」(岩本哲生氏)と評していた「歯切れの悪いふわふわとした会話」も、今ドキの若者におもねるようで、聞いていてどこか居心地が悪い。

しかし、彼女の“正体”がおぼろげながら明かされ始めると、このドラマは俄然様相を変えはじめる。そう、このドラマは外国人を主人公としたドラマでもなければ、日本人との心あたたまる交流物語でもない。むしろ、彼女は脇役。ブレヒトのいう「異化効果」として置かれたプレーヤーなのだ。

本当の主役はここに登場する若者たちだ。
若者たちのヒリヒリとした日常が、この異人との関わりを通して透けて見える。“迷子”とは一体誰のことなのか? むしろ“確信”をもって生きているのは、迷子になったおばあさんの方なのではないか。そんな痛くて哀しい、そして愛おしい物語なのだ。

ここに登場する若者たちは、みな驚くほど心優しい。真の主役は、その“優しさ”と言いかえてもいい。多くの大人が過ぎ去るなかで老婆に声をかけただけでなく、その後も迷子になった彼女を探し続ける高校生たち。そんな彼らは、互いの家庭の事情を察して気をつかいあい、交わす言葉さえも選ぶ。
貧しい家庭をバイトで支える女子高生は、弟に悪態をつきながらも「できれば大学まで行かせてあげたい…」とつぶやく。ホームレスの「斎藤さん」もまた、自分が一緒だと店に入れないだろうと気づかい、ウソの演技でその場を立ち去る…。

先に挙げた「歯切れの悪いふわふわとした会話」はそうした“優しさ”を照れ隠す彼等の流儀でもあるのだ。

“おばあさん”が去った部屋で、穏やかな表情で異母兄弟の弟と戯れる少年。セリフがないだけに、そのシーンは静かに胸をうつ…。

あえて、場面転換の限られた芝居のように、多く語らない(写さない)脚本にしたのだろうか。
セリフによる説明だけでなく、ほかの登場人物たちの「家庭」を一瞬でも写しだせば、さらにドラマの深みは違ったものになったかもしれない。
しかし、それをあえて封印したことが、このコンビによる矜恃なのかもしれないのだが…。
(3月27日16:45~19:58NHK hiで再放送)

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【TV】白球~選手たちは海を渡った~2011/02/07

『白球~選手たちは海を渡った~』
NHKハイビジョン特集として昨夜(2月6日)放送されたドキュメンタリー「白球 選手たちは海を渡った」を観る。

「海を渡った」日本のプロ野球選手を追った秀作ノンフィクション『海峡を越えたホームラン』 (関川夏央著)によって、ワタシたちは野球による日韓の“異文化”交流を知り、『甲子園の異邦人』 (金賛汀著)によって、在日朝鮮人高校野球選手の実像に触れることが出来たわけだが、このドキュメンタリーはそうした100年に渡る日韓の野球交流史を“人物”にスポットを当てながら俯瞰する。

まず最初の“人物”として紹介されるのが、韓国の弱小野球チームを常勝軍団へと変貌させた金星根(キム・ソングム)監督だ。金氏は日本で野球選手になることを夢見た在日二世だったが、当時は在日韓国人を受け入れる環境がなく、海を渡った。その頃はまだ日韓に国交はなく、“片道切符”と覚悟を決めての渡韓だった。

選手と活躍した後、やがて韓国プロ野球界で“野神”と崇められる存在となった金監督。淡々と“日本語”でインタビューに答えかと思えば、突然にギラリと眼を光らせて吸いつくように選手に指導し、鬼のようなノックを浴びせる。 そしてその金監督を、日本人の関川 浩一打撃コーチや小早川穀彦臨時コーチが、手足をとなって支える…。

寡聞にしてワタシはこの“野神”監督を本作で初めて知ったのだが、さらに瞠目させられたのは、戦後の韓国野球の基礎を築いたとされる金永祚(キム・ヨンジョ)だ。
アメリカから韓国に野球が伝わったのは、およそ100年前。戦前に早慶戦の熱狂に触れ“野球の早稲田”に憧れたキム・ヨンジョの軌跡が、さまざまな資料や証言とともに描かれる。

さらに驚かされたのが、1963年にソウルで行われたアジア野球選手権で、韓国が3-0で日本チームに快勝し、優勝しているという歴史的事実だ。日韓を沸かせたWBC決勝戦を遡ること40年も前に、すでにこの両雄の対決は球場を埋めた3万人のソウル市民を沸かせていたのだ。

