【CD】山下達郎/Ray Of Hope2011/10/01

Ray Of Hope (初回限定盤)Ray Of Hope (初回限定盤)
山下達郎

ワーナーミュージック・ジャパン 2011-08-10
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山下達郎氏、渾身の一作。
プロモーションのために各局のFM番組に出まくっていたご本人がすでに語り尽くしているように、東日本大震災を受けてリリースを延ばし、内容も変更して制作されたといういわくつきの作品。
まさに、3.11に押し出された鎮魂の祈りの音楽、そして希望への歌、がここにある。

プレリュードに続いて、華やかに②「NEVER GLOW OLD」で幕開けたアルバムは、本作のテーマともいうべき③「希望という名の光」でいきなりクライマックスを迎える。

運命に負けないで
たった一度だけの人生を
何度でも起き上がって
立ち向かえる
力を送ろう

震災直後から何度となく耳にしたフレーズが、ここでもその意味を変えることなく、いや震災から半年を経た今だからこそ、さらに深く胸を打つ…。

ご本人も考えに考えた曲順なのだろう。オモチャ箱をひっくり返したように、次々と意匠を凝らした達郎ミュージックが飛び出してくるというアルバム構成は従来の達郎作品と変わり映えしないのだが、その一曲一曲の唄と歌詞が、今までになく心に響く。

そう、あの震災が日本の風景を変えてしまったように、音楽の聴き方さえ変えてしまい、それに敏感に呼応してしまったのが山下達郎氏であり、彼がつくりだした音楽なのだろう。

「路地裏の子供たちは/知らぬ間に大人になって」という何気ない風景を謳いこんだ③「街物語」にしても、「君だけを愛し続けたい」という純ラブソング④「プロポーズ」にしても、「あの丘の向こうに僕らの夏がある/変わらない美しいものすべてがそこにある」と郷愁感たっぷりな⑤「僕らの夏の夢」にしても、すべてが3.11に呼応するように、その歌の意味が、詩がまるで違って聞こえてくる。

そう、⑧「ずっと一緒さ」、⑨「HAPPY GATHERING DAY」といったラブソングから、ラストを飾るカバー曲⑬「バラ色の人生」に至るまで、すべてが鎮魂と祈りのうたであるかのように響くのだ。

本作では異色作として位置づけられるだろうダーク・ファンクな⑦「俺の空」にしても、「俺の空を返せよ!」と達郎氏にシャウトされれば、単なるマンション建設に対する怒りではなく、否応なく原発事故による放射能汚染禍を思い起こさざるをえない。

そうした意味でも本作は、達郎氏の作詞家としての一つの頂点を示す作品になったと思う。

それにしてもデジタル・レコーディングされた本作から聞こえる達郎氏の歌声は、まるで耳元で歌われているかのような臨場感に満ちている。ほとんどの楽器を演奏・プログラミングしているということもあって、達郎氏のホーム・レコーディングに立ち会っているかのような錯覚にも陥る。

まさしく氏の唱える“ポケット・ミュージック”であることには違いないのだが、本作の達郎氏からは斜め45度に顔を上げ、窓から覗く遠い空を見つめている姿が浮かんでくる。そこには、3.11を経てある種の役割を引き受けてしまった、“決意”が感じられるのだ。

初回限定盤に付されたボーナストラックは、ホーム・レコーディングの一室から一転して、達郎氏のコンサート会場へと連れ出されたかのような解放感に溢れた歌と演奏が繰り広げられる。

しかしながら、ラスト⑦に「どんなに大人になっても/僕等はアトムの子供さ」と謳われる「アトムの子」をもってきたのは、どうしたことだろうか? これは、達郎氏流の痛烈なアイロニーと解するべきなのだろうか。

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【映画】親切なクムジャさん2011/10/02

親切なクムジャさん
『親切なクムジャさん』(2005年・監督:パク・チャヌク)

『オールド・ボーイ』(2003年)で驚愕の心理サスペンス&復讐劇を描いて魅せたパク・チャヌク(朴贊郁)監督の復讐三部作にして最終作ということだが、残念ながら一作目の『復讐者に憐れみを』(2002年)は未見。

