【映画】無常素描2011/06/29

『無常素描』
『無常素描』(2011年・監督:大宮浩一)

高速道路を降りた車はやがて直線道路に入る。そして、ワゴン車の車窓から向けられたカメラがとらえたものは…ガレキの山、山、山。そして、荒れ果てた大地。忽然と現れたその“信じがたい”光景は、ワタシたちの言葉を奪い、戦慄へと落とし込める--。
東日本大震災の実像をとらえたこのドキュメンタリー映画は、こうして始まる。

本作を世に問うたのは、介護現場の描いたドキュメンタリー『ただいま、介護現場のいま それぞれの居場所』(2010年)で注目を浴びた大宮浩一監督。残念ながらこの作品も含めて大宮作品は未見なので、この監督の演出テイストはわからないが、本作では恐ろしく寡黙だ。

冒頭で紹介したような車からの無言の映像が、しばしば挿入される。しかもそれらどのシーンでも、ガレキの山が延々と写される。つまり、車がどこを走っても、どこを通っても、ガレキの山、山、山が続くのだ。まず、その事実に圧倒される。
その事実をまず、見せたい。多くの人に知ってもらいたい。そんな監督の執念が、無言の車窓カットを生んだ。車窓カットの連なりが生れた。…そんな妄想を抱かせる、事実と映像のチカラに依ったドキュメンタリーが、本作だ。

撮影地は、震災1カ月を経た宮城県・気仙沼市。
土台しか残っていない家を前に途方にくれる家主家族、ボランティアに訪れた外国人は「信じられない…」と言葉を失い、「トラジェティ(悲劇)…」と言ったまま無言になる。
一人の老いた男性がインタビューの途中で突然慟哭をはじめ、子どものように泣きじゃくる…。

余計な言葉を挟まず、ナレーションもない。
演出らしきものは、僧侶で作家の玄侑宗久氏の言の葉のみ。
氏が「無常」を語り、映像は“事実”を「素描」としてとらえる。
そこから生み落とされた驚愕の生と死の「記録」…。

これは作品として論評云々の前に、震災直後の被災地をとらえた貴重な記録映像として、永遠に記憶される作品だろう。いや、記憶されなければいけない作品だ。(7月15日まで東京・オーディトリウム渋谷で上映後、各地で公開予定)

『無常素描』の参考レビュー一覧(*タイトル文責は森口)
「単なる記録や情報でもない、アクチュアルな映画」--映画芸術DIARY(神田映良氏)
「写真と動画の違いを感じるドキュメンタリー」--アピタル(平子義紀氏)

↓応援クリックにご協力をお願いします。
人気ブログランキングへ ブログランキング・にほんブログ村へ