【映画】トゥルー・グリット ― 2011/06/16

『トゥルー・グリット』(2010年・監督:ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン)
ジョン・ウェイン主演の『勇気ある追跡』(1969)をジェフ・ブリッジス主演で、コーエン兄弟がリメイクした話題作だが、『勇気~』は未見(たぶん)なのでワタシには本家との比較はできない。が、さすがコーエン兄弟!と手を打ちたくなるような、魅力ある作品に仕上がっている。
“魅力”の第一は、父親の復讐を誓う14歳の少女マティ(ヘイリー・スタインフェルド)のキャラクターだ。父親を雇い人のチェイニー(ジョシュ・ブローリン)に殺されたマティは、遺体の引き取りとともに復讐を果たすために、街へとやって来る。
犯人追跡の資金をつくるために、遺体置き場を宿とし、商人と掛け合うマティ。冒頭から智恵と度胸で、大人たちと対等以上に渡り合うこの少女パワーに、観客は一気に西部劇を舞台にした少女活劇の世界に引き込まれる。
その、いたいけでこまっしゃくれたキャラは、“守ってあげたい”と思わせると同時に頼もしきジャンヌ・ダルクでもあり、宮崎アニメによってその洗礼を受けているワタシたちにとっては、「ナウシカ」や「千尋」を想起する。
そこに、大酒飲みで片目(アイパッチ)の連邦保安官ルースター(ブリッジス)が疑似・父として、また、かねてからチェイニーを追い続けてきたテキサス・レンジャーの若きラビーフ(マット・デイモン)も疑似・恋人としてこの追跡劇に加わり、役者が揃う。
グラミー賞では、スタインフェルドが助演女優賞に、ブリッジスが主演男優賞にノミネートされたが、「助演」というにはあまりの「主演」ぶりだし、ブリッジスの凄味さえ感じさせるやさぐれ感は、主演賞に輝いた『クレイジー・ハート』より本作の方が、ワタシは好き。
その、それぞれのキャラを全開させたセリフも見事で、大自然をバックにしたアクション・サスペンス劇であるにもかかわらず、味のあるセリフ劇も堪能できるという寸法。このあたり、コーエン兄弟の上手さがじつによく出ていると思う。
しかしながら、いくらなんでも14歳の小娘が犯人追跡に同行すれば足手まといになるのは明白で、荒唐無稽な“ありえな~い”展開はまるでコミックかコメディのよう。
そもそも、マティがなぜそこまで執拗に復讐や追跡の同行にこだわるのか? あるいはなぜ、法律やラテン語の知識まで持ち得ているのか、説明がなされていない。
その謎を解くカギは、全編を覆う宗教的寓話的なトーンにあるのかもしれない…。
冒頭スクリーンに写し出された「天罰は必ず下される」という一節も旧約聖書から引かれたものらしく、セリフ中にもたびたび宗教的な引用が施される。
もしやワタシのようなニッポン生まれでニッポン育ちの浅学には量りえない宗教的なモチーフが隠され、何らかの宗教体験を持つ欧米の観客ならば、マティやルースターたちの行動にある宗教的なモチベーションやこの物語の背景などもまたたく理解されているのかもしれない。
そういえば、同じコーエン兄弟によるアメリカ南部を舞台にした『オー・ブラザー!』も寓話的な喜劇であったし、その一方で不気味な殺人鬼を描いた『ノーカントリー』もまた、(今にしてみれば)どこかコーエン兄弟の死生観漂う宗教的な作品だったような気がする。そのあたりは、コーエン兄弟がユダヤ人であるということも関係しているのかもしれない…。
いずれにせよ、マティのその後の人生に「天罰」らしきものが施されたこともまた、そうした背景があってのことだろうと推察し、その神話的なラストに至極納得をするのだ。
◆『トゥルー・グリット』の参考レビュー一覧(*タイトル文責は森口)
「西部劇の体裁ながら、宗教寓話的ファンタジーが魅力」--「らりるれろ」通信 Remark On The MGS
「『現在』の背後に『過去』が隠された新機軸」--粉川哲夫のシネマノート
「批評家的思いを注ぎ込んで飛躍したリメイク作」--THE MAINSTREAM
「オフビートな感動をクライマックスに用意」--日刊サイゾー(長野辰次氏)
「復讐劇、ロードムービー、そして奇妙な友情の物語」--映画通信シネマッシモ(渡まち子氏)
「コーエン兄弟映画の新たな展開」--お楽しみはココからだ~ 映画をもっと楽しむ方法
「不幸大好きのコーエン兄弟らしい演出」--LOVE Cinemas 調布
↓応援クリックにご協力をお願いします。

