【映画】ボブ・ディラン ノー・ディレクション・ホーム2011/01/20

『ボブ・ディラン ノー・ディレクション・ホーム』
『ボブ・ディラン ノー・ディレクション・ホーム』(2005年・監督:マーティン・スコセッシ)

『ラスト・ワルツ』『シャイン・ア・ライト』などの名作群によって、音楽ドキュメンタリーを撮らせたら当代ピカ一とされるオスカー監督による、ボブ・ディランのドキュメンタリー。
3時間半という長尺フィルムに、ディランの軌跡、彼を取り巻いた人びとの様々な証言、そして時代の空気を映し込んだライブ映像をたっぷりと盛り込み、稀代のアーティストであるディランとは一体何者なのか? を解き明かそうとする試み。

恥ずかしながらワタシもまたディランズ・チルドレンの遥か端くれの端くれで、高校時代には(何時のことだ!)文化祭で、“ディラン研究”の展示を行ったこっ恥ずかしい経験が今さらながら思い起こされる。
当時ワタシは東北の小都市に住んでいたのだが、何しろ書店で『ディラン風を歌う』 『ボブ・ディラン全詩集』 を注文してから手にするまで3~4週間もかかった時代だ(だから何時の時代だ!)。ようやく手にしたディラン本は、どっしりと重く、見るも読むも新鮮で、たまつすがめつその詩/音楽世界に浸ったものだ…。

というわけで、ディラン・ストーリーははるか昔に“活字”で触れていたものの、こうして本人の語りも含めた、当時をしるす膨大な証言と映像の開示によって、ワタシたちはディランと共に“あの時代”を旅し、彼の成長と変遷を目の当たりにする気分を味わうことができる。

まず浅学なワタシを驚かせるのは、ディランが子ども時代に親しんだ多彩なミュージシャンたちだ。カントリー/ブルーグラスのハンク・ウィリアムズ、ビル・モンロー、ブルースのバディ・ガイといった有名所はもちろんのこと、ワタシも初めて知るシンガーたちが次々に登場する。

カンツォーネばりに歌い上げるジョニー・レイ、鼻にかかった声が印象的なウェブ・ピアーズ、ダルシマー(?)を膝に抱いて華麗に演奏しながら美声を響かせるジョン・ジェイコブ・ナイルズ…若き日のリアム・クランシーがこんなに才気溢れるシンガーだったとは! 周知のジーン・ヴィンセントも、ライブ映像を見せられ、改めてそのパンキッシュなスタイルにシビれた(特にベーシスト)。

そうした豊かな音楽体験を経て、ディランはやがて自ら音楽を発し始めるのだが、「エレキをフェーク・ギターにかえてすぐに人前に歌った」との証言から、ディランが根っからのロックンローラーだったことが確認できる。

ミネソタの片田舎から大学を中退してニューヨークへやって来た若きディランは、やがてグリニッジ・ヴィレッジで歌いはじめる。この当時の「ヴィレッジ」の自由で闊達な雰囲気を伝える数々の証言や映像が素晴らしい。
「彼の歌は並みだった。最悪でも最高でもなく、レパートリーも人と同じだった」(音楽評論家ポール・ネルソン)というディランだが、「歌を覚えるのは早かった。一度か二度聞けば覚えた」というその才で、「スポンジのように学んでいった」。

やがて、ウッディ・ガスリーから「歌は生き方を学べるんだ」ということを初めて知り、「彼の古いと言われたが、僕にはそう聞こえなかった。まさに“今”を歌っていると思えた」というディランの“快進撃”が始まる。

「強い印象を与えたかった。(ヴィレッジには)うまい連中はいたが、人を魅了できない。人の頭の中に入っていかないんだ。人を釘付けにしなきゃ」と嘯くディランの言葉どおり、「ボブは皆と違っていた。強い意志ががあり、それが伝わるから皆が注目した」(ブルース・ラングホーン)という存在になっていく。