本作で「復讐者」となるのは、『チャングムの誓い』で静謐な佇まいながら秘めたる強靱な意志を感じさせて印象的だったイ・ヨンエ。その印象をさらに強くしたような、クールで孤独な復讐者を演じる。

幼児誘拐・殺人の罪で13年間服役していた主人公クムジャは、刑務所内で「親切なクムジャさん」と呼ばれ、多くの服役者を助け、力となっていたが、それには理由があった…。

というわけで、クムジャの頼みを断れない元服役者たちの力を借りて、濡れ衣を着せた真犯人を追いつめていく…というストーリーなのだが、そこは一筋縄ではいかないチャヌク監督で、その復讐劇がクムジャ一人のものではなくなっていく点に本作のキモがある。

詳しく記すとネタバレになるが、さしずめ『オリエント急行殺人事件』の様相を帯び(十分にネタばれか( ^ ^ ; )、それは復讐を巡って罪とは何か? 罰とは何か? への問いかけとなって事態は急転していく。

もっともそれが本作のテーマとして深遠なる問いかけに至るまで深められてはおらず、エンターテイメントの意匠を飾る程度にしか感じられないのは、チャヌク監督自身がそこに関心がないのか、単なる資質の問題か…。復讐を経ても救済されえないという暴力連鎖の虚しさが、その心象が、十分に描かれていないのだ

復讐というワンテーマをエンターテイメント作品として昇華させてきた手腕は買うが、観客を驚かせることばかりに執心すると、M・ナイト・シャマランのような失速劇を演じまいかと余計な心配をしてしまう。

それにしても、シャーリーズ・セロンによるハリウッド・リメイクの企画はどうなったのだろうか?

『親切なクムジャさん』の参考レビュー一覧(*タイトル文責は森口)
「この物語のテーマは「復讐」ではなく「贖罪」」--虎猫の気まぐれシネマ日記
「説得力に欠ける脚本が難点」--超映画批評(前田有一氏)
「脚本を映像化する際のあふれるアイデアに感嘆」--映画.com(滝本誠氏)

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【TV】ETV特集「希望をフクシマの地から ~プロジェクトfukushima!の挑戦」2011/10/10

ETV特集「希望をフクシマの地から ~プロジェクトfukushima!の挑戦」
ETV特集がまたやってくれた。
8月に福島で開催された「プロジェクトfukushima」の密着ドキュメントだが、90分という長さにも関わらず濃密な内容で、じつに見応えのある作品となった。

大友良英和合亮一、そして遠藤ミチロウ各氏らの呼びかけで開催された「プロジェクトfukushima」が大きな成功を収め、その後もこのイベントに参加できなかった多くのミュージシャンから不参加が悔やまれるといったツイートが飛び交うなど大きな反響を呼んでいたが、ワタシの関心はコンサートの記録映像だけでこの長尺に耐えられる? だったが、それはまったくの杞憂に終わった。

まずは、このイベント企画の立案当初からNHKのカメラが入り込んでいたことに驚かされる。つまり本作は、後追い映像で構成された番組ではない。そこが妙味で、生々しい映像が連ねられている。それはまさに、NHKスペシャルで、震災直後から石巻赤十字病院を捉えた速報性を彷彿されるが、その秘密は当番組のディクター自らがこの企画に関わっていたことで明かされる。

しかし、かのディレクターも福島出身であるということよりも、キモは発案者である大友氏が、同番組の「ネットワークでつくる放射能汚染地図」に衝撃を受けたことにある。
職を辞し、人知れず福島で放射能汚染を調査続ける木村真三氏らの活動に感銘を受けた大友は、ディレクターを通じて「プロジェクトfukushima」の開催予定地の放射能測定を依頼する。

放射能汚染地域に人を集め、コンサートを開いていいものか、大友は悩んでいたのだ。木村氏とともに測定を行ない、木村氏から「この程度の数値なら問題ないでしょう」と言葉を得たときに、なんとも安堵な表情。こうした大友氏ら関係者の、心の揺れ、複雑な気持ち、それらの感情つぶさに拾いあげたことが、本作に単なる音楽ドキュメンタリーにとどめなかった。

