【本】新大久保とK-POP/K-POPがアジアが制覇する2011/10/20

新大久保とK-POP (マイコミ新書)新大久保とK-POP (マイコミ新書)
鈴木妄想

毎日コミュニケーションズ 2011-07-26
売り上げランキング : 96459

Amazonで詳しく見る
by G-Tools
K-POPがアジアを制覇するK-POPがアジアを制覇する
西森路代

原書房 2011-02-25
売り上げランキング : 103603

Amazonで詳しく見る
by G-Tools
2冊のK-POP関連本を読んだ。
『新大久保とK-POP』は、人気のK-POPにあやかって、東京の新名所となった“韓流聖地”を紹介するガイドブックと思いきや、そこから更にコリアタウンにとどまらない多国籍・多文化共生地域となった「新大久保」の過去・現在・未来を探った本。

私も以前、お世話になった共住懇の山本重幸氏を最良のナビゲーターとして、この地の歴史を掘り起こし、その成り立ちを紐解き、多国籍・多文化の現況を捉え、さらにこの街とニッポンの未来を幻視する。

まるで共住懇の本であるかのように、いささか山本氏に頼りきった感もあるが、この街から見えてくる“アジアの中のニッポン”を俯瞰する意味は少なくない。

「現在の東京には、約40万人の外国人がいます。私は、この流れは止められないんじゃないか、と思っている。もしかすると、2050年には、日本全国が新大久保になるかもしれませんね」という山本氏の言葉が、日本と世界の未来を射る。

もう一冊の、『K-POPがアジアが制覇する』もK-POPブームをなぞったかの如き総花的にアーティストの素顔や人気の秘密、活動の紹介で始まるのだが、次第にその様相を変え、やがて日韓比較の文化・精神論へと舵を切ってゆく。

「女性ファンというものは、アイドルや俳優のことだけを知りたいのであって、誰かのフィルターを通したアイドル論を読みたいのでは決してない。一部の文科系・サブカル系を除いて、批評を楽しむ女性は少ないのである」として、前半は女性読者を惹きつける内容とし、後半は「男性というのは、アイドルの語るインタビューももちろん好きだろうが、自分のアイドル論を持っている人が多いように思う。ブームを先どる形で、『ミュージック・マガジン』誌は二○一○年三月号でK-POPを特集していたが、この本は数多くのライターたちによるアイドルに関する総論で徹底的に構成されており、男性からの指示を得ていた。(略)たぶん、筆者がこの本でやっていることは、非常に男性的な試みなのだろう」として、男性読者に軸足を移したかのような構成になっている。

しかながら、その筆者による「アイドル論」もどうも引用が多いせいか、「自分の」論調としての印象が薄い。その比較文化・精神論もあまり深みが感じられない。

「J-POPにあふれる「ありがとう」」に対して、「ネガティブなことから目をそむけない韓国」と比して、問題の解決法を「自分の中」に求める傾向にある日本人の「内向き」さを批判的に語るのは、いかにも短絡的に思えてしまう。

「我々は、二○一○年という年に、K-P0Pを通してアジアや世界という「他者」を客観的に見る新たな機会を得たのである」という筆者の結びのは、前掲書とも通奏するキャッチーな一文であると思うが、どうせなら日韓だけでなくアジア各国のポップカルチャーに精通する筆者ならでは、汎アジア比較論まで拡げてほしかった。

↓応援クリックにご協力をお願いします。
人気ブログランキングへ ブログランキング・にほんブログ村へ

【本】市民社会政策論―3・11後の政府・NPO・ボランティアを考えるために―2011/09/30

市民社会政策論―3・11後の政府・NPO・ボランティアを考えるために―市民社会政策論―3・11後の政府・NPO・ボランティアを考えるために―
田中 弥生

明石書店 2011-08-20
売り上げランキング : 38384

Amazonで詳しく見る
by G-Tools
阪神・淡路大震災をきっかけにあまた誕生し、東日本大震災でも多くの団体が活躍するNPO(特定非営利活動法人)の、「評価」を論考し、検証した本。
…との紹介文を付してみた本書であるが、そのNPOが東日本大震災では「以前のような活気をみせていない」というのが、どうやら著者の執筆動機であるようだ。