日本人、在日韓国人、韓国人留学生が共にプレーする京都国際高校野球部は、まさに“多文化共生”を象徴し、韓国プロ野球創設に奔走したでした張本勲(チャン・フン)氏や、「裏切り者」と言われながら日本に渡ってきた白仁天(ペク・インチョン)氏のインタビューなども“歴史の重み”を感じさせる。

白氏と立場を逆にして“海を渡った”新浦壽夫氏(現・野球解説者)が、千葉ロッテマリーンズの金泰均(キム・テギュン)選手を激励するシーンは、異国での苦労を共有する者同士の、言葉に尽くせない連帯エールとして胸を打つ。

番組は、金監督が2010年の韓国リーグ優勝を決め、日本シリーズの勝者であり韓国人創業者を企業母体に持つ千葉ロッテとの対決するシーンで終わる。
だが、ワタシたちがその興奮を享受できるのも、そこに至るまでに日韓の野球史に刻まれたたゆまぬ歴史の積み重ねがあったからこそ、に気づかされるのだ。

ここでの“海”は、まさに交流の海であった。ドキュメンタリーとしてのじつにオーソドックスなつくりだが、野球を通じて、日韓の歴史絵巻を紐解く一つの試み。
ワタシたちはそのことに思いをはせながら、改めてアジア史の検証をする必要があるのではあるまいか。

なお、再放送(NHKハイビジョン)が2月13日(日)16:00~17:50に予定されている。

『白球~選手たちは海を渡った~』の参考レビュー(*タイトル文責は森口)
「野球を通じて韓国の戦後史、日韓史を振り返った労作」--YOMIURI ONLINE(片山一弘氏)

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【TVドラマ】大阪ラブ&ソウル2010/11/07

ドラマ『大阪ラブ&ソウル』
このところドラマづいて、昨夜(11月6日)放映されたNHK大阪制作の芸術祭参加作『大阪ラブ&ソウル この国で生きること』を観る。

"在日コリアン"の青年と"ミャンマー難民"の女性が大阪で恋に落ち、そこから詳らかにされる在日と難民の苦悩の歴史。家族、国籍、生きることを問う意欲作…なのだが、結論から言えばいわゆるドラマとしては、十分な出来とは言えまい。
1時間15分という枠に、脚本(林海象)を押し込むのに精一杯だったのか、登場人物の心の移ろいが型通りで、見せ方もやや性急。おそらく芸術祭でもそう評価は高くないと思う(あくまでワタシの予測だが)。

それでも本作には、あえて特筆すべき点がいくつかある。
まずは、"在日コリアン"のパートナーが、日本人、コリアン以外の"在日外国人"であるということ。在日と日本人の恋愛ドラマといえば、無残な結果に終わった『東京湾景』などの試みがあるが、対外国人というのは新機軸。
しかしながら、外国人登録者が221万人、オーバーステイ(超過滞在)を含めた外国人は300万人を超えると言われる現在で、こうしたカップリングも自然な流れだろう。
この“外国人”の視点を“在日”にぶつけることで、新たな衝突や発見、そして喜びが生れ、本作をより重層的なドラマに仕立てた。

次に、主人公の在日三世青年(永山洵斗)がバイト先で難民女性と出会うシーン。
「私は“ビルマ”から来ましたネイチーティンです」と、挨拶したのには驚いた。私は“ミャンマー”という呼称は軍事政権が勝手に付けたもので、本来の国名はビルマだと思っている。日本政府は“ミャンマー”を認めているが、わが国営放送でいきなり民主化運動側が掲げる“ビルマ”が出てきたことに驚き、さらにはこのネイチーティンが日本で民主化運動に参加しており、アウンサンスーチー氏の肖像画まで映し出したのだのだからビックリだ。
NHKは例の番組改変問題以降、かえって“重し”が取れたのだろう。いい意味でやりたい放題。本作もまるでビルマの総選挙にぶつけてきたかのようだ。

ちなみに、ネイチーティンを演じるダバンサイヘインさんは、実際にビルマで民主化運動に取り組み、身の危険を感じて04年に観光ビザで日本に入国。入国管理局に収容された後、ようやく08年難民認定を受けたという経験を持つ。したがって演技はまったくの素人だという。

さらなる驚きは、チェサ(祭祀)のシーンが登場したこと。
祖先と家族の結びつきな大切にするコリアン社会では、チェサとても重要な行事だ。ワタシがほとんどドラマを観ないこともあるが、このチェサを取り上げたことは、このドラマの制作陣が在日社会をより理解しようとしている姿勢が伺える。

