【TV】ETV特集「希望をフクシマの地から ~プロジェクトfukushima!の挑戦」 ― 2011/10/10
ETV特集がまたやってくれた。
8月に福島で開催された「プロジェクトfukushima」の密着ドキュメントだが、90分という長さにも関わらず濃密な内容で、じつに見応えのある作品となった。
大友良英、和合亮一、そして遠藤ミチロウ各氏らの呼びかけで開催された「プロジェクトfukushima」が大きな成功を収め、その後もこのイベントに参加できなかった多くのミュージシャンから不参加が悔やまれるといったツイートが飛び交うなど大きな反響を呼んでいたが、ワタシの関心はコンサートの記録映像だけでこの長尺に耐えられる? だったが、それはまったくの杞憂に終わった。
まずは、このイベント企画の立案当初からNHKのカメラが入り込んでいたことに驚かされる。つまり本作は、後追い映像で構成された番組ではない。そこが妙味で、生々しい映像が連ねられている。それはまさに、NHKスペシャルで、震災直後から石巻赤十字病院を捉えた速報性を彷彿されるが、その秘密は当番組のディクター自らがこの企画に関わっていたことで明かされる。
しかし、かのディレクターも福島出身であるということよりも、キモは発案者である大友氏が、同番組の「ネットワークでつくる放射能汚染地図」に衝撃を受けたことにある。
職を辞し、人知れず福島で放射能汚染を調査続ける木村真三氏らの活動に感銘を受けた大友は、ディレクターを通じて「プロジェクトfukushima」の開催予定地の放射能測定を依頼する。
放射能汚染地域に人を集め、コンサートを開いていいものか、大友は悩んでいたのだ。木村氏とともに測定を行ない、木村氏から「この程度の数値なら問題ないでしょう」と言葉を得たときに、なんとも安堵な表情。こうした大友氏ら関係者の、心の揺れ、複雑な気持ち、それらの感情つぶさに拾いあげたことが、本作に単なる音楽ドキュメンタリーにとどめなかった。
ディレクター氏の同級生の農家、大友氏の両親、大友氏と和合氏が語り合った飲み屋のマスター、現地のミュージシャン、さまざまなfukushima人たちが、語れぬ思いをその表情に言葉に、託す。
圧巻は、詩人・和合氏のパフォーマンスだ。
「fukushimaは日本なのか?/日本はfukushimaなのか?」
ステージを埋め尽くした詩人たちともに「連詩」を謳いあげる和合氏は、現役還暦バンク・ロッカー・遠藤ミチロウ氏を凌駕する、魂の咆哮。
詩が、言葉が、これほど力を持っているのかと驚愕させられる魂の叫びだ。
ほかにも、幾多の印象に残った言葉がある。
ミュージシャンとして世界中のボーダー(国境)を超えたきた大友氏が、放射能によって遮られた立ち入り禁止の前で、「超えられないボーダーがここにある」と呻き、8月15日の開催にこだわったという遠藤氏が「戦後つくり上げたものをもう一度検証すべきた」と、重く語る。
そして、チェルノブイリからメッセージを持ち帰った木村氏による、「福島に移住します」という力強い宣言で、番組は終わる。
いや、fukushimaは終わらない。
まるで、このプロジェクトの始まりであるかのように、その宣伝は高らかに鳴り響く。
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8月に福島で開催された「プロジェクトfukushima」の密着ドキュメントだが、90分という長さにも関わらず濃密な内容で、じつに見応えのある作品となった。
大友良英、和合亮一、そして遠藤ミチロウ各氏らの呼びかけで開催された「プロジェクトfukushima」が大きな成功を収め、その後もこのイベントに参加できなかった多くのミュージシャンから不参加が悔やまれるといったツイートが飛び交うなど大きな反響を呼んでいたが、ワタシの関心はコンサートの記録映像だけでこの長尺に耐えられる? だったが、それはまったくの杞憂に終わった。
まずは、このイベント企画の立案当初からNHKのカメラが入り込んでいたことに驚かされる。つまり本作は、後追い映像で構成された番組ではない。そこが妙味で、生々しい映像が連ねられている。それはまさに、NHKスペシャルで、震災直後から石巻赤十字病院を捉えた速報性を彷彿されるが、その秘密は当番組のディクター自らがこの企画に関わっていたことで明かされる。
しかし、かのディレクターも福島出身であるということよりも、キモは発案者である大友氏が、同番組の「ネットワークでつくる放射能汚染地図」に衝撃を受けたことにある。
職を辞し、人知れず福島で放射能汚染を調査続ける木村真三氏らの活動に感銘を受けた大友は、ディレクターを通じて「プロジェクトfukushima」の開催予定地の放射能測定を依頼する。
放射能汚染地域に人を集め、コンサートを開いていいものか、大友は悩んでいたのだ。木村氏とともに測定を行ない、木村氏から「この程度の数値なら問題ないでしょう」と言葉を得たときに、なんとも安堵な表情。こうした大友氏ら関係者の、心の揺れ、複雑な気持ち、それらの感情つぶさに拾いあげたことが、本作に単なる音楽ドキュメンタリーにとどめなかった。
ディレクター氏の同級生の農家、大友氏の両親、大友氏と和合氏が語り合った飲み屋のマスター、現地のミュージシャン、さまざまなfukushima人たちが、語れぬ思いをその表情に言葉に、託す。
圧巻は、詩人・和合氏のパフォーマンスだ。
「fukushimaは日本なのか?/日本はfukushimaなのか?」
ステージを埋め尽くした詩人たちともに「連詩」を謳いあげる和合氏は、現役還暦バンク・ロッカー・遠藤ミチロウ氏を凌駕する、魂の咆哮。
詩が、言葉が、これほど力を持っているのかと驚愕させられる魂の叫びだ。
ほかにも、幾多の印象に残った言葉がある。
ミュージシャンとして世界中のボーダー(国境)を超えたきた大友氏が、放射能によって遮られた立ち入り禁止の前で、「超えられないボーダーがここにある」と呻き、8月15日の開催にこだわったという遠藤氏が「戦後つくり上げたものをもう一度検証すべきた」と、重く語る。
そして、チェルノブイリからメッセージを持ち帰った木村氏による、「福島に移住します」という力強い宣言で、番組は終わる。
いや、fukushimaは終わらない。
まるで、このプロジェクトの始まりであるかのように、その宣伝は高らかに鳴り響く。
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【TV】ETV特集「ネットワークでつくる放射能汚染地図 3~子どもたちを被ばくから守るために~」 ― 2011/08/29
ETV特集「ネットワークでつくる放射能汚染地図」シリーズの第3弾(8月28日NHK教育)。さすがに3作目ともなれば、新味もなくなり…と思いきや、これまた驚愕の展開に加え、ヒューマン・ドラマとしての妙味も加わり、極上のドキュメンタリーとなった。
これは、本年度ギャラクシー賞(報道部門)の有力候補作だろう。
まずは、福島第一事故直後から放射能汚染マップ作りに取り組む木村真三氏(獨協医科大学准教授)と岡野眞治氏(元理化学研究所)が、今もって汚染マップ作りに専心し、さらに詳細な避難区域に指定されていない地域での調査を続けていることが伝えられる。
なにしろ国や自治体が手をつけていない「汚染マップ」を、“在野”の立場からいまだにコツコツと作り続けていることにまずは驚かされるし、行政や政治家、そして東電の怠慢に改めて怒りが込み上げてくる。
さらに驚かされるのは、“ホットスポット”が点在する二本松市の中でも、最も高い線量を記録した家の家族にまでに調査のメスを入れる。おばあさんから、赤ちゃんを産んだばかりの若い母親まで、家族全員に計測機を付けてもらい、さらに家の周囲や部屋ごとの線量まで詳細に調査。
それによって、家族の生活スタイルや行動、部屋ごとも置かれた環境によって被ばく量が異なることが明らかにされる。このあたりは、ミステリータッチの科学ドキュメンタリーを観るようで、引き込まれる。