かつてのディランの恋人で、『フリーホイーリン』 でディランと肩をすり寄せ合って歩く姿が印象的だったスージー・ロトロは「ボブはウッディ(・ガスリー)のチャネラーだった」と評し、「ミネアポリス時代とは別人となった」(トニー・グローヴァー)ディラン自身も、「(ブルースシンガーのように)悪魔と大きな取り引きをして、一夜にして変わったんだ」と、自信たっぷりに告白する。

そして、それらの証言を裏づけるかのように、素晴らしいパフォーマンスが惜しげもなく次から次へと写し出される。まさに宝の山。
独特のリズムに乗せた歌が、ディランの口から発せられると、その詩はまるで宙を舞うかのように、世界へと拡がっていく。
まさに、風に吹かれて…。

あとはもう、ディランの“本質”を見事に表現した至極のような賛辞と発言のオンパレードだ。
「風に吹かれて」の歌詞「どれだけ歩いたら“人間”になれるのか」と諳じながら、黒人ゴスペルシンガーのメルヴィス・ステイプルが証言する。
「なぜこれが書けるのか? 私の父の経験そのものよ。人間扱いされなっかった父の。ボブは白人なのになぜ書けるのか不思議だった。彼は直感で歌を作る。霊感でもって。だから人の心に直接響くのよ」。
また、イジー・ヤング(フォークロアセンター主宰者)の言う 「いい歌を作って、現在の考えをトラディショナルな曲にのせる。だから今作ったのに200年前の輝きを持つ」という指摘も、多くの人が共感するはずだ。

そして、ディランの本質を最もついているのが、次の言葉ではないだろうか…。
「アイルランド神話の変身男のようだった。声を変え、姿を変えるのだ。一定のかたちに押し込められる必要はない。ボブは何か大きな力を感じ取り、皆が言いたいことを歌って、表現した」(リアム・クランシー)

じつは、本作は冒頭からして、1966年のイギリス公演の映像が何回となく挿入される。ディランがそれまでのフォーク・スタイルからロック・スタイルへと変える転換点となったライブだ。
ここで後のザ・バンドとなったホークスの面々を従えたディランは、イギリスの聴衆から「裏切り者!」「帰れ!」と罵倒される。当時は、ロックは商業的な音楽で、ディランのフォークからロックへの“転身”は多くのファンの反感をかっていた。

「エレクトロニックを使ったからといって新しいとは限らない。だって、カントリーだって使っているだろ?」と言うディラン。
「ボブは自分のやりたいことをやりたいようにやる。たえず何を変えようとする。あんなに変えられる人は褒めてあげていいわ…」
やはりディランのかつての恋人だったジョーン・バエズは、半ば呆れながらも嬉しそうにこう話すのだ。

「僕は今のことしか興味がない。過去のことはどうでもいい。今でもそう思っている」…。 まさにこの“言葉”にディランという人がいる。
昨年(2010年)のジャパンツアーによって、ワタシもまたそのディランの“限りなき前進”を目撃した一人だ。そこには、御年68歳の激烈なロッキン・ローラーが歌い、吼えていた。
そして、スコセッシもまた、本作に最も刻印したかったのが、この“限りなき前進”だったのだと思う。

『ボブ・ディラン ノー・ディレクション・ホーム』の参考レビュー一覧
(*タイトル文責は森口)
「とびっきりの『青春映画』で、アメリカの現代史」--海から始まる!?
「稀代のアーティストの魅力と時代性が十二分に伝わってくる」--真紅のthinkingdays
「観客の興奮とぞくぞくするような感覚が生々しく映し出され興奮」--映画の感想文日記
「音楽のみならず、全てが面白い」--CINEMA80(井上陽水&みうらじゅん トークショー)
「映像と顔の表情と訳詞で、背中がぞくぞく」--温故知新~温新知故?
「理想のために嘘もつくし演技もする変化自在な姿」--藍空放浪記

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