ジョン・ウェイン主演の『勇気ある追跡』(1969)をジェフ・ブリッジス主演で、コーエン兄弟がリメイクした話題作だが、『勇気~』は未見(たぶん)なのでワタシには本家との比較はできない。が、さすがコーエン兄弟!と手を打ちたくなるような、魅力ある作品に仕上がっている。
“魅力”の第一は、父親の復讐を誓う14歳の少女マティ(ヘイリー・スタインフェルド)のキャラクターだ。父親を雇い人のチェイニー(ジョシュ・ブローリン)に殺されたマティは、遺体の引き取りとともに復讐を果たすために、街へとやって来る。
犯人追跡の資金をつくるために、遺体置き場を宿とし、商人と掛け合うマティ。冒頭から智恵と度胸で、大人たちと対等以上に渡り合うこの少女パワーに、観客は一気に西部劇を舞台にした少女活劇の世界に引き込まれる。
その、いたいけでこまっしゃくれたキャラは、“守ってあげたい”と思わせると同時に頼もしきジャンヌ・ダルクでもあり、宮崎アニメによってその洗礼を受けているワタシたちにとっては、「ナウシカ」や「千尋」を想起する。
そこに、大酒飲みで片目(アイパッチ)の連邦保安官ルースター(ブリッジス)が疑似・父として、また、かねてからチェイニーを追い続けてきたテキサス・レンジャーの若きラビーフ(マット・デイモン)も疑似・恋人としてこの追跡劇に加わり、役者が揃う。
グラミー賞では、スタインフェルドが助演女優賞に、ブリッジスが主演男優賞にノミネートされたが、「助演」というにはあまりの「主演」ぶりだし、ブリッジスの凄味さえ感じさせるやさぐれ感は、主演賞に輝いた『クレイジー・ハート』より本作の方が、ワタシは好き。
その、それぞれのキャラを全開させたセリフも見事で、大自然をバックにしたアクション・サスペンス劇であるにもかかわらず、味のあるセリフ劇も堪能できるという寸法。このあたり、コーエン兄弟の上手さがじつによく出ていると思う。
しかしながら、いくらなんでも14歳の小娘が犯人追跡に同行すれば足手まといになるのは明白で、荒唐無稽な“ありえな~い”展開はまるでコミックかコメディのよう。
そもそも、マティがなぜそこまで執拗に復讐や追跡の同行にこだわるのか? あるいはなぜ、法律やラテン語の知識まで持ち得ているのか、説明がなされていない。
その謎を解くカギは、全編を覆う宗教的寓話的なトーンにあるのかもしれない…。
冒頭スクリーンに写し出された「天罰は必ず下される」という一節も旧約聖書から引かれたものらしく、セリフ中にもたびたび宗教的な引用が施される。
もしやワタシのようなニッポン生まれでニッポン育ちの浅学には量りえない宗教的なモチーフが隠され、何らかの宗教体験を持つ欧米の観客ならば、マティやルースターたちの行動にある宗教的なモチベーションやこの物語の背景などもまたたく理解されているのかもしれない。
そういえば、同じコーエン兄弟によるアメリカ南部を舞台にした『オー・ブラザー!』も寓話的な喜劇であったし、その一方で不気味な殺人鬼を描いた『ノーカントリー』もまた、(今にしてみれば)どこかコーエン兄弟の死生観漂う宗教的な作品だったような気がする。そのあたりは、コーエン兄弟がユダヤ人であるということも関係しているのかもしれない…。
いずれにせよ、マティのその後の人生に「天罰」らしきものが施されたこともまた、そうした背景があってのことだろうと推察し、その神話的なラストに至極納得をするのだ。
◆『トゥルー・グリット』の参考レビュー一覧(*タイトル文責は森口)
「西部劇の体裁ながら、宗教寓話的ファンタジーが魅力」--「らりるれろ」通信 Remark On The MGS
「『現在』の背後に『過去』が隠された新機軸」--粉川哲夫のシネマノート
「批評家的思いを注ぎ込んで飛躍したリメイク作」--THE MAINSTREAM
「オフビートな感動をクライマックスに用意」--日刊サイゾー(長野辰次氏)
「復讐劇、ロードムービー、そして奇妙な友情の物語」--映画通信シネマッシモ(渡まち子氏)
「コーエン兄弟映画の新たな展開」--お楽しみはココからだ~ 映画をもっと楽しむ方法
「不幸大好きのコーエン兄弟らしい演出」--LOVE Cinemas 調布
↓応援クリックにご協力をお願いします。


最近のコメント