それからが凄い。この家族の被ばく線量を抑えるために、木村氏自らが作業着をまとい家の「除染」にあたるのだ。
その結果は…なんと部屋内の線量が1/2に現象したのだ。明らかに家の「除染」が効果があったことが、この「実験」は示していた。
安心した家族の顔。幼子を抱いた母親のホッとした表情が印象的な場面だが、この「実験」はまた大きな問題も提示した。なにしろがその作業量たるやハンバではない。庭の除染(表土のはぎ取り)は市職員9名が5時間がかりで行ない、屋根(瓦・雨どい等)の除染は木村氏ら2名が8時間かけて行った。そして、運び出された土は土のう400袋、4トンにも及んだ。
とても、個人(各家庭)の力ではできるものではないし、行政としてもとてもおいそれと手を出されるようなシロモノではない。なにしろ一軒一軒の被ばくの状況を調査したうえで、その除染法を考え、それを実行に移さなければならないのだ。とほうもない作業量が待っている…。
それに対して、木村氏は単純な被ばく線量ではなく、乳幼児がいる家庭を優先するなど、各家庭の事情に応じた対応が必要だと訴える。
木村・岡村両氏は健康被害を抑えるために、内部被ばくも含めた、さらに詳細な調査が必要だとして、今後も続けていくという。
被ばくの不安に揺れる住人たちの表情だけでなく、「職がないときに塗装の仕事をしてましたから」と笑いながら屋根上で作業するその板についた職人ぶりや、住人やご家族に対する丁寧な説明や対応から、木村氏の人柄と強固な意志が伝わってくる。間違いなくそれが、本作を一級のヒューマン・ドキュメンタリーに押し上げた。
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これは、本年度ギャラクシー賞(報道部門)の有力候補作だろう。
まずは、福島第一事故直後から放射能汚染マップ作りに取り組む木村真三氏(獨協医科大学准教授)と岡野眞治氏(元理化学研究所)が、今もって汚染マップ作りに専心し、さらに詳細な避難区域に指定されていない地域での調査を続けていることが伝えられる。
なにしろ国や自治体が手をつけていない「汚染マップ」を、“在野”の立場からいまだにコツコツと作り続けていることにまずは驚かされるし、行政や政治家、そして東電の怠慢に改めて怒りが込み上げてくる。
さらに驚かされるのは、“ホットスポット”が点在する二本松市の中でも、最も高い線量を記録した家の家族にまでに調査のメスを入れる。おばあさんから、赤ちゃんを産んだばかりの若い母親まで、家族全員に計測機を付けてもらい、さらに家の周囲や部屋ごとの線量まで詳細に調査。
それによって、家族の生活スタイルや行動、部屋ごとも置かれた環境によって被ばく量が異なることが明らかにされる。このあたりは、ミステリータッチの科学ドキュメンタリーを観るようで、引き込まれる。
それからが凄い。この家族の被ばく線量を抑えるために、木村氏自らが作業着をまとい家の「除染」にあたるのだ。
その結果は…なんと部屋内の線量が1/2に現象したのだ。明らかに家の「除染」が効果があったことが、この「実験」は示していた。
安心した家族の顔。幼子を抱いた母親のホッとした表情が印象的な場面だが、この「実験」はまた大きな問題も提示した。なにしろがその作業量たるやハンバではない。庭の除染(表土のはぎ取り)は市職員9名が5時間がかりで行ない、屋根(瓦・雨どい等)の除染は木村氏ら2名が8時間かけて行った。そして、運び出された土は土のう400袋、4トンにも及んだ。
とても、個人(各家庭)の力ではできるものではないし、行政としてもとてもおいそれと手を出されるようなシロモノではない。なにしろ一軒一軒の被ばくの状況を調査したうえで、その除染法を考え、それを実行に移さなければならないのだ。とほうもない作業量が待っている…。
それに対して、木村氏は単純な被ばく線量ではなく、乳幼児がいる家庭を優先するなど、各家庭の事情に応じた対応が必要だと訴える。
木村・岡村両氏は健康被害を抑えるために、内部被ばくも含めた、さらに詳細な調査が必要だとして、今後も続けていくという。
被ばくの不安に揺れる住人たちの表情だけでなく、「職がないときに塗装の仕事をしてましたから」と笑いながら屋根上で作業するその板についた職人ぶりや、住人やご家族に対する丁寧な説明や対応から、木村氏の人柄と強固な意志が伝わってくる。間違いなくそれが、本作を一級のヒューマン・ドキュメンタリーに押し上げた。
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【TV】NHKスペシャル「果てなき苦闘 巨大津波 医師たちの記録」 ― 2011/07/03
震災から原発事故・放射能汚染報道で、報道「道」のトップランナーとして爆走するNHK がまたもや快挙だ。震災から現在に至るまで、「災害医療」の前線に立ち、20万人の生命を守ってきた石巻赤十字病院の医師たちの姿を追ったNHKスペシャル「果てなき苦闘 巨大津波 医師たちの記録」(7月3日)に、またも瞠目と落涙。
もちろん「快挙」なのは、報道だけではない。讃えられるべきは医師(関係者も)たちの判断力と行動力、そしてそれを支える意志(心)だ。
数日前にも「ニュースの深層」(朝日ニュースター・6月29日放送)で、石巻市でのボランティア活動と運営組織化が「奇跡のボランティア組織 石巻」として取り上げられていたが、“石巻の奇跡”はボランティアだけではなかったのだ。
石巻の医療プロフェッショナルたちもまた、“石巻の奇跡”を担っていた。
冒頭の映像からして驚かれされる。
まずは、職員が撮影したとおぼしき病院内での地震発生時の生々しい映像が流れるのだが、的確に揺れの状態や院内の様子をとらえたそのプロはだしの記録映像に目を奪われていると、すぐに映像は院内のミーティング風景に替わり、リーダー格の石井正医師が緊急時対策「レベル3」を宣告する。これが15時3分。
それから、大地震からわずか30分後の15時16分には、院内で緊急体制がとられ、患者たちを重症度と緊急性によって分別(トリアージ)。ロビーには簡易ベットが敷かれ、またたく間に病院は震災被害者の受け入れ体制が整えられる。
それが院内の映像記録として残されていたことにも驚愕するが、なんといってもその素早い対応に目が奪われる。「政治」や「行政」の対応の遅さを目の当たりにしてきたワタシたちにとって、それはまさに“奇跡”に見えてしまう。
しかし、この病院の医師たちの矜持は、そうした対応の早さだけではなく、その後に続く、また「医療」を超えた、さまざまな活動にこそある。
市街地が壊滅的被害を受け、116の医療機関ほとんどが機能停止するなか唯一残った同病院にこそ、地域20万人の“いのち”を守る使命が授けられていた。
行政さえ市内に300カ所ある避難所の実態を掴めないなか、医師たちが一つひとつの避難所の調査に歩くことで、それらが「医療以前」の環境に置かれていることを医師たちは知る。
なんと震災から10日経っても食料がゆき届かない避難所が多数あったのだ。同病院の石井医師は、憤りのまま宮城県庁に直談判に乗り込むが、県の担当者はヘラヘラと笑うのみ…。
また水が使えず、汚物さえまともに処理されていないなど衛生面で問題のある避難所は100カ所に及ぶことわかった。そこで石井医師による独自のルートから簡易水道を引くことにし、やがて11カ所の避難所で水が使えることになった。
「これは行政の仕事だの、医療の仕事だのと言っている場合ではない」という石井医師の言葉が、至極まっとうに、そして重く響く。
震災から3カ月で264名がこの病院で息をひきとったというが、ガレキの片づけによって重篤な感染症になる患者が頻出するなど、いまだ緊急搬送者は通常の5倍にのぼるという。
地盤沈下によっていまだに満潮の度に冠水する地域があるなど、衛生面も含めて、震災地の多くの生命はいまだに危機に晒されているのだ。
数々の被災現場で医療活動を行ってきた石井医師が呻くように、言葉を紡ぐ。
「今までの経験や役に立たない。その場、その場で何ができるか。そしてそれをいかに後世に伝えていくか…」
