【本】うつくしく、やさしく、おろかなり--私の惚れた「江戸」 ― 2011/01/19
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よって江戸風俗研究家としてお茶の間にも知られた杉浦日向子氏の著作も読んでいて当然なのだが、不覚にも『ガロ』時代のマンガは目にしていたものの、江戸モノの著作を読むのは本作が初めて。
しかも、「あとがき」を読むまで気がつかなっかたのだが、本作は彼女の死後に刊行(2006年)された遺作エッセイ集だ。
さて、ワタシが「江戸」に最も惹かれる理由は、何といっても260年間にわたって大きな戦乱もなく平和な時代だった、ということに尽きる。もちろん、その背景には鎖国や封建社会という圧政があったとされるが、近年はその“鎖国”や“封建社会”が本当に言われるような悪政だったのか、見直しも進められている。
それをさて置いても、日清戦争から太平洋戦争終結に至る50年間に、暴政と戦乱によって失われたとおびただしい命と流された血を考えたときに、その5倍にも及ぶ年月を不戦・平和で貫き通したことに、改めて驚きを禁じえない。
網野氏が指摘するように、明治政府による近代化とは一体何だったのか? やや話は脱線するが、そこが三池崇監督による『十三人の刺客』で、ラストに提示された歴史観にワタシが違和感を感じるところでもある…。
その“江戸の平和”のヒミツについて、杉浦氏は本書において明確な答えを導き出している。
「大都市である江戸が二百五十年間の泰平を保つ事ができた価値観を示すキーワードは『持たず』、『急がず』、この二つの言葉だけです」
「『持たず』には二つの意味があります。一つは物を持たない」として、「江戸の二百六十四年間を通して日本人がやっていたことは、衣食住のすべてが八分目という暮らしです。足りない二分はどうするか、これを毎日、工夫してやりくりしていくのです。よそから借りるか、他のもので代用するか、その場は我慢するのいずれか。そして生ごみや生活排水はほとんどゼロでした」と、ワタシたちに語りかける。
そして、「もう一つの持たないのは、コンプレックスです」として、他人をうらやまず、ひがまず「自分は自分という自身を持って日々を暮らせば、せちがらなくない。そういうことが大切なのです」と諭す。
「急がず」も「仕事を急がず」のほかに「人づきあい」を挙げ、「諸国のふきだまりである寄り合い所帯の江戸では、人のつきあいを、細やかに手を抜かず、急がずやっていかないと、支えあってこそ成り立つ共同体の中ではつまはじきになってしまう」と、杉浦氏は解き明かすのだ。
どうだろう。この「物」を「経済力」「軍事力」「領土」に、「人づきあい」を「国づきあい」と置き換えてみれば、いかに明治~昭和に至るニッポンがこの江戸の“教え”と正反対のことをしてきたかわかる。
そして、杉浦氏ばこう結論づける。
「二つの持たないと二つの急がない。これを江戸だけでなく、三千万人(註:江戸期の日本人)がほぼ実践できたからこそ、平和を守れたのではないか。長い低成長だけれども心豊かな時間をもてたというふうに考えます」…。
陳腐な例えではあるが、この言葉は“ガラパゴス”とも揶揄される低成長時代を迎えた現代のニッポンこそ、範する姿勢なのではないだろうか。
もちろん、このことだけが本書の価値を高めているわけではない。
“江戸時代からタイムスリップしてきた”と評された杉浦氏の面目躍如たる、江戸文化・風物・風俗の数々が目の前に活写されるエッセイの一つひとつが興味深く、面白い。
『ブレードランナー』に描かれた未来都市を見て「これは江戸だ」と、中期には人口500万人を超え、当時世界一のメガロポリスとなった江戸の町並みに思いを馳せ、「台所のない長屋」に住む独身男たちが、そばや鮨といった江戸のファストフードにありつく様が、活き活きと描かれる。カレーライス興隆の背景に、江戸の「ぶっかけ飯」文化があったなんていう推論も楽しく読めた。
こうした、ものを“持たない”身軽な江戸庶民の生活を識れば、「日本人は物集めが大好きな民族である」という出久根達郎氏の言説(『本は、これから』)も、武家・商人(?)社会にしか当てはまらないものであろうし、「コレクションの対象にならない物(駐:電子書籍)は流行しないと見ている」という見方も、貸し本文化が栄えた江戸時代とは相反するものに違いない。
もちろん『江戸幻想批判』
杉浦氏も「つよく、ゆたかで、かしこい現代人が、封建で未開の江戸に学ぶなんて、ちゃんちゃらおかしい」と、近年の「江戸ブーム」を切り捨て、返す刀でこう喝破する。
「私に言わせれば、江戸は情夫だ。学んだり手本になるもんじゃない。(略)うつくしく、やさしいだけを見ているのじゃ駄目だ。(略)江戸は手強い。が、惚れたら地獄、だ」と。
後半になればなるほど面白くなるという構成は解せないものの、本書によって多様な「大江戸三百年」の文化と庶民の暮らしが、ようやく俯瞰できた感じがする。
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