【映画】冬の小鳥 ― 2011/01/29
『冬の小鳥』(2009年・監督:ウニー・ルコント)
「これは本当に恥ずかしいことなのだけど…」と、在日韓国人の知人が話してくれたことがある。
かつて韓国では、自分の子どもを海外に“養子”に出すことが頻繁に行われていたという。いろいろな事情があるにせよ、簡単に言えばそれは「子捨て」なのだという。
そうした養子と養家のためのキャンプが毎年アメリカのコロラドで行われており、そこには韓国から海を渡り“養子”となった子ども人も多く参加する。彼は、ボランティアとして何度かそこへ通い、子どもたちと交流を深めたのだ、と語ってくれた…。
1975年を舞台とした本作にはそうした「子捨て」が頻繁に行われていた時代なのだろう。なにしろ、これは監督自身の体験から生れた作品だという。それを聞いて、韓国映画であるのに、監督が欧米系の名前であることに合点がいった。
しかしその合点は、本作を観終えた後に、主人公の少女とこの女性監督の生い立ちが重なり、沈痛な思いにかられるのだ…。
「大好きな父」と幸せに暮らしていた少女ジニ(キム・セロン)が、ある日“施設”に連れて来られる。一緒に来た父(ソル・ギョング)は、一人彼女を残し帰っていき、二度と迎えに来ない。だが、ジニは「私は“孤児”ではない」と言い張り、みなに心を開こうとしない…。
少女を頑なにしたのは、“約束”の反故だ。
父親はウソをついて少女を連れ出し、施設に置き去りにした。
健康診断に訪れた女医も、“約束”を守らずに注射針を突きたてた。
そして、姉のように慕っていたスッキ(パク・ドヨン)も“約束”を果たさず、少女を残して施設を去っていくのだ…。
ジニが介抱する傷ついた“小鳥”は、まさに彼女の投影だ。
死んでいった小鳥を埋めたときに、ジニは初めて十字を切り、「アーメン」と唱える。
冬のソウル郊外の空はどんよりと暗い。
雪降るシーンこそないものの、度々の雨と曇り空が、ジニの心象を物語る。
なにしろ“日が差す”シーンは、終盤に子どもたちが日曜礼拝に出かける場面しかない。
しかも、その礼拝をジニはサボタージュして、ある“行動”に出るのだ…。
死んだ小鳥にそうしたように、自らを“儀式”とするジニ…。
哀れなジニに救い出したのは、聖母の慈愛なのか? あるいは彼女の“決意”だったのか…。
窓越しに、ジニの顔に降り注ぐ水のしずくが、まるで“洗礼”であるかのように、彼女の“再生”を指し示す。
(ネタバレになるが)やがて、ジニは“決意”をもって施設を離れる。
その顔はけっして喜びに満ちたものではなく、あれだけ馴染めなかった施設の仲間たちも、また“家族”であったことを知るのだ…。
“新しい”家族の元へ、顔をグイとあげ、正面を向いて歩いていくジニ。
そのジニのいたいけな姿が、この作品をつくりあげた作者自身の人生に繋がっていくことで、ワタシたちはこの“物語”の続きに、否が応でも思い馳せてしまうのだ。
◆『冬の小鳥』の参考レビュー一覧(*タイトル文責は森口)
「9歳の少女の気持ちを丁寧に描き出した演出が素晴らしい」--LOVE Cinemas 調布
「成長にまつわる真実、普遍の物語をぬかりなく射抜く」--映画.com(川口敦子氏)
「少女の孤独な心の軌跡描く」--日本経済新聞(村山匡一郎氏)
「自分の体験を通して生きていることを確認」--大場正明氏
「『韓流』の底に沈殿する戦後史」--木下昌明の映画批評
「父に捨てられた少女の旅立ち」--映画散歩「銀の街から」沢木耕太郎氏
「小津作品に通じる、家族のあり方や人生を考えさせる描き方」
--お楽しみはココからだ~ 映画をもっと楽しむ方法
「カメラは少女の目の高さから主観ショットを多用」--ちばとぴ(千葉日報ウェブ)
「知らないでしょうね、どんなにあなたを愛していたかを…」--シネマ大好き
「こんなに残酷なのに、こんなにまで愛情でいっぱい」--セガール気分で逢いましょう
「自分を投影した監督の想いが伝わった」--シネマな時間に考察を。