そう、震災時の緊急医療活動を追ったこの貴重な記録もまた、後世に伝えていかなければならない映像作品なのだ。
*再放送予定:7月7日(木) 00:15 ~ 01:05(NHK総合)
◆NHKスペシャル「果てなき苦闘 巨大津波 医師たちの記録」の参考レビュー(*タイトル文責は森口)
「日本の災害医療の現状と課題が浮かび上がった貴重な記録」--壺齋閑話
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もちろん「快挙」なのは、報道だけではない。讃えられるべきは医師(関係者も)たちの判断力と行動力、そしてそれを支える意志(心)だ。
数日前にも「ニュースの深層」(朝日ニュースター・6月29日放送)で、石巻市でのボランティア活動と運営組織化が「奇跡のボランティア組織 石巻」として取り上げられていたが、“石巻の奇跡”はボランティアだけではなかったのだ。
石巻の医療プロフェッショナルたちもまた、“石巻の奇跡”を担っていた。
冒頭の映像からして驚かれされる。
まずは、職員が撮影したとおぼしき病院内での地震発生時の生々しい映像が流れるのだが、的確に揺れの状態や院内の様子をとらえたそのプロはだしの記録映像に目を奪われていると、すぐに映像は院内のミーティング風景に替わり、リーダー格の石井正医師が緊急時対策「レベル3」を宣告する。これが15時3分。
それから、大地震からわずか30分後の15時16分には、院内で緊急体制がとられ、患者たちを重症度と緊急性によって分別(トリアージ)。ロビーには簡易ベットが敷かれ、またたく間に病院は震災被害者の受け入れ体制が整えられる。
それが院内の映像記録として残されていたことにも驚愕するが、なんといってもその素早い対応に目が奪われる。「政治」や「行政」の対応の遅さを目の当たりにしてきたワタシたちにとって、それはまさに“奇跡”に見えてしまう。
しかし、この病院の医師たちの矜持は、そうした対応の早さだけではなく、その後に続く、また「医療」を超えた、さまざまな活動にこそある。
市街地が壊滅的被害を受け、116の医療機関ほとんどが機能停止するなか唯一残った同病院にこそ、地域20万人の“いのち”を守る使命が授けられていた。
行政さえ市内に300カ所ある避難所の実態を掴めないなか、医師たちが一つひとつの避難所の調査に歩くことで、それらが「医療以前」の環境に置かれていることを医師たちは知る。
なんと震災から10日経っても食料がゆき届かない避難所が多数あったのだ。同病院の石井医師は、憤りのまま宮城県庁に直談判に乗り込むが、県の担当者はヘラヘラと笑うのみ…。
また水が使えず、汚物さえまともに処理されていないなど衛生面で問題のある避難所は100カ所に及ぶことわかった。そこで石井医師による独自のルートから簡易水道を引くことにし、やがて11カ所の避難所で水が使えることになった。
「これは行政の仕事だの、医療の仕事だのと言っている場合ではない」という石井医師の言葉が、至極まっとうに、そして重く響く。
震災から3カ月で264名がこの病院で息をひきとったというが、ガレキの片づけによって重篤な感染症になる患者が頻出するなど、いまだ緊急搬送者は通常の5倍にのぼるという。
地盤沈下によっていまだに満潮の度に冠水する地域があるなど、衛生面も含めて、震災地の多くの生命はいまだに危機に晒されているのだ。
数々の被災現場で医療活動を行ってきた石井医師が呻くように、言葉を紡ぐ。
「今までの経験や役に立たない。その場、その場で何ができるか。そしてそれをいかに後世に伝えていくか…」
そう、震災時の緊急医療活動を追ったこの貴重な記録もまた、後世に伝えていかなければならない映像作品なのだ。
*再放送予定:7月7日(木) 00:15 ~ 01:05(NHK総合)
◆NHKスペシャル「果てなき苦闘 巨大津波 医師たちの記録」の参考レビュー(*タイトル文責は森口)
「日本の災害医療の現状と課題が浮かび上がった貴重な記録」--壺齋閑話
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【TV】トニー賞 ミュージカル特集「フェラ!」 ― 2011/06/20
これは驚いた。
フェラ・アニクラポ・クティの半生を描いた『フェラ!』なるミュージカルがブロードウェイで上演され、しかも2010年のトニー賞で11部門にノミネート、3部門を受賞していたとは!
その舞台ライブが、6月15日にNHK・BSプレミアムで放映された。
フェラ・クティといえば、70年代に腐敗しきったナイジェリア政府を攻撃し続けた先鋭的なミュージシャンで、「アフロビート」の創始者。いわばアフリカにおけるワールド・ミュージックの先駆者であり、ボブ・マーリーと比してもおかしくない存在だ。
しかしながらその知名度ははるかに低い…と思っていたので、こうしたミュージカルが製作・上演されていたことに大いに驚いた次第。
たしかに近年、アンティバラスなど若い世代の間で、フェラの遺伝子を引き継いだアフロ・ビート・バンドが注目を集めていることは知っていたが、まさかフェラがミュージカルになるとは…。
舞台設定は、フェラの活動根拠地であった「シュライン」。
観客はそのライブハウスに集まった「観客」という設定で、フェラの語り(演説)とライブ演奏で物語は進む。
「シュライン」といえば、ナイジェリア政府からの弾圧を何度も受け、たしか死者まで出したフェラの“聖地”。そこでのライブを再現するということで、観客は生前のフェラの聖地ライブを疑似体験できるという仕掛け。
なるほど、そこまではいい。
しかし、どんなに(風貌から声や喋りまでも)フェラに似せた男優(サ・ンガウジャ)が演じても、腕達者なミュージシャンやバンド演奏やコーラスが熱演を繰り広げても、あのフェラの呪術的なパフォーマンスは再現できないのだ…。
あのおどろあどろしいまでのカリスマ性、危険な香り、ヒリヒリとした感性と、あくことのないアグレッシブなサウンド…。ワタシがフェラの生ライブを体験した数少ない日本人(1984年グラストンベリー・フェスティバル)であるということを差し引いても、その舞台で演じられるものは実際のフェラには及びもつかないものなのだ。
しかも客席を埋めるのは、正装に近い大人げな紳士・淑女ばかりだ(収録はなぜかロンドン公演)。
ここはシュラインだ、と言われてもまったく現実感はなく、かえってエキゾチズムと正義感に彩どられた植民地ドラマを見せられているかのように、居心地が悪い。かつてボール・サイモンらもやり玉に挙げられた非西欧文化搾取の構図が頭をよぎる。
そうした批判が起こるのを予期してか(?)休憩を挟んでの後半では、フェラの活動と音楽に大きな影響を与えた神話的なヨルバ世界に迫ろうとするが、それほど舞台の深化に貢献しているとは思えず、むしろ冗長になった印象を受ける。
なんといっても休憩を挟んで3時間にも及ぶ舞台は長い。もうちょっと刈り込んでもよかったのではないか。ノミネートのわりに受賞が少なく、しかも主要な賞を逃していることからも、このミュージカルの評価がそう高くなかったことが伺い知れる。
そうは言っても、「Up Side Down」「Zombie」といった往年の名曲が流れればついこちらも熱くなる。それだけに、フェラが世に送り出した楽曲群が時代を超えた“名曲”であったことがはからずも証明されたわけで、それだけでもこのミュージカルが上演された意味があったかもしれない。
◆ミュージカル『フェラ!』の参考レビュー(*タイトル文責は森口)
「思わず腰ふる、エネルギー爆発ミュージカル『Fela!』」--NY Niche
「ニューヨーク公演は連日超満員」--Dance Cube チャコット webマガジン
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フェラ・アニクラポ・クティの半生を描いた『フェラ!』なるミュージカルがブロードウェイで上演され、しかも2010年のトニー賞で11部門にノミネート、3部門を受賞していたとは!
