【本】震災歌集2011/06/28

震災歌集震災歌集
長谷川 櫂

中央公論新社 2011-04
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「この『震災歌集』は二○一一年三月十一日午後、東日本一帯を襲った巨大な地震と津波、つづいて起こった東京電力の福島第一原子力発電所の事故からはじまった混乱と不安の十二日間の記録である」という書き出しで、本書は始まる。

そうした「混乱と不安」の中で、俳人である著者が「やむにやまれぬ思い」でしたためた119編の短歌が、本書に収められた。

本書を手にしてまず最初に頭に思い浮かんだのは、斎藤茂吉の「死にたまふ母」だ。茂吉が最愛の母の死に直面しながら、荼毘に付すまでを淡々と書きつらねた歌の数々。
悲嘆にくれている最中になぜ、歌なぞ詠めるのか? 初めてこの歌に接したときには不思議に思ったものだが、あとになって茂吉にとって歌を詠むことは朝起きて顔を洗うように日常に染みついた行為なのだという話を聞いて、得心したものだった。
まあ、今でいうブロガーのようなものだろうか。「表現」せずにいられない毎日、なのだ…。

本書に対してもこうした疑念が寄せられことを予想するかのように、著者・長谷川氏は「あとがき」でこう宣言する。

今回の大震災は人々の心を揺さぶり、心の奥に眠っていた歌をよむ日本人のDNAを目覚めさせたようだ。
なかにはあまりの惨状を前にして被災者のためのの短歌や俳句に何ができるのかと、詩歌の無力を訴えてくる人もある。もし、あなたが詩歌が無力であると思うのなら、さっさと捨てればいい。しかし、それはあなたが平安の時代に詠んできた俳句が無力であるということなのだ。決して詩歌が無力なのではない。

大震災は日本という国のあり方を変えてしまうほどの一大事である。しかし、詩歌はそれに堂々と向い合わなくてはならない。いつかは平安の時代が来るだろう。その平安の時代にあっても何が起ころうと揺るがない、それに堂々と対抗できる短歌、俳句でなければならない。


ワタシには、本書で詠まれている歌を論評する見識も力もないが、最後にワタシの心に残った何編かを紹介することで、本書の“意味”を問いかけたい。

わだつみの神の心は知らねども黒き大津波人々を殺(あや)む

嘆き疲れ人々眠る暁に降り立ちたたずむ者あり

被災せし老婆の口をもれいづる「ご迷惑おかけして申しわけありません」

つつましきみちのくの人哀しけれ苦しきときもみづから責む

原子炉の放射能浴び放水の消防士らに合掌はする老婆

禍(まが)つ火を奥に蔵せる原子炉を禍(まが)つ神とし人類はあり

ラーメン屋がラーメンを作るといふことの平安を思ふ大津波ののち

「こんなとき卒業してゆく君たちはきつと強く生きる」と校長の言葉

人々の嘆きみちみつるみちのくを心してゆけ桜前線

葉桜を吹きわたる風よ記憶せよここにみちのくといふ国のありしを

『震災歌集』の参考レビュー一覧(*タイトル文責は森口)
「共振する歌々は、いずれは「読み人知らず」へと昇華する」--本よみうり堂(三浦佑之氏)
「時事詠に収まらない慟哭と憤怒の書」--橄欖追放のページ(東郷雄二氏)
「等身大の長谷川氏自身の姿をもっと読みたかった」--壜

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