筆者は、「阪神・淡路大震災から16年。NPO法人数は4.2万団体になった。NPO法の目的と法人数を考えると、[被災]現地でボランティアを募集している団体が50というのはあまりに少ないのではないか」として、「被災地にボランティアを派遣する学生団体のメンバーは50以上のNPOに連絡をして学生ボランティアの受入れを頼んだが、殆どがボランティアを受入れていなかった」「NPOは市民との連携が弱いのではないか」という学生の証言を引いて「最も痛い指摘」と結論づけているが、被災当初の現地の混乱とその対応に奮迅するNPOやボランティアの活動を多少なりとも知るワタシには素直には腑に落ちず、首を傾けざるをえない。

それはさておき、現状のNPOに課題がないわけではなく、NPOを「市民性」「社会変革性」「組織安定性」という三つの「基本条件」から「エクセレントNPO」の理念を考察するという姿勢は、その上から目線的なネーミングはともかく、抗うものではない。

簡単にいえば、NPO活動に「評価」基準を持ち込もうというもので、本書はその研究書(論文)ということになる。したがって、耳を傾けるべき考察や論考であることは重々認めたうえで、おそらく被災現地で奮闘するNPO/ボランティアからは、「現場も知らないでケッ!」と一瞥すらされない…という光景も浮かんでしまう。

そもそも、NPO の「評価」というのもけっして新しいアプローチではなく、ワタシ自身も10年も前にすでにNPO業界で「評価」が話題にのぼっていたことを知っている。そうした意味では、10年経ってもこの「評価」がNPO間に浸透せず、本書のような提言がなされることこそが、NPOが抱え続ける「課題」なのかもしれない。

それにしても、ワタシもドラッガーの『非営利組織の経営』 (1991年)に触発を受けたクチだが、はたして筆者も「あとがき」で「筆者の根底にあるのはP・F・ドラッガー先生の思想であり、氏の日本の市民社会への想いです」とあり、こちらは腑に落ちた。

人気ブログランキングへ ブログランキング・にほんブログ村へ

【本】師匠は針 弟子は糸2011/09/19

師匠は針 弟子は糸師匠は針 弟子は糸
古今亭 志ん輔

講談社 2011-03-26
売り上げランキング : 44416

Amazonで詳しく見る
by G-Tools
落語家が書いた本をそれほど手にしているわけではないのだか、それを大ざっばに分けるとすれば、落語論と自伝・エッセイ・雑感に大別できるのではないだろうか(もちろん混在している場合が多いのだろうが…)。

前者の代表作といえば、立川談志師匠による『現代落語論』立川志らく師匠の最新刊『落語進化論』 が挙げられるし、講談社エッセイ賞に輝いた立川談春師匠の『赤めだか』 などは後者にあたる。

古今亭志ん輔師匠の本書も、やはり後者に分けられると思うが、その胆(ウリ)となっているのは書名にも象徴されるように、今は亡き志ん朝師匠との想い出に尽きる。なにしろ“名人”の誉れ高い三代目・志ん朝が逝く間際まで、側に仕えた愛弟子だ。志ん輔師匠自身の言葉から、昭和の大名人の芸やしぐさ、生活の息吹まで識りたいという落語ファンは少なくないだろう。

じつはワタシもそのつもりで読み始めたのだが…、じつは瞠目は別にあった。
2章145ページにわたって、小さな文字でビッシリと1年間の日常が記された日記。「志ん輔のケータイ日記」と題されたこの日記を、当初ワタシは読みとばすつもりでいた。

ところが読み始めて、これがめっぽう面白い。
何がオモシロイって、現代の芸人がどのような日常を送っているか、のぞき眼鏡で覗いているかの如く(今ならさしずめライブか)、その生活ぶりがつぶさに開示されているのだ。