その舞台ライブが、6月15日にNHK・BSプレミアムで放映された。
フェラ・クティといえば、70年代に腐敗しきったナイジェリア政府を攻撃し続けた先鋭的なミュージシャンで、「アフロビート」の創始者。いわばアフリカにおけるワールド・ミュージックの先駆者であり、ボブ・マーリーと比してもおかしくない存在だ。
しかしながらその知名度ははるかに低い…と思っていたので、こうしたミュージカルが製作・上演されていたことに大いに驚いた次第。
たしかに近年、アンティバラスなど若い世代の間で、フェラの遺伝子を引き継いだアフロ・ビート・バンドが注目を集めていることは知っていたが、まさかフェラがミュージカルになるとは…。
舞台設定は、フェラの活動根拠地であった「シュライン」。
観客はそのライブハウスに集まった「観客」という設定で、フェラの語り(演説)とライブ演奏で物語は進む。
「シュライン」といえば、ナイジェリア政府からの弾圧を何度も受け、たしか死者まで出したフェラの“聖地”。そこでのライブを再現するということで、観客は生前のフェラの聖地ライブを疑似体験できるという仕掛け。
なるほど、そこまではいい。
しかし、どんなに(風貌から声や喋りまでも)フェラに似せた男優(サ・ンガウジャ)が演じても、腕達者なミュージシャンやバンド演奏やコーラスが熱演を繰り広げても、あのフェラの呪術的なパフォーマンスは再現できないのだ…。
あのおどろあどろしいまでのカリスマ性、危険な香り、ヒリヒリとした感性と、あくことのないアグレッシブなサウンド…。ワタシがフェラの生ライブを体験した数少ない日本人(1984年グラストンベリー・フェスティバル)であるということを差し引いても、その舞台で演じられるものは実際のフェラには及びもつかないものなのだ。
しかも客席を埋めるのは、正装に近い大人げな紳士・淑女ばかりだ(収録はなぜかロンドン公演)。
ここはシュラインだ、と言われてもまったく現実感はなく、かえってエキゾチズムと正義感に彩どられた植民地ドラマを見せられているかのように、居心地が悪い。かつてボール・サイモンらもやり玉に挙げられた非西欧文化搾取の構図が頭をよぎる。
そうした批判が起こるのを予期してか(?)休憩を挟んでの後半では、フェラの活動と音楽に大きな影響を与えた神話的なヨルバ世界に迫ろうとするが、それほど舞台の深化に貢献しているとは思えず、むしろ冗長になった印象を受ける。
なんといっても休憩を挟んで3時間にも及ぶ舞台は長い。もうちょっと刈り込んでもよかったのではないか。ノミネートのわりに受賞が少なく、しかも主要な賞を逃していることからも、このミュージカルの評価がそう高くなかったことが伺い知れる。
そうは言っても、「Up Side Down」「Zombie」といった往年の名曲が流れればついこちらも熱くなる。それだけに、フェラが世に送り出した楽曲群が時代を超えた“名曲”であったことがはからずも証明されたわけで、それだけでもこのミュージカルが上演された意味があったかもしれない。
◆ミュージカル『フェラ!』の参考レビュー(*タイトル文責は森口)
「思わず腰ふる、エネルギー爆発ミュージカル『Fela!』」--NY Niche
「ニューヨーク公演は連日超満員」--Dance Cube チャコット webマガジン
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【TV】ETV特集「続報 放射能汚染地図」 ― 2011/06/06
やはり放映後、大きな反響を呼んだのであろう。
ETV特集『ネットワークでつくる放射能汚染地図 ~福島原発事故から2か月~』 (5月15日放送)の続編が急遽、「続報 放射能汚染地図」として昨晩(6月5日)放送された。
続編を決定づけたのは、前回放映後に福島第一原発正門から1.7キロ地点で採取した土壌の「調査結果を知りたい」という聴取者からの声が殺到したことによるようだ。
それはそうだろう。なにしろ汚染の本家本元が調査に応じないわけだから、その汚染元に最も近い地点の汚染状況がどうなっているのか、国民がいま最も知りたい重大事項ではないか。
検査結果の中でとりわけ注目されたのは、放射能の中でも猛毒を発するプルトニウムが検出されるかどうか…。
はたしてそれは検出されてしまい、またもやワタシたちはこの原発事故の重篤さを改めて思い知らされ、暗澹たる気分に陥る…。
今回はドキュメンタリーというのよりは、調査にあたった木村真三氏と岡野眞治博士を招いてのスタジオでのトークが中心であったが、それでも地元の要望で追加調査にあたった福島県南部のいわき市で新たなホットスポット(放射性物質が高レベルで検出される場所)が発見されるという驚愕の事実が明るみにされる。
というのもこの地域は計画的避難区域や緊急時避難準備区域から外れ住民は、何も知らされずにフツーの生活を送っているのだ。その数値は「飯館市と同じレベルで、チェルノブイリで言えば第2ゾーン。強制的避難地域です」という木村氏の言葉に、思わずのけぞりそうになる…。
本番組を観て、改めて国や行政に対して怒りが込み上げてくるのは、ワタシだけではないだろう。木村氏らが取り組んでいる調査は、本来、国や行政あるいは東電が率先して行うべきものではないのか? なぜ、心ある学者グループが実行できて、国や行政は出来ないのか?
地域ごとの放射能汚染レベルを測定し、細かい避難指示を出す。
それこそが、国や行政のやるべき仕事ではないのか!?
それにしてもここに登場する科学者たちが口を揃えて、「汚染の実態をきめ細かく調査したうえで、“住民の生活を基本”に考えて対処すべき」と意見していたことに、救われる思いがした…。
科学とは、いったい誰のためにあるのか?
それを放射能汚染地図をつくった科学者たちと、この番組は教えてくれている。
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ETV特集『ネットワークでつくる放射能汚染地図 ~福島原発事故から2か月~』 (5月15日放送)の続編が急遽、「続報 放射能汚染地図」として昨晩(6月5日)放送された。
続編を決定づけたのは、前回放映後に福島第一原発正門から1.7キロ地点で採取した土壌の「調査結果を知りたい」という聴取者からの声が殺到したことによるようだ。
それはそうだろう。なにしろ汚染の本家本元が調査に応じないわけだから、その汚染元に最も近い地点の汚染状況がどうなっているのか、国民がいま最も知りたい重大事項ではないか。
検査結果の中でとりわけ注目されたのは、放射能の中でも猛毒を発するプルトニウムが検出されるかどうか…。
はたしてそれは検出されてしまい、またもやワタシたちはこの原発事故の重篤さを改めて思い知らされ、暗澹たる気分に陥る…。
今回はドキュメンタリーというのよりは、調査にあたった木村真三氏と岡野眞治博士を招いてのスタジオでのトークが中心であったが、それでも地元の要望で追加調査にあたった福島県南部のいわき市で新たなホットスポット(放射性物質が高レベルで検出される場所)が発見されるという驚愕の事実が明るみにされる。
というのもこの地域は計画的避難区域や緊急時避難準備区域から外れ住民は、何も知らされずにフツーの生活を送っているのだ。その数値は「飯館市と同じレベルで、チェルノブイリで言えば第2ゾーン。強制的避難地域です」という木村氏の言葉に、思わずのけぞりそうになる…。
本番組を観て、改めて国や行政に対して怒りが込み上げてくるのは、ワタシだけではないだろう。木村氏らが取り組んでいる調査は、本来、国や行政あるいは東電が率先して行うべきものではないのか? なぜ、心ある学者グループが実行できて、国や行政は出来ないのか?
地域ごとの放射能汚染レベルを測定し、細かい避難指示を出す。
それこそが、国や行政のやるべき仕事ではないのか!?
それにしてもここに登場する科学者たちが口を揃えて、「汚染の実態をきめ細かく調査したうえで、“住民の生活を基本”に考えて対処すべき」と意見していたことに、救われる思いがした…。
科学とは、いったい誰のためにあるのか?