そして、この在日家族の歴史に、済州島で起きた「四・三事件」を持ち込んだこともある意味、英断だと思う。

激しく対立する父(岸部一徳)と息子が、初めて訪ねた祖国、韓国・済州島。親族から「辛い時代に自分たちだけ日本に逃げた」と罵声を浴びせられ、激しく動揺する父。祖国の海を前に慟哭する二世・父の姿を見て、自らのアイデンティティと向き合う三世の主人公…。
このシーンが胸を打つのは、前述した数々の“伏線”があってこそ。

それだけ冒険心に富んだ重層的なドラマであるはずなのに、その試みが十分結実しなかったのは、じつに残念。やはりもう少し時間枠を拡げて、じっくりと物語を紡いでほしかった…。

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【韓国ドラマ】砂時計2010/11/06

韓国ドラマ『砂時計』
『砂時計』(모래시계 モレシゲ)は1995年に韓国で放映された全24回のドラマで、光州事件を正面から扱って大きな話題となり、かの国で社会現象を起こしたという。
日本では2006年に放送され、その後2009年に一度再放送されたきり、放送がない。連日星の数ほどの韓国ドラマがいずれかのチャンネルで放送(再放送も含めて)されているなかで、これはどうしたことだろう?
韓国では平均視聴率45.3%(最高視聴率63.7%は歴代3位)を記録し、放送時間には街が閑散となった…という『君の名は』(例が古い!)現象を起こしたというのに、日本では人気が出なかった?

放送がないのでシビレを切らしたワタシはDVDで観たが、さもありなん。これは日本人にはわかりにくいだろう…というのが第一印象。
時代背景の理解がまず難しい。韓国では87年の「民主化宣言」が行われるまで、実質的な軍政が敷かれていた。
例えば、ある年齢の韓国人ならば、非常戒厳令が宣布された「1972年」と聞ければそれがどんな時代だったか、即座に思い浮かぶだろう。73年に金大中事件が起こり、79年には朴正熙大統領(当時)が暗殺される。そして80年には民主化を求めるデモ全国に拡がり、その年の5月に光州事件が起こるが、画面に映し出されるそうした年代やフラッシュバック映像によって、韓国の視聴者たちは否が応でもその時代に引き戻されるに違いない。
そこがまずわれわれ日本(に住む)人とは決定的に違う。ドラマの後半で「私も4.19世代ですから」というセリフが出てくるが、そこに込められた意味をすぐさま理解する日本の視聴者はそういないだろう。

加えて、冒頭の3回で主要登場人物の生い立ちと、それぞれの“出会い”が語られるのだが、これが冗長だ。なにしろ一人につき、1話(50分)をたっぷり使っての説明だ。ちょっと日本のドラマではありえない導入だと思うが、家族・地縁の結びつきが強い韓国社会だ。ここをしっかり描かないと、視聴者が納得しないのだろうか?…

というわけで、日本人には非常にとっつきにくいドラマだと思う。
しかし、しかしだ!ここは黙って第7話まで観続けてほしい。7話で、この壮大な物語は転がり始める。それまでとにかく我慢して観続けてほしい。
そう、この7話で、実写も含めた光州事件の壮絶な光景が繰り広げられる。そして、この光州事件での“歴史の皮肉”によって、主人公二人のその後の“運命”は、翻弄され続けるのだ…。

これはネタバレだが、このドラマを貫くテーマといってもいい重要なシーンなので、書いておくべきだろう。
正義を目指すウソク(パク・サンウォン)が光州制圧軍として民衆に銃を向け、ヤクザのテス(チェ・ミンス)が民衆側として闘う…。このシーンを目にした韓国の人たちは、なんという“歴史の皮肉”だろうかと思うと同時に、我が身につまされたに違いない。今も徴兵制が敷かれる韓国では、“他人事”ではなかった(ない)からだ。

この事件を起点として、物語は怒濤の展開をみせる。テスの恋人となったヘリン(コ・ヒョンジョン)は、学生運動に挫折し、やがて父の仕事を継いで、次第に闇世界・政界へと近づいていく。
テスは“父の仇”となって闇世界を支配し始め、一方、検察官となったウソクが、闇世界の捜査を進める。その間に、誰と誰が手を組み、裏切り、邂逅するのか…先の読めないスリリングな展開が次から次へと繰り出される。その語り口、脚本の出来は、前半のもたつきが信じられないキレの良さ。

最終盤では、香港ノワールに影響を受けたであろう“男の世界”もたっぷりと描かれ、日本のドラマではあまり見ることのない(?)非情なラストで、この物語は深い余韻を残して幕を閉じる。
前半の難はあれど、ワタシは傑作ドラマだと思う。