例えば、師匠は高座の前にしばしばカラオケに立ち寄る。咽ならしをカラオケで行っているのだ。考えてみれば合理的かつ経済的で道理のいく話なのだが、なんだか噺家→咽慣らし→カラオケというイメージ(絵柄)に意外性があって妙に可笑しい。
東京だけでも500人近い噺家がいるというが、ほかの噺家も師匠と同じようにカラオケを利用しているならば、カラオケ業界は落語協会に感謝状を贈るべきだろう。

そんな具合に、この日記では(ご本人以外も含めて)現代落語家の生態がつぶさに明らかにされる。
そこには、健康に注意を払い、高座での観客に一喜一憂し、寄席と落語会場の行き来に右往左往し、ときに深酒をしては後悔をし、時間を工面して一人孤独に稽古に励み、弟子の態度に腹を立てては雷を落とし、弟子のことで内儀サンと夫婦喧嘩をし、娘の進学を心配する一人の芸人であり、生活人がいる…。

これはれっきとした日記文学ではないか。本書を100年後に読んだ人たちは、きっとこのビビットな生活感溢れる当時(現代)の芸人の生活ぶりに驚くことだろう。

ある時代を生きた、ある一人の芸人の貴重な「記録」だ。ならば志ん輔師匠以外の噺家たちの日記も、覗いてみたくなる…。志ん輔師匠と対極にあるような(芸風です!)白鳥師匠などは、いったいどんな生活を送っているのだろうか?…なんて、ああ妄想モード(笑)。

例えば、(高座を共にすることが多い)三人ぐらいの噺家の日記をそれぞれ載せて、それぞれの立場から観た高座や落語観の違いが浮き立てば、それもまた興味深し。どこかで企画してくれないかなぁ。

↓応援クリックにご協力をお願いします。
人気ブログランキングへ ブログランキング・にほんブログ村へ

【本】日本文学史 近世篇一~三2011/09/17

日本文学史―近世篇〈1〉 (中公文庫)日本文学史―近世篇〈1〉 (中公文庫)
ドナルド キーン Donald Keene

中央公論新社 2011-01-22
売り上げランキング : 302330

Amazonで詳しく見る
by G-Tools
先頃、日本への永住・帰化を表明したドナルド・キーン氏による大著(原著は1976年刊行)。「日本文学」に明るくないこともあって、いつかは読みたいと思ってようやく手にした書だが、キーン氏という最良のナビゲーターに得て、その大河のような流れにたゆたう至福の時を過ごした。

この名著を批評するほどの知識も資格もないことは重々承知しつつも、いくつかの印象に残った点を記させてもらえば、まずもってその豊かな知識と鋭い考察以上に、その心にしみ入るような日本語表現の確かさに魅了される。
「~やぶさかでない」など、次々に繰り出される表現や言い回しに引き出しの多さに驚嘆し、豊穣な筆致に圧倒される。

そのうえで本書を特徴づけているのは、「文学」を活字だけではなく、幅広いジャンルの文化として位置づけているのもキーン氏の眼目といえる。それゆえ、歌舞伎や浄瑠璃の記述に紙面を大きく割き、江戸文学/文化の興隆を立体的に活写している。

歌舞伎の祖といわれる出雲阿国の「念仏踊り」を綴った場面など、まるで400年前の京都・四条の河原にタイムワープして目の前でその艶やかな姿を目にしているかのような錯覚に陥る。手垢のついた表現で申し訳ないが、阿国をこれほど見事に「再現」した文章にお目にかかったことがない(近世篇二)。

そこに写し出されるのは、江戸・上方という町民の街に花開いた庶民文化だ。
キーン氏は序文の冒頭でこう記す。

徳川期の文学の特色は、なににもまして、それが(武家階級も含めて)民衆のものだったという点であろう。

井原西鶴、近松門左衛門、上田秋成といった庶民に愛された作家たちをはじめ、俳諧、連歌、和歌、戯作、狂歌、川柳、漢詩文にいたる庶民文学までつぶさに紹介し、独自のメスをいれる。
そして本書を通奏する氏の視点は、最期までブレない。