それを放射能汚染地図をつくった科学者たちと、この番組は教えてくれている。
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【TV】鶴瓶の家族に乾杯 石巻・再会の旅 ― 2011/06/02
放映から数日経てしまったが、「テレビの可能性」を感じた一作として書き留めておきたいNHK「鶴瓶の家族に乾杯 石巻・再会の旅 (前・後編)」( 5月23日・30日)。
番組の趣旨を換言すれば、昨年(2010年)2月に番組収録で訪れた宮城県石巻を鶴瓶師匠が、さだまさし氏を伴って再訪するというもの。
そう、あの大震災で壊滅的な被害を受けた石巻を、だ。
だからこそこの番組は価値がある。
前編では、鶴瓶師匠が当地で出会った人たちの消息を訪ね歩くという、まさに「再会の旅」。日和山公園で出会ったサーファーの、津波のがれきな中を泳ぎきり九死に一生を得た体験をはじめ、師匠が再会する一人ひとりに凄まじい受難のドラマがあったことを思い知らされる。その一人ひとりと抱き合い、無事と再会を喜びあう鶴瓶師匠…。
そして、その“生きのびた”人びとの証言の一つひとつがまさに歴史的な価値を持ち、またかつてののどかで美しい風景と比較される、現在も続く被災地の惨状も、歴史の記憶として深くとどまる。
漁の盛んな石巻市渡波地区も壊滅的な被害を受けた。
“婚活中”とばかりに「夜のクラブ活動」に勤しんでいた、山田さんとも再会。だが、あのひょうきんだった山田さんもさすがに元気がない。それも無理はないだろう。北上川沿いに建てられていた自宅の根元がごっそりと削られ、津波に揉まれた1階は見るも無残な姿なのだ…。
ちなみにワタシの同級生の多くも、避難所から自宅に戻ったものの未だに2階暮らしを強いられているという…。つまりガス、水道、風呂がろくに使えないということだ。「復興」は、まだこれからなのだ。
後編では、津波を受けて閉館となった中石巻市民会館でかつてコンサートを開いたことがあるというさだ氏と共に、避難所になっている寺で落語&ミニコンサートを開く師匠たちを捉える。
鶴瓶師匠はかつてこの寺を訪れた際に、寺の住職に「落語会を開く」と約束した。師匠はこうして、今回の再訪で石巻と人びとと交わした約束を次々と果たしていく。つまり、“約束の旅”というじつにパーソナルな旅であり、ドキュメンタリーなのだ。
マスであるはずのテレビが、ここでは“個”に徹底する。個と個の関係性が、マスを超えてワタシたちの胸を打つ。そこにワタシはテレビの可能性を感じるのだ。
阪神大震災で“発見”されたラジオの役割は、此度の大震災でもその能力を大いに発揮したが、テレビでもラジオと同じように、あるいはラジオと違ったかたちでの役割が果たせることを示したのが本番組だったと思う。
それにしても鶴瓶師匠の“人たらしぶり”は流石で、出会う人、出会う人、どんな市井の人でも彼の話術と所作に操られるように見事に一人ひとりの“物語”が立ち上がってくる。
その“引き出し”の技(わざ)は、かの宮本常一に比してもおかしくないほどで、『ニッポン国・古屋敷村』で結実した小川プロによる映画的フィールドワークにも通じるものだ。
通奏するのは、一期一会の奇跡と、人と人をつなぐ絆。皮肉なことではあるが、震災という酷苦が、石巻を舞台にした一つのドラマを生んだ。(6月5日(日)16:45~17:30に後編が再放送予定)
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番組の趣旨を換言すれば、昨年(2010年)2月に番組収録で訪れた宮城県石巻を鶴瓶師匠が、さだまさし氏を伴って再訪するというもの。
そう、あの大震災で壊滅的な被害を受けた石巻を、だ。
だからこそこの番組は価値がある。
前編では、鶴瓶師匠が当地で出会った人たちの消息を訪ね歩くという、まさに「再会の旅」。日和山公園で出会ったサーファーの、津波のがれきな中を泳ぎきり九死に一生を得た体験をはじめ、師匠が再会する一人ひとりに凄まじい受難のドラマがあったことを思い知らされる。その一人ひとりと抱き合い、無事と再会を喜びあう鶴瓶師匠…。
そして、その“生きのびた”人びとの証言の一つひとつがまさに歴史的な価値を持ち、またかつてののどかで美しい風景と比較される、現在も続く被災地の惨状も、歴史の記憶として深くとどまる。
漁の盛んな石巻市渡波地区も壊滅的な被害を受けた。
“婚活中”とばかりに「夜のクラブ活動」に勤しんでいた、山田さんとも再会。だが、あのひょうきんだった山田さんもさすがに元気がない。それも無理はないだろう。北上川沿いに建てられていた自宅の根元がごっそりと削られ、津波に揉まれた1階は見るも無残な姿なのだ…。
ちなみにワタシの同級生の多くも、避難所から自宅に戻ったものの未だに2階暮らしを強いられているという…。つまりガス、水道、風呂がろくに使えないということだ。「復興」は、まだこれからなのだ。
後編では、津波を受けて閉館となった中石巻市民会館でかつてコンサートを開いたことがあるというさだ氏と共に、避難所になっている寺で落語&ミニコンサートを開く師匠たちを捉える。
鶴瓶師匠はかつてこの寺を訪れた際に、寺の住職に「落語会を開く」と約束した。師匠はこうして、今回の再訪で石巻と人びとと交わした約束を次々と果たしていく。つまり、“約束の旅”というじつにパーソナルな旅であり、ドキュメンタリーなのだ。
マスであるはずのテレビが、ここでは“個”に徹底する。個と個の関係性が、マスを超えてワタシたちの胸を打つ。そこにワタシはテレビの可能性を感じるのだ。
阪神大震災で“発見”されたラジオの役割は、此度の大震災でもその能力を大いに発揮したが、テレビでもラジオと同じように、あるいはラジオと違ったかたちでの役割が果たせることを示したのが本番組だったと思う。
それにしても鶴瓶師匠の“人たらしぶり”は流石で、出会う人、出会う人、どんな市井の人でも彼の話術と所作に操られるように見事に一人ひとりの“物語”が立ち上がってくる。
その“引き出し”の技(わざ)は、かの宮本常一に比してもおかしくないほどで、『ニッポン国・古屋敷村』で結実した小川プロによる映画的フィールドワークにも通じるものだ。
通奏するのは、一期一会の奇跡と、人と人をつなぐ絆。皮肉なことではあるが、震災という酷苦が、石巻を舞台にした一つのドラマを生んだ。(6月5日(日)16:45~17:30に後編が再放送予定)
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【TV】ETV特集「ネットワークでつくる放射能汚染地図 ~福島原発事故から2か月~」 ― 2011/05/16
力作を連発するETV特集が、これまた放った瞠目の一本。「ネットワークでつくる放射能汚染地図~福島原発事故から2か月~」が、昨夜(5月15日)放映された。
この間の事故への対応・コメントを見るにつけ、改めて原発関係の科学者のほとんどが“御用学者”である目してきた。ところが、そうではない科学者たちがいたことを本作で知った。良心に基づいて行動する数少ない科学者たちがいた。まずそのことに、驚かされた。
未曾有の原発事故によって、いったい何が起こっているのか?
放射能災害は、人びとや環境に何をもたらしているのか?
番組では、全国の心ある科学者たちがスクラムを組み、地道な作業を続けながら「放射能汚染地図」を組み上げていく様に密着する。
震災3日後から防護服をまとい、放射能汚染でカウンターの針が振り切れる地域に踏み入っては、黙々と土壌や空気、植物を採取し、調査をくり返す科学者たち。
途中、じつは測定値が高い場所で、それを知らずに避難している住民にも遭遇。国の観測データが、その地に住む人たちに知らされていないという理不尽さが暴露される。
番組中、何度となく「あっ、針が振り切れました」と繰り返され、調査にあたる学者が「現実とは思えない…」と呻く姿に、改めてこの原発災害の重篤さを思い知らされる。
福島第一原発から60キロ離れた郡山市内の中学校校庭の測定値が、「チェルノブイリから3キロの地点の値と同じですね」などと聞くだけで頭がクラクラしてくる…。これは本当にレベル7の事故なのだろうか? すでにレベル8、9にも達しているのではないか、と改めて身震いする。
4月19日、文部科学省は、学校等の校舎・校庭等の利用判断における放射線量の目安として、年20ミリシーベルト、屋外において3.8マイクロシーベルト/時という基準を、福島県教育委員会や関係機関に通知した。
労働基準法では、18歳未満の3.8マイクロシーベルト/時の作業を禁止しているのに、だ。
ところがこれに抗議する父母たちの前で、会見に同席した原子力安全委員からは、「私たちは20ミリシーベルトを許容しない」という発言が飛び出す。あたり前だ。いったいこの国の為政者たちは、どうなってしまっているのだ…。
科学者たちによる地を這いつくばりながらの調査地点は、130カ所にも及び、やがて前代未聞の「放射能汚染地図」は完成した。
しかし、そこには福島第一原発敷地内の測定値はなかった…。
一部では、“フクシマ50”や吉田・福島第一原発所長を讃える声が聞こえてくる。しかし、彼らは今般露(あらわ)となった一号機のメルトダウンの事実も含め、今に至るまで多くの情報隠しを続けてきた張本人たちではないのか?
調査の中心となった木村真三氏は、現地調査を止められたことで、放射線医学総合研究所の研究官という職を辞して、このプロジェクトを敢行した。
被曝(ひばく)による人体影響と、今後の土壌汚染への対策を、客観的かつ冷静に考えてゆくための基礎となるデータ…。それは科学者たちの“良心”が詰まった、未来への贈り物だ。
讃えられべき人たちが、ここにいる。今後何十年にもわたって放射能汚染と闘うという重い責務を負った人たがここにいる。そして、2カ月にわたり彼らと同じく、放射能を浴び続けながら、取材を敢行したNHKスタッフにも改めて拍手を送りたい。(5月28日15:00~再放送)
*追記 6月5日(日)22:00~22:30 ETV特集で続報が放送予定。
「続報 放射能汚染地図」
◆ETV特集「ネットワークでつくる放射能汚染地図」の参考レビュー(*タイトル文責は森口)
「研究者、ジャーナリスト生命をかけての仕事」--感染症診療の原則
「大金星であり大黒星でもある番組」--てんしな?日々
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この間の事故への対応・コメントを見るにつけ、改めて原発関係の科学者のほとんどが“御用学者”である目してきた。ところが、そうではない科学者たちがいたことを本作で知った。良心に基づいて行動する数少ない科学者たちがいた。まずそのことに、驚かされた。
未曾有の原発事故によって、いったい何が起こっているのか?
