【映画】借りぐらしのアリエッティ2010/12/27

『借りぐらしのアリエッティ』
『借りぐらしのアリエッティ』(2010年・監督:米林宏昌)

英児童文学の『床下の小人たち』 を、舞台を50年代のイギリスから現代の日本に移して、現代のお伽話に仕立てた作品。宮崎駿企画・脚本のジブリ映画として、本年夏に“お約束”の大ヒットを記録したことは記憶に新しい。

なにしろ茅葺きの日本の古い民家が舞台なのに、内部はとても洒落た洋館。しかも、小人の名前は「アリエッティ」なのだがら、これはもう提示されたファンタジー世界に浸るしかない。
例によって精巧・緻密に描かれたジブリ・アニメの世界は、まるでポップアップ絵本の如く、きらびやかに拡がる。

しかしながら、『ガリバー旅行記』を持ち出すまでもなく、えてして“寓話”の多くは、毒を孕んだ物語であることが少なくない。
本作もその例外ではなく、現代社会に蔓延するさまざまな問題を暗喩・照射した作品であることは間違いない。なにしろ「小人たち」の存在からして、ヒトに寄生して生きる「借りぐらし」の種族なのだ。

その田舎の民家に、少年が祖母と共にやってくることから物語は始まるのだが、いきなり冒頭でアリエッティと遭遇し、その後小人一家の生活ぶりが丹念に描かれるという展開に、まず驚いた。

『となりのトトロ』では、越してきた家族たちとトトロ一家との“出会い”を、謎と期待感をたっぷりと含ませながら描いた宮崎監督だが、ここではやけにあっさりとそのカタルシスを放棄する。
そのかわり、小人一家の生活を丹念になぞることで、ワタシたちもまた「小人」となって、ヒト社会を覗き見ることができる。

物語はアリエッティと少年との接触によって、ヒトにその存在を知られてはならない小人一家のエクソダスへと転がっていくのだが、そこには当然の如くアリエッティと少年の“成長物語”がバックボーンとして強く描かれる。

おそらくこれは、本作に対する多くの批評・評論で指摘されていることだと思うが、ジブリ映画を体験してきたワタシたちはそこに、いくつもの名作ジブリ群の幻影を見てしまう。

アリエッティと少年との“共闘”は『天空の城ラピュタ』であるし、少年の肩に乗った姿は、まるで「シータ」ラピュタ・ロボットだ。
それだけでなく、気丈ながら傷つきやすいアリエティの“成長”は、『魔女の宅急便』の「キキ」のそれだし、ひらりひらりと見事な身体能力の高さでヒト社会を行き来するそれは、いやがうえにも「ナウシカ」を想起させる。アリエッティ膝の上で丸くなる団子虫は、王蟲(オーム)の幼虫のパロディかと思えるほど。

ほかにも、アリエッティと少年を交信する猫は、「ネコバス」を彷彿させ、二人の別れのシーンは『耳をすませば』の舞台を思わせる。
さらに、野性的な小人族の「スピラー」は男女の違いはあれど『もののけ姫』の「サン」か。そもそも、ヒトと小さき者という相いれない存在が、『もののけ姫』の設定と相似してやまない。

しかし、本作の登場人物たちは、ナウシカのように飛翔はしないし、パズーやシータのようなめくるめく冒険には旅立たない。
冒頭で記したように、ここでワタシたちが読む物語は、美しくもホロ苦い成熟したオトナの絵本だ。

宮崎監督が1979年に『ルパン三世 カリオストロの城』でアニメ・ファンを狂喜させてから30年。あの血沸き肉踊り、やがて深淵なる思いを抱く、神話的な宮崎ジブリ映画をもうワタシたちは、享受することができないだろうか…。

宮崎スピリット溢れる、そのチルドレンの本作を堪能した後さえも、その寂しさは拭いきれずにいる。

◆『借りぐらしのアリエッティ』の参考レビュー一覧
超映画批評(前田有一氏)
映画的・絵画的・音楽的
未完の映画評
映画.com(清水節氏)
映画通信シネマッシモ
内田樹の研究室
アニメ!アニメ!(氷川竜介氏)
みたいもん!
masalaの辛口映画館
LOVE Cinemas 調布
映画ジャッジ!(福本次郎氏)
【徒然なるままに・・・】
リアルライブ(コダイユキエ氏)
CINRA.NET(小泉凡氏インタビュー)