それにしても、光州事件から15年としてこのドラマがつくられたことは、改めて韓国の民主化が進んでいることを示している。はたして中国が天安門事件をドラマ化するのは、いつになることだろうか…。

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【TVドラマ】シューシャインボーイ2010/11/04

TVドラマ『シューシャインボーイ』
今年の「ソウル国際ドラマアワード」でグランプリを受賞したということで、『シューシャインボーイ』(テレビ東京)の再放送を観る(11月3日)。

内容は、戦争孤児から一代で会社を築き上げた社長と、大手銀行を辞めて社長の運転手となった男との交流のなかで、戦後のニッポン社会、そして夫婦や家族のあり方を問う、というもの。

脚本は鎌田敏夫氏。いい脚本とは、まさにこういうホン(台本)を指す。
以前、『俺たちの旅』シリーズ制作陣から、鎌田氏は脚本に取りかかる前に、その人物がどんな家庭で育ち、親の職業、出身地、どんな性格か…といったドラマに出てこない部分まで、人物設定をかなり綿密に書き込むという話を聞いたことがある。
そして本作でも、背景も含めた人物をしっかりと描き、無駄なくしかも含蓄あるセリフ、ワンカット、ワンシーンを重ねることで、豊穣な物語を紡ぎだしていく…。

例えばこうだ。
食品会社社長(西田敏行)の関連会社が不祥事を起こし、件の社長が謝罪に訪れる。「いっちゃん、スマン…」。
そのひと言、佇まい、表情で、この二人の関係がどういうものだったか、どんな苦労を共にしてきたのか、ワタシたちはたちまち知ることができる。
あるいは、社長が工場で働く社員を細かく指導する様など、おそらく丹念な取材をしたであろう。(原作を読んでないのでどこまでそれに沿っているかわからないが)。その細やかな差配ぶりが、この人物を見事に造形している。

そして、その社長と、新宿のガード下で今も仕事を続ける老靴磨き(大滝秀治)との因縁めいた関係や、運転手(柳場敏郎)の過去やトラウマも、その秀逸な脚本によって薄皮を剥ぐように少しずつ明らかにされる…。そのなかで、戦後を経験した世代と現代人との価値観の衝突が顕在化する一方で、世代を超えた“悩み”や“共感”もまた浮き彫りにされる。「ドラマアワード」で広くアジア人の“共感”を得たのも、おそらくそこにあるのだと思う。

予算の関係か(失礼)、映像的には陳腐な場面が散見されるものの、そのファンタジーめいた結末が陳腐に貶められていないのは、そのセリフや展開に十分に“リアル”があるからだろう。そして、その“リアル”さは、やはり脚本から生れたものに違いない。

たしかに西田敏行は上手い役者だと思うが(近年の“臭み”のある演技はワタシはどうも好きになれないが)、この水準の脚本があれば、出演者を全取っ換えしても成立するのではないか? そう思わせるほど、脚本のチカラを感じたドラマだった。
芸術祭参加作品なので、おそらく何らかの受賞があれば再放送、DVD化もされるだろう。その時はお見逃しなく。

【本】明日のテレビ チャンネルが消える日2010/10/26

明日のテレビ チャンネルが消える日 (朝日新書)明日のテレビ チャンネルが消える日 (朝日新書)
志村 一隆

朝日新聞出版 2010-07-13
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WOW WOWを経てアメリカの大学で学びながら、かの地の最新テレビ/通信事情を見聞きしてきた著者による初の著書(7月刊行)。…と思っていたら3カ月後に続編ともいうべき『ネットテレビの衝撃 ―20XX年のテレビビジネス ネットテレビの衝撃 ―20XX年のテレビビジネス』がつい数日前に刊行された(未読)。それだけこの分野・業界の動きが速く、またその動向が注目されているということだろう。

…というか、どうしてこうしたテーマの本が今まで出版されなかったのか? 著者の如く精通した適切なレポーターがいなかったこともあろうが、本書に記された米ネットTV事情の凄まじい変貌を読むと、遅きに失した感すらある。

もちろん本書のメインテーマとなっているテレビとインターネットとの融合、クラウド化についての記述はもとより、例えば、「6月から9月は夏休み、再放送ばかり」だとか「午後はお休み状態、夜8時から11時までのプライムタイムに力を入れる」など、知ってそうで知られていなかったアメリカの放送事情に目からウロコが多々…。