放射能災害は、人びとや環境に何をもたらしているのか?
番組では、全国の心ある科学者たちがスクラムを組み、地道な作業を続けながら「放射能汚染地図」を組み上げていく様に密着する。
震災3日後から防護服をまとい、放射能汚染でカウンターの針が振り切れる地域に踏み入っては、黙々と土壌や空気、植物を採取し、調査をくり返す科学者たち。
途中、じつは測定値が高い場所で、それを知らずに避難している住民にも遭遇。国の観測データが、その地に住む人たちに知らされていないという理不尽さが暴露される。
番組中、何度となく「あっ、針が振り切れました」と繰り返され、調査にあたる学者が「現実とは思えない…」と呻く姿に、改めてこの原発災害の重篤さを思い知らされる。
福島第一原発から60キロ離れた郡山市内の中学校校庭の測定値が、「チェルノブイリから3キロの地点の値と同じですね」などと聞くだけで頭がクラクラしてくる…。これは本当にレベル7の事故なのだろうか? すでにレベル8、9にも達しているのではないか、と改めて身震いする。
4月19日、文部科学省は、学校等の校舎・校庭等の利用判断における放射線量の目安として、年20ミリシーベルト、屋外において3.8マイクロシーベルト/時という基準を、福島県教育委員会や関係機関に通知した。
労働基準法では、18歳未満の3.8マイクロシーベルト/時の作業を禁止しているのに、だ。
ところがこれに抗議する父母たちの前で、会見に同席した原子力安全委員からは、「私たちは20ミリシーベルトを許容しない」という発言が飛び出す。あたり前だ。いったいこの国の為政者たちは、どうなってしまっているのだ…。
科学者たちによる地を這いつくばりながらの調査地点は、130カ所にも及び、やがて前代未聞の「放射能汚染地図」は完成した。
しかし、そこには福島第一原発敷地内の測定値はなかった…。
一部では、“フクシマ50”や吉田・福島第一原発所長を讃える声が聞こえてくる。しかし、彼らは今般露(あらわ)となった一号機のメルトダウンの事実も含め、今に至るまで多くの情報隠しを続けてきた張本人たちではないのか?
調査の中心となった木村真三氏は、現地調査を止められたことで、放射線医学総合研究所の研究官という職を辞して、このプロジェクトを敢行した。
被曝(ひばく)による人体影響と、今後の土壌汚染への対策を、客観的かつ冷静に考えてゆくための基礎となるデータ…。それは科学者たちの“良心”が詰まった、未来への贈り物だ。
讃えられべき人たちが、ここにいる。今後何十年にもわたって放射能汚染と闘うという重い責務を負った人たがここにいる。そして、2カ月にわたり彼らと同じく、放射能を浴び続けながら、取材を敢行したNHKスタッフにも改めて拍手を送りたい。(5月28日15:00~再放送)
*追記 6月5日(日)22:00~22:30 ETV特集で続報が放送予定。
「続報 放射能汚染地図」
◆ETV特集「ネットワークでつくる放射能汚染地図」の参考レビュー(*タイトル文責は森口)
「研究者、ジャーナリスト生命をかけての仕事」--感染症診療の原則
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【TV】glee/グリー 踊る♪合唱部!? ― 2011/05/13
これはハマる!
昨年、アメリカで放送が始まるや否やそれを観た複数の米滞在タレントや識者が、口々にこの『glee』を絶賛していたが、さもありなん。
いわば幕の内弁当にかつカレーをのせ、豆腐ラーメンをぶっかけて、ティラミスとタバスコをトッピングしたようなドラマなのだから(笑)。
物語はかつてミュージシャンになる夢を持っていた高校教師が、ひょんなことからグリークラブを引き継ぐことになり、落ちこぼれ生徒たちを集めてクラブの存続を図る。
そこへさまざまな妨害や思惑が絡み、まさに毎回ドラマティックな展開をみせる音楽&青春ドラマだ。
NHK・BSプレミアム(毎金曜22:00~22:45)で現在まで5回まで放送されているが、毎回少しずつそのテイストを変化させていくという手法も含めて、米TVドラマの底力を感じさせる出来。
まず、初回から(日本の)通常のTVドラマの5回分ぐらいのスピードで、それぞれが問題やコンプレックスを抱えた登場人物が紹介され、一気にグリークラブ結成へと走る。
ワタシなどはグリークラブといえば、否応もなくダークダックスやデュークエイセスを連想してしまう世代だが(どういう世代だ!?)、まずは、えっ、米ハイスクールのグリークラブってこんなにヒップなの!?ということにまず驚く。
いきなりエイミー・ワインハウスやらカニエ・ウエストのヒット・チューンがコーラスされ、邦題にあるようにヒップホップ・ダンスよろしくひたすら踊りながら歌うという、ワタシのなかにある「グリー」のイメージを打ち砕くに十分な出だし。
その衝撃は、いつの間に一大エンターテイメントに進化していた米マーチングバンドの大会を目にして以来。
ようやくクラブのメンバーの気持ちが一つになり、ラストで本作のテーマソングともいうべきJourneyの「Don't Stop Believin'」が歌い踊るシーンに至る頃には見事に術中にはまり、“感動”に浸るワタシがいる(苦笑)…。
そのままのジェットコースター・ドラマでいくのかと思いきや、3回目あたりで劇中の人物が突然歌い出す従来のミュージカルをバロッた(リスペクト?)趣をみせ、4回目ではマンガチックなテイストでおよそありえない人間絵巻へと展開が転がる…。
これは米ドラマの常套ではあるのだが、黒人、日系、ヒスパニック、ジューイッシュなどさまざまな人種・民族やゲイ、障がい者などがデフォルメチックに配され、マイノリティ感溢れる“負け犬”的なキャラが立ちまくる。
つくり手の上手さを感じるのは、バタバタでベタな展開のなかに、突然ふいをつくように泣かせるセリフや場面を挟み込み、その落差にオヤジはこれにコロっとやられてしまう…。
ゴールデングローブでTVドラマシリーズの最優秀作品賞をはじめ、各賞受総ナメ的な評価もダテではない、オススメ作だ。
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昨年、アメリカで放送が始まるや否やそれを観た複数の米滞在タレントや識者が、口々にこの『glee』を絶賛していたが、さもありなん。
いわば幕の内弁当にかつカレーをのせ、豆腐ラーメンをぶっかけて、ティラミスとタバスコをトッピングしたようなドラマなのだから(笑)。
物語はかつてミュージシャンになる夢を持っていた高校教師が、ひょんなことからグリークラブを引き継ぐことになり、落ちこぼれ生徒たちを集めてクラブの存続を図る。
そこへさまざまな妨害や思惑が絡み、まさに毎回ドラマティックな展開をみせる音楽&青春ドラマだ。
NHK・BSプレミアム(毎金曜22:00~22:45)で現在まで5回まで放送されているが、毎回少しずつそのテイストを変化させていくという手法も含めて、米TVドラマの底力を感じさせる出来。
まず、初回から(日本の)通常のTVドラマの5回分ぐらいのスピードで、それぞれが問題やコンプレックスを抱えた登場人物が紹介され、一気にグリークラブ結成へと走る。
ワタシなどはグリークラブといえば、否応もなくダークダックスやデュークエイセスを連想してしまう世代だが(どういう世代だ!?)、まずは、えっ、米ハイスクールのグリークラブってこんなにヒップなの!?ということにまず驚く。
いきなりエイミー・ワインハウスやらカニエ・ウエストのヒット・チューンがコーラスされ、邦題にあるようにヒップホップ・ダンスよろしくひたすら踊りながら歌うという、ワタシのなかにある「グリー」のイメージを打ち砕くに十分な出だし。
その衝撃は、いつの間に一大エンターテイメントに進化していた米マーチングバンドの大会を目にして以来。
ようやくクラブのメンバーの気持ちが一つになり、ラストで本作のテーマソングともいうべきJourneyの「Don't Stop Believin'」が歌い踊るシーンに至る頃には見事に術中にはまり、“感動”に浸るワタシがいる(苦笑)…。
そのままのジェットコースター・ドラマでいくのかと思いきや、3回目あたりで劇中の人物が突然歌い出す従来のミュージカルをバロッた(リスペクト?)趣をみせ、4回目ではマンガチックなテイストでおよそありえない人間絵巻へと展開が転がる…。