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「これは本当に恥ずかしいことなのだけど…」と、在日韓国人の知人が話してくれたことがある。
かつて韓国では、自分の子どもを海外に“養子”に出すことが頻繁に行われていたという。いろいろな事情があるにせよ、簡単に言えばそれは「子捨て」なのだという。
そうした養子と養家のためのキャンプが毎年アメリカのコロラドで行われており、そこには韓国から海を渡り“養子”となった子ども人も多く参加する。彼は、ボランティアとして何度かそこへ通い、子どもたちと交流を深めたのだ、と語ってくれた…。
1975年を舞台とした本作にはそうした「子捨て」が頻繁に行われていた時代なのだろう。なにしろ、これは監督自身の体験から生れた作品だという。それを聞いて、韓国映画であるのに、監督が欧米系の名前であることに合点がいった。
しかしその合点は、本作を観終えた後に、主人公の少女とこの女性監督の生い立ちが重なり、沈痛な思いにかられるのだ…。
「大好きな父」と幸せに暮らしていた少女ジニ(キム・セロン)が、ある日“施設”に連れて来られる。一緒に来た父(ソル・ギョング)は、一人彼女を残し帰っていき、二度と迎えに来ない。だが、ジニは「私は“孤児”ではない」と言い張り、みなに心を開こうとしない…。
少女を頑なにしたのは、“約束”の反故だ。
父親はウソをついて少女を連れ出し、施設に置き去りにした。
健康診断に訪れた女医も、“約束”を守らずに注射針を突きたてた。
そして、姉のように慕っていたスッキ(パク・ドヨン)も“約束”を果たさず、少女を残して施設を去っていくのだ…。
ジニが介抱する傷ついた“小鳥”は、まさに彼女の投影だ。
死んでいった小鳥を埋めたときに、ジニは初めて十字を切り、「アーメン」と唱える。
冬のソウル郊外の空はどんよりと暗い。
雪降るシーンこそないものの、度々の雨と曇り空が、ジニの心象を物語る。
なにしろ“日が差す”シーンは、終盤に子どもたちが日曜礼拝に出かける場面しかない。
しかも、その礼拝をジニはサボタージュして、ある“行動”に出るのだ…。
死んだ小鳥にそうしたように、自らを“儀式”とするジニ…。
哀れなジニに救い出したのは、聖母の慈愛なのか? あるいは彼女の“決意”だったのか…。
窓越しに、ジニの顔に降り注ぐ水のしずくが、まるで“洗礼”であるかのように、彼女の“再生”を指し示す。
(ネタバレになるが)やがて、ジニは“決意”をもって施設を離れる。
その顔はけっして喜びに満ちたものではなく、あれだけ馴染めなかった施設の仲間たちも、また“家族”であったことを知るのだ…。
“新しい”家族の元へ、顔をグイとあげ、正面を向いて歩いていくジニ。
そのジニのいたいけな姿が、この作品をつくりあげた作者自身の人生に繋がっていくことで、ワタシたちはこの“物語”の続きに、否が応でも思い馳せてしまうのだ。
◆『冬の小鳥』の参考レビュー一覧(*タイトル文責は森口)
「9歳の少女の気持ちを丁寧に描き出した演出が素晴らしい」--LOVE Cinemas 調布
「成長にまつわる真実、普遍の物語をぬかりなく射抜く」--映画.com(川口敦子氏)
「少女の孤独な心の軌跡描く」--日本経済新聞(村山匡一郎氏)
「自分の体験を通して生きていることを確認」--大場正明氏
「『韓流』の底に沈殿する戦後史」--木下昌明の映画批評
「父に捨てられた少女の旅立ち」--映画散歩「銀の街から」沢木耕太郎氏
「小津作品に通じる、家族のあり方や人生を考えさせる描き方」
--お楽しみはココからだ~ 映画をもっと楽しむ方法
「カメラは少女の目の高さから主観ショットを多用」--ちばとぴ(千葉日報ウェブ)
「知らないでしょうね、どんなにあなたを愛していたかを…」--シネマ大好き
「こんなに残酷なのに、こんなにまで愛情でいっぱい」--セガール気分で逢いましょう
「自分を投影した監督の想いが伝わった」--シネマな時間に考察を。
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