もっともi-tuneをはじめ、すでにクラウド化が進む米音楽ビジネスについて、多少見聞きしているワタシにとって、アメリカのテレビ・映画コンテンツのクラウド化についてはそう驚くものではない。ワタシの関心はむしろ、そうした動きがどのようなスピードと進化の形態で、日本のテレビ/ネット業界に導入されるか? その一点に尽きると言っていい。

最近になってわが家の近くにTSUTAYAの新店がオープンしたが、ワタシはすでにネット会員なのでそうした店舗はもはや必要ない。ゆうメールでのDVD/CDやり取りで大変重宝しているが、ネットテレビが実現すれば早晩それも面倒になり、オンデマンドで視聴するようになることは間違いない。おそらくTSUTAYAもそうた事態を見越して、「古本」という店舗型メディアに注目したのだと思う。

本来は、スピーディーかつ、更新可能なレポートとして本書こそネットに接続した電子書籍として出されるべきもの。まだ過渡期…と言っているうちに100周遅れのランナーにならぬよう、その警告の書として出版された紙ブック。…というのも何だか日本テレビ/出版業界を象徴するようで実にアイロニカルだなぁ(笑)。まあそれはともかく、“テレビの未来”を考えるうえで是非、読んでおきたい最新レポート。

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【TV】塀の中の中学校2010/10/12

ドラマ『塀の中の中学校』
昨夜(10月11日)TBS系で放映された『塀の中の中学校』は、文化庁芸術祭参加作品ということで、なかなかの力作だった。賞を獲れば再放送、DVD化もされるだろうからここで取り上げておく。

以前にも書いたがあまりTVドラマを観ることのないワタシだが、本作に心動かされたのはやはり『累犯障害者』の衝撃があったからだ。「犯罪」に何度も手を染めてしまう人びとの背景に迫った本書によって、「累犯障害者」という呼称をワタシは初めて知った。同様に、本作によって刑務所内に公立の中学(分校)があることを初めて知った。「更生」と「教育」の親密な関係に無知だった自分を恥じた。

長野県・松本市にある「松本少年刑務所」の中にある、日本で唯一の刑務所内にある公立中学校「松本市立旭町中学校桐分校」を舞台に、5人の生徒と新任教師(オダギリジョー)の交流を描いているのだが、犯罪歴も年齢もバラバラなその「生徒」を、大滝秀治、すまけい、千原せいじ、染谷将太、そして渡辺謙という豪華な面々が演じている。
この面々が、さまざまな出来事・事件を乗り越えて「卒業」するまでの1年間を追ったドラマなのだが…。

ワタシは本作の脚本を担当した内館牧子氏のTV作品をほとんど観てないないし、彼女がドラマ界でどのように評価されているかも知らない。が、冒頭でいきなり登場人物が生い立ちや犯歴を語り出したのには驚いた。たしかに2時間半の枠に収めるためには、最初に背景や人物を説明してしまった方が視聴者にはわかりやすいのかもしれないが、あまりにワカリやすいその展開に、身も蓋のなさも感じてしまったのだが…。
そして、お決まりのように事件が起こり、迷い、衝突、挫折…それらを乗り越えてのそれぞれの成長物語が語られる。

演出の清弘誠氏は、『男女七人~物語』で群像劇を、『塀の中のプレイ・ボール』で刑務所を舞台したTV作品を撮った実績をかわれての抜擢なのだろうか。しかし、映画監督というよりは、やはりドラマの演出家なのだろう。奇をてらうことなく、手がたくまとめている。

なので、本作に予想を超える物語や映像的な刺激を求めても甲斐はない。しかし、そんな本作でも、否応なくワタシたちに「感動」をもたらすものは、やはりそこに厳然たる「事実」が突きつけられるからだろう。それも、それがワタシたちが知らなかった、いや、知ろうとしなかった、心ある人びとの綿々たる営みを。

そうした意味では、ドラマの前ふりに実際に「分校」で教壇に立ってきた元教官のインタビューを置いたのは、この物語に真実味を与える意味でも効果的であったと思うし、ラストの「691人になる卒業生の再犯率がほぼゼロ」というこの「分校」の存在意義を示すテロップは、制作陣がこのドラマ込めた大いなるメッセージだ。

役者陣にも触れておきたい。
脳梗塞で倒れ未だに後遺症が残るすまけいが、その姿のまま、脳梗塞を患った受刑者を演じる様は胸を打つ。そして、オダギリジョーと大滝が対峙する別れのシーン。これはもう日本映画が誇る名老優が、若き至宝に「演技の神」を手渡すかのような、荘厳さをも漂わせた至福の瞬間…ワタシにはそう視えた。

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