これは米ドラマの常套ではあるのだが、黒人、日系、ヒスパニック、ジューイッシュなどさまざまな人種・民族やゲイ、障がい者などがデフォルメチックに配され、マイノリティ感溢れる“負け犬”的なキャラが立ちまくる。
つくり手の上手さを感じるのは、バタバタでベタな展開のなかに、突然ふいをつくように泣かせるセリフや場面を挟み込み、その落差にオヤジはこれにコロっとやられてしまう…。
ゴールデングローブでTVドラマシリーズの最優秀作品賞をはじめ、各賞受総ナメ的な評価もダテではない、オススメ作だ。
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【TV】ETV特集「町にボクのロックは流れますか?~ネット世代のカリスマ“現実”に挑む」 ― 2011/05/10
放送から数日が経ってしまったが、意外(?)にも優れたドキュメンタリー作品となっていたETV特集「町にボクのロックは流れますか?~ネット世代のカリスマ“現実”に挑む」を改めて取り上げたい(5月8日NHK教育)。
まず、NHK教育と「神聖かまってちゃん」の“の子”という組み合わせに、軽い驚きを持つのはやはりオジさん世代か? なにしろ“長髪”が大問題となって、グループサウンズがNHKに出演できなかった時代を知っている世代なので…(爆)。
それがNHKもさらにお堅い(かった?)教育チャンネルで、「死ね~」連発の“の子”の特集だ。それも文字通りの“丸裸”の私生活に始まり、彼の孤独感や創作の苦しさにあえぐ胸の底まで覗き込もうという意欲的な作品として。
冒頭から“の子”がかつて引き込んでいた部屋にズカズカとカメラが入り込み、官能的な(?)入浴シーンが披露される。これがもういきなりの意表をつく展開で、これで一挙に引き込まれる。
ネットを駆使した活動を展開してきたかまってちゃん=“の子”といえど、いきなり私生活を撮らせてしまうというのは、撮ったNHKもエラいが、撮らせた本人も事務所も、じつに勇気があると思う。
その姿勢は本作を通じて一貫しており、カメラに向かって悪態をつき、スタッフに怒りをぶちまけ、あげくの果てに1カ月もの“失踪”をする“の子”の姿を包み隠さず、そのままライブ感溢れる映像として流す。
いわばかまってちゃん=“の子”がやっていたストリーミング=ライブ・コミュニケーションをそのまま模したかのような手法で、番組(ライブ)が展開する。
近年、ネットを利用した視聴者との双方向コミュニケーションに接近するNHKらしく、ディレクターもそのライブに参加するかのように、初々しいままにストリーミングに参加し、“の子”ファンに素朴に質問を投げかける。
民放のドキュメンタリーにありがちな、その胸中を無理やりこじ開けるような演出も、番組的な盛り上げや感動はここにはない。ただ、この“の子”という異才と、彼をとり巻く事象や人間関係を辿るだけで、十分に物語的で「作品」として成立している。
“の子”という特異な素材と、NHKらしからぬ無手勝な手法が、ネット時代のヒリヒリとした空気感をとらえた、見事な作品として立ち上がった…と言うべきか。
それにしても間近で観る“の子”は、アケミ(じゃがたら)の危うさと、どんと(ボ・ガンポス)の繊細さを併せ持った、天性の「狂気」を感じさせる。いや、それを例えるならハイパー太宰治か(苦笑)。
それゆえに、いつ解散してもおかしくないと思っていた「神聖かまってちゃん」のメンバーが“の子”の数少ない友人として、“失踪”さえも何事もなかったように温かく見守る姿には、なにかこう心癒される…。
「ゴール」も「結論」なくエンディングに向かった本作と同様に、痛いのに高揚感溢れるというその独特のかまってちゃんサウンドを、これからもずっと鳴り響かせていって欲しいと思う。(乞、再放送)
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それがNHKもさらにお堅い(かった?)教育チャンネルで、「死ね~」連発の“の子”の特集だ。それも文字通りの“丸裸”の私生活に始まり、彼の孤独感や創作の苦しさにあえぐ胸の底まで覗き込もうという意欲的な作品として。
冒頭から“の子”がかつて引き込んでいた部屋にズカズカとカメラが入り込み、官能的な(?)入浴シーンが披露される。これがもういきなりの意表をつく展開で、これで一挙に引き込まれる。
ネットを駆使した活動を展開してきたかまってちゃん=“の子”といえど、いきなり私生活を撮らせてしまうというのは、撮ったNHKもエラいが、撮らせた本人も事務所も、じつに勇気があると思う。
その姿勢は本作を通じて一貫しており、カメラに向かって悪態をつき、スタッフに怒りをぶちまけ、あげくの果てに1カ月もの“失踪”をする“の子”の姿を包み隠さず、そのままライブ感溢れる映像として流す。
いわばかまってちゃん=“の子”がやっていたストリーミング=ライブ・コミュニケーションをそのまま模したかのような手法で、番組(ライブ)が展開する。
近年、ネットを利用した視聴者との双方向コミュニケーションに接近するNHKらしく、ディレクターもそのライブに参加するかのように、初々しいままにストリーミングに参加し、“の子”ファンに素朴に質問を投げかける。
民放のドキュメンタリーにありがちな、その胸中を無理やりこじ開けるような演出も、番組的な盛り上げや感動はここにはない。ただ、この“の子”という異才と、彼をとり巻く事象や人間関係を辿るだけで、十分に物語的で「作品」として成立している。
“の子”という特異な素材と、NHKらしからぬ無手勝な手法が、ネット時代のヒリヒリとした空気感をとらえた、見事な作品として立ち上がった…と言うべきか。
それにしても間近で観る“の子”は、アケミ(じゃがたら)の危うさと、どんと(ボ・ガンポス)の繊細さを併せ持った、天性の「狂気」を感じさせる。いや、それを例えるならハイパー太宰治か(苦笑)。
それゆえに、いつ解散してもおかしくないと思っていた「神聖かまってちゃん」のメンバーが“の子”の数少ない友人として、“失踪”さえも何事もなかったように温かく見守る姿には、なにかこう心癒される…。
「ゴール」も「結論」なくエンディングに向かった本作と同様に、痛いのに高揚感溢れるというその独特のかまってちゃんサウンドを、これからもずっと鳴り響かせていって欲しいと思う。(乞、再放送)
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【TV】そうだったのか!池上彰の学べるニュース 東日本大震災特集 ― 2011/03/31
福島第一原発事故をメインテーマに、3時間特番として昨夜放送された『池上彰の学べるニュース 東日本大震災特集』(テレビ朝日)(3月30日)。
池上彰氏については、 ニュースに詳しい“お父さん”役を務めた「週刊子どもニュース」(NHK総合)や朝日新聞に連載中の「新聞ななめ読み」でその仕事ぶりに注目はしていたものの、じつは本番組も含めて“ブレイク”後のテレビ出演番組はほとんど目にしていなかった。
その意味でも、素朴な疑問をわかやすく解説することを旨とする池上ジャーナリズムが、この重いテーマをどのように裁くのか、ワタシ的にも大いに注目しながら観た。
先々週の放送(3月16日)では、原子力の問題をそれこそ「原子とは何か?」から紐解き、先週(3月23日)は池上氏自ら被災地に赴きレポートしたそうだが、今回は真っ正面から「原発事故」を取り上げた。
じつはそれだけでもワタシにとっては、ちょっとした驚きで、たしかに緊急の問題にして、目下の国民最大関心事であるとはいえ、テレビ・マスメディア界の大スポンサーである電力業界を敵(?)に回しての放送だ。しかも、ゴールデンタイムの3時間だ。
かつて、日経系の雑誌に「反原発ビデオが売れている」なる記事を書いたところ、翌月に日経グループの雑誌全てから東京電力の広告出稿がストップしたという経験をもつワタシからすると隔世の感もある。
今回の事故でも下請け業者が被曝するという事態が起きたが、なにしろ「原発ジプシー」を描いた森崎東監督の『生きてるのが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』(1984)や、黒木和雄監督の『原子力戦争Lost Love』(1978)が、未だに地上波放送されないでいるのだ。
番組の話に戻るが、ざっくり言って番組の作りは雑誌の全面特集記事のように構成されており、最初に入門編があり、トピック記事があり、Q&Aがあるという流れ。
