【演劇】龍昇企画『モグラ町1丁目7番地』 ― 2010/10/30

台風迫る中、龍昇企画公演『モグラ町1丁目7番地』(10月30日・こまばアゴラ劇場)に足を運ぶ。モグラ町に住む中年五兄弟を主人公にした「モグラ町シリーズ」の完結篇ということだが、このシリーズも龍昇企画も、ワタシは初観劇。
出だしは「静かな演劇」で始まる。セリフはボソボソ、同時発声でそれぞれが何を喋っているのか聞き取れない(それが狙いでもあるのだが)。しかし、作・演出の前川麻子の脚本はしっかりしており、冒頭から登場人物たちが抱える「問題」がすんなりと提示される。
アルツハイマーが疑われる母(父の後妻)の処遇と、退去を迫られる家(団地)をめぐって、異母妹、元恋人、幼なじみなどが次々と登場するが、さりとてさほど大きな事件が起きるわけではない。
ようやく中盤になって登場人物が揃い、意外性やドタバタが持ち込まれることで、舞台は“小劇場らしさ”に包まれる。セリフの声も大きくなり、さらに舞台転換の妙やコメディーも加味され、終盤には客席のあちこちから笑い声が沸き上がる。
しかし、互いに非難し合い、取るに足らないことで大騒ぎするも、肝心の問題については誰も引き受けようとしない兄弟たち。その惚(ほう)けたまったり感を引きずったまま、男たちは静かに舞台を去ってい…。
じつに不思議な余韻を残す舞台だ。
強烈な印象を残す場面があるわけでもなく、心を打つセリフがあるわけでもない。ところが、この兄弟のダメだめぶりに、いつの間にか愛おしさすら感じてしまうワタシがいる…。それはまさに、談志師匠の言うところの“人間の業(ごう)の肯定”が、演劇というマジック(手法)で見事に描かれているからだろう。
実にいい味を出してやつれた中年ぶりを演じた龍昇をはじめ、そのキャラの“立ちぶり”に十分応えた役者陣も多士多斉。鍵盤+ベースの生伴も、劇伴の見本のように舞台に効果的な彩りを加えた。
そしてそれらをすべて舞台に収斂させてみせた前川氏。その確かな才能と技量で、またいつか連れて行ってほしい、あのモグラ町へ…。(公演は11月3日まで)
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出だしは「静かな演劇」で始まる。セリフはボソボソ、同時発声でそれぞれが何を喋っているのか聞き取れない(それが狙いでもあるのだが)。しかし、作・演出の前川麻子の脚本はしっかりしており、冒頭から登場人物たちが抱える「問題」がすんなりと提示される。
アルツハイマーが疑われる母(父の後妻)の処遇と、退去を迫られる家(団地)をめぐって、異母妹、元恋人、幼なじみなどが次々と登場するが、さりとてさほど大きな事件が起きるわけではない。
ようやく中盤になって登場人物が揃い、意外性やドタバタが持ち込まれることで、舞台は“小劇場らしさ”に包まれる。セリフの声も大きくなり、さらに舞台転換の妙やコメディーも加味され、終盤には客席のあちこちから笑い声が沸き上がる。
しかし、互いに非難し合い、取るに足らないことで大騒ぎするも、肝心の問題については誰も引き受けようとしない兄弟たち。その惚(ほう)けたまったり感を引きずったまま、男たちは静かに舞台を去ってい…。
じつに不思議な余韻を残す舞台だ。
強烈な印象を残す場面があるわけでもなく、心を打つセリフがあるわけでもない。ところが、この兄弟のダメだめぶりに、いつの間にか愛おしさすら感じてしまうワタシがいる…。それはまさに、談志師匠の言うところの“人間の業(ごう)の肯定”が、演劇というマジック(手法)で見事に描かれているからだろう。
実にいい味を出してやつれた中年ぶりを演じた龍昇をはじめ、そのキャラの“立ちぶり”に十分応えた役者陣も多士多斉。鍵盤+ベースの生伴も、劇伴の見本のように舞台に効果的な彩りを加えた。
そしてそれらをすべて舞台に収斂させてみせた前川氏。その確かな才能と技量で、またいつか連れて行ってほしい、あのモグラ町へ…。(公演は11月3日まで)
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