ディレクター氏の同級生の農家、大友氏の両親、大友氏と和合氏が語り合った飲み屋のマスター、現地のミュージシャン、さまざまなfukushima人たちが、語れぬ思いをその表情に言葉に、託す。

圧巻は、詩人・和合氏のパフォーマンスだ。
「fukushimaは日本なのか?/日本はfukushimaなのか?」
ステージを埋め尽くした詩人たちともに「連詩」を謳いあげる和合氏は、現役還暦バンク・ロッカー・遠藤ミチロウ氏を凌駕する、魂の咆哮。
詩が、言葉が、これほど力を持っているのかと驚愕させられる魂の叫びだ。

ほかにも、幾多の印象に残った言葉がある。
ミュージシャンとして世界中のボーダー(国境)を超えたきた大友氏が、放射能によって遮られた立ち入り禁止の前で、「超えられないボーダーがここにある」と呻き、8月15日の開催にこだわったという遠藤氏が「戦後つくり上げたものをもう一度検証すべきた」と、重く語る。

そして、チェルノブイリからメッセージを持ち帰った木村氏による、「福島に移住します」という力強い宣言で、番組は終わる。
いや、fukushimaは終わらない。
まるで、このプロジェクトの始まりであるかのように、その宣伝は高らかに鳴り響く。

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【本】新大久保とK-POP/K-POPがアジアが制覇する2011/10/20

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2冊のK-POP関連本を読んだ。
『新大久保とK-POP』は、人気のK-POPにあやかって、東京の新名所となった“韓流聖地”を紹介するガイドブックと思いきや、そこから更にコリアタウンにとどまらない多国籍・多文化共生地域となった「新大久保」の過去・現在・未来を探った本。

私も以前、お世話になった共住懇の山本重幸氏を最良のナビゲーターとして、この地の歴史を掘り起こし、その成り立ちを紐解き、多国籍・多文化の現況を捉え、さらにこの街とニッポンの未来を幻視する。

まるで共住懇の本であるかのように、いささか山本氏に頼りきった感もあるが、この街から見えてくる“アジアの中のニッポン”を俯瞰する意味は少なくない。

「現在の東京には、約40万人の外国人がいます。私は、この流れは止められないんじゃないか、と思っている。もしかすると、2050年には、日本全国が新大久保になるかもしれませんね」という山本氏の言葉が、日本と世界の未来を射る。

もう一冊の、『K-POPがアジアが制覇する』もK-POPブームをなぞったかの如き総花的にアーティストの素顔や人気の秘密、活動の紹介で始まるのだが、次第にその様相を変え、やがて日韓比較の文化・精神論へと舵を切ってゆく。

「女性ファンというものは、アイドルや俳優のことだけを知りたいのであって、誰かのフィルターを通したアイドル論を読みたいのでは決してない。一部の文科系・サブカル系を除いて、批評を楽しむ女性は少ないのである」として、前半は女性読者を惹きつける内容とし、後半は「男性というのは、アイドルの語るインタビューももちろん好きだろうが、自分のアイドル論を持っている人が多いように思う。ブームを先どる形で、『ミュージック・マガジン』誌は二○一○年三月号でK-POPを特集していたが、この本は数多くのライターたちによるアイドルに関する総論で徹底的に構成されており、男性からの指示を得ていた。(略)たぶん、筆者がこの本でやっていることは、非常に男性的な試みなのだろう」として、男性読者に軸足を移したかのような構成になっている。

しかながら、その筆者による「アイドル論」もどうも引用が多いせいか、「自分の」論調としての印象が薄い。その比較文化・精神論もあまり深みが感じられない。

「J-POPにあふれる「ありがとう」」に対して、「ネガティブなことから目をそむけない韓国」と比して、問題の解決法を「自分の中」に求める傾向にある日本人の「内向き」さを批判的に語るのは、いかにも短絡的に思えてしまう。

「我々は、二○一○年という年に、K-P0Pを通してアジアや世界という「他者」を客観的に見る新たな機会を得たのである」という筆者の結びのは、前掲書とも通奏するキャッチーな一文であると思うが、どうせなら日韓だけでなくアジア各国のポップカルチャーに精通する筆者ならでは、汎アジア比較論まで拡げてほしかった。

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