まずは、「福島第一原発とは何か」から手をつけ始め、やがて放射性物質から半減期、プルトニウム、プルサーマルの問題点といった専門かつ複雑な問題まで言及し、フリップを活用した絵解きで、それこそ「子どもニュース」のように、万人にも理解できるようにわかりやすく説明していく。
さらに番組後半では、視聴者からの質問といった形で、「放射能を含んだ水は沸騰させたほうがいのか?」「水は汲み置きした方がいいのか?」といった疑問にも次々と答えていく。
「中学生でもわかるニュース」をコンセプトとして、それ以前の味気ないニュース放送をエンターテイメント番組にまでに昇華させた功労者は、もちろん「ニュースステーション」の久米宏氏なのだが、久米氏がフリップはもとより、多彩な画像や模型をゲストを招いてのそれだったのに対して、池上氏はほぼフリップのみで、まるで“講義”のように次々に今回の事故で吹き出た問題や単語の意味を語り続ける。
日航ジャンボ機墜落事故の際に、犠牲者と同じ数だけの靴を並べてみせた久米氏のような“演出”をひけらかすこともなく、ひたすら語りまくる池上氏。ゲストやサブ司会者にフルもおざなりで、まるで一人語りの「池上彰ショー」を観ているかのよう。
そこが「司会者」に拘泥した久米氏と、ジャーナリストたらとする池上氏の決定的な違いといえる。
とにかく、今回の原発事故とその影響について多くの人が抱いたであろう数々の疑問を、ゴールデンタイムの3時間にわたって解説しまくるという前代未聞の番組が成立したのも、池上彰氏の手腕によるところが大きいに違いない。視聴率も13.1%と健闘したようだ。
しかしながら、つきつめて言えば池上氏がこの番組で訴えかけるのは「恐れることとと恐れる必要のないことを明確にする」ということなのだが、やはりその主張に懐疑を持ってしまうのは、基本的には原発を推進する側にいる二人のゲスト(鈴木正昭氏・村松康行氏)の発言・論を依拠としていることだ。
たしかに、チェルノブイリ原発事故によって飛散した放射能の人体への影響は(一部を除いて)科学的にはまだ証明されていない(とされる)。その言説が何度も繰り返され、「だからチェルノブイリ事故のような放射能の飛散が考えにくい今回の福島第一原発も心配ない」という論調に終始するのだが、本当にそうだろうか?
そもそもワタシたちが知りたいのは、「福島第一原発で起こりうる最悪の事態とは何か?」「その際にどのような放射能が放出され、それはどのように私たちの健康や生活を脅かすのか?」ではないか。「今」ではなく、「未来」を案じているのだ。「現実」ではなく「可能性」に怯えているのだ。
なぜそれを解説する学者やジャーナリストが現れないのか? いや、正確に言えば「なぜ登場させないのか? 」だろう。そこを語らずに、「今のままなら安心」を繰り返すばかりでは、“御用学者”と断じられても仕方ないのではないか。
「予測できないことは言えない」では、学問の世界ははともかくジャーナリズムの世界では「ありえない」ことではないか。なにしろ、ワタシたちの生命がかかっているのだ。
さまざま疑問に答えてくれ、大変勉強にもなった本番組だが、この重大な問いに対する回答がなかったことに、大いなる疑義を唱えておきたい。
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池上彰氏については、 ニュースに詳しい“お父さん”役を務めた「週刊子どもニュース」(NHK総合)や朝日新聞に連載中の「新聞ななめ読み」でその仕事ぶりに注目はしていたものの、じつは本番組も含めて“ブレイク”後のテレビ出演番組はほとんど目にしていなかった。
その意味でも、素朴な疑問をわかやすく解説することを旨とする池上ジャーナリズムが、この重いテーマをどのように裁くのか、ワタシ的にも大いに注目しながら観た。
先々週の放送(3月16日)では、原子力の問題をそれこそ「原子とは何か?」から紐解き、先週(3月23日)は池上氏自ら被災地に赴きレポートしたそうだが、今回は真っ正面から「原発事故」を取り上げた。
じつはそれだけでもワタシにとっては、ちょっとした驚きで、たしかに緊急の問題にして、目下の国民最大関心事であるとはいえ、テレビ・マスメディア界の大スポンサーである電力業界を敵(?)に回しての放送だ。しかも、ゴールデンタイムの3時間だ。
かつて、日経系の雑誌に「反原発ビデオが売れている」なる記事を書いたところ、翌月に日経グループの雑誌全てから東京電力の広告出稿がストップしたという経験をもつワタシからすると隔世の感もある。
今回の事故でも下請け業者が被曝するという事態が起きたが、なにしろ「原発ジプシー」を描いた森崎東監督の『生きてるのが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』(1984)や、黒木和雄監督の『原子力戦争Lost Love』(1978)が、未だに地上波放送されないでいるのだ。
番組の話に戻るが、ざっくり言って番組の作りは雑誌の全面特集記事のように構成されており、最初に入門編があり、トピック記事があり、Q&Aがあるという流れ。
まずは、「福島第一原発とは何か」から手をつけ始め、やがて放射性物質から半減期、プルトニウム、プルサーマルの問題点といった専門かつ複雑な問題まで言及し、フリップを活用した絵解きで、それこそ「子どもニュース」のように、万人にも理解できるようにわかりやすく説明していく。
さらに番組後半では、視聴者からの質問といった形で、「放射能を含んだ水は沸騰させたほうがいのか?」「水は汲み置きした方がいいのか?」といった疑問にも次々と答えていく。
「中学生でもわかるニュース」をコンセプトとして、それ以前の味気ないニュース放送をエンターテイメント番組にまでに昇華させた功労者は、もちろん「ニュースステーション」の久米宏氏なのだが、久米氏がフリップはもとより、多彩な画像や模型をゲストを招いてのそれだったのに対して、池上氏はほぼフリップのみで、まるで“講義”のように次々に今回の事故で吹き出た問題や単語の意味を語り続ける。
日航ジャンボ機墜落事故の際に、犠牲者と同じ数だけの靴を並べてみせた久米氏のような“演出”をひけらかすこともなく、ひたすら語りまくる池上氏。ゲストやサブ司会者にフルもおざなりで、まるで一人語りの「池上彰ショー」を観ているかのよう。
そこが「司会者」に拘泥した久米氏と、ジャーナリストたらとする池上氏の決定的な違いといえる。
とにかく、今回の原発事故とその影響について多くの人が抱いたであろう数々の疑問を、ゴールデンタイムの3時間にわたって解説しまくるという前代未聞の番組が成立したのも、池上彰氏の手腕によるところが大きいに違いない。視聴率も13.1%と健闘したようだ。
しかしながら、つきつめて言えば池上氏がこの番組で訴えかけるのは「恐れることとと恐れる必要のないことを明確にする」ということなのだが、やはりその主張に懐疑を持ってしまうのは、基本的には原発を推進する側にいる二人のゲスト(鈴木正昭氏・村松康行氏)の発言・論を依拠としていることだ。
たしかに、チェルノブイリ原発事故によって飛散した放射能の人体への影響は(一部を除いて)科学的にはまだ証明されていない(とされる)。その言説が何度も繰り返され、「だからチェルノブイリ事故のような放射能の飛散が考えにくい今回の福島第一原発も心配ない」という論調に終始するのだが、本当にそうだろうか?
そもそもワタシたちが知りたいのは、「福島第一原発で起こりうる最悪の事態とは何か?」「その際にどのような放射能が放出され、それはどのように私たちの健康や生活を脅かすのか?」ではないか。「今」ではなく、「未来」を案じているのだ。「現実」ではなく「可能性」に怯えているのだ。
なぜそれを解説する学者やジャーナリストが現れないのか? いや、正確に言えば「なぜ登場させないのか? 」だろう。そこを語らずに、「今のままなら安心」を繰り返すばかりでは、“御用学者”と断じられても仕方ないのではないか。
「予測できないことは言えない」では、学問の世界ははともかくジャーナリズムの世界では「ありえない」ことではないか。なにしろ、ワタシたちの生命がかかっているのだ。
さまざま疑問に答えてくれ、大変勉強にもなった本番組だが、この重大な問いに対する回答がなかったことに、大いなる疑義を唱えておきたい。
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