幕府によって二百五十年の長きにわたって維持された泰平の孤立は、表層的な観察者の目には、あらゆる「変化」に対する拒絶、幕閣の政策を指導した儒臣たちによるひたすらな保守と体制保持の世、と映るかもしれない。だが、そこに展開した文学を子細に点検するとき、われわれが発見するのは、なんという「変化」だろう。(近世篇三・p326)

ワタシはここに網野善彦史観に通じる、庶民文化への曇りのない視座を感じることができる。

それにしても、キーン氏という“異邦人”によって日本近世文学のなんたるか教えられるというのも奇異な話だが、考えてみれば故・中村とうよう氏(音楽評論家)が辺境・日本に居て距離を置いて欧米(のみならず世界)のポピュラー音楽に対してあれだけ鋭い論評が展開できたと同じように、キーン氏の“異邦人”という矜持があってこそ、これほど深く、冷静に日本の文化を捉えることができたのではないかという気もするのだ。

キーンさん、これからも日本文化を愛でつつ、鋭い論説を発し続け、そして長生きしてください。

↓応援クリックにご協力をお願いします。
人気ブログランキングへ ブログランキング・にほんブログ村へ

【映画】赤い鳥逃げた?2011/09/14

赤い鳥逃げた?
『赤い鳥逃げた?』(1973年・監督:藤田敏八)

原田芳雄追悼特集として日本映画専門チャンネルで放映された本作をチェックしたが、じつに70年代日本映画な、じつに藤田ビンパチな、じつに原田芳雄な逸品。

鬱屈した日々を送るアラフィー(28歳)な原田芳雄と、その弟分・大門正明、その恋人で名家から家出してきた桃井かおりの3人が織りなす、破天荒でビターな青春物語。

チンピラ兄貴と小心者の弟分という関係性は、後の『傷だらけの天使』(1974年)の原形を思わせ、そこへ若くて魅力的なオンナが侵入して男たちの関係が揺らぐ様は『俺たちの旅』(1975年)を想起させて、さらには桃井かおりという特異なキャラクターと後半のロードムービー展開からはどうしても『幸福の黄色いハンカチ』(1977年)を思い起こしてしまう。

というように、もしやするとこのビンパチ・ワールドがその後の男男女ドラマに多大な影響を与えたやもしれないと妄想するが、もっともラストはボニー&クライドなので、本作自体もあの時代の(ニューが付いた)シネマ・ムーブメントからの影響は免れてはいないのだろう。

それにしても、若き原田芳雄のやさぐれ感は、まさに本作のテーマ・雰囲気(カラー)にピッタリで、地でいっていんだか何だがようわからんまま、まさに自然体で演じている(ように見える)。

それにも増して、終戦後30年にして廃墟だった東京の街並みはかくも変貌し、またこのようなセツナな若者たちを生んでいたことに感慨深い。改めてその急激な変容に驚くと同時に、3.11を経て本作から40年を経ていったいワタシたちの何が変わり、何が変わらなかったのか? という思いにも駆られてしまう…。

それはさておいても、冒頭に記したようにまさに70年代の空気を思いッきし吸い込んだこの日本版フィルム・ノワールは、原田芳雄の雄姿とともに後世に記憶されていい作品だと思う。
桃井かおりのまぶしい裸身も、ピコ(樋口康雄)のジャジーな音楽も、目に耳に残る。

↓応援クリックにご協力をお願いします。
人気ブログランキングへ ブログランキング・にほんブログ村へ

【本】スピリチュアル市場の研究2011/09/13

スピリチュアル市場の研究 ―データで読む急拡大マーケットの真実スピリチュアル市場の研究 ―データで読む急拡大マーケットの真実
有元裕美子

東洋経済新報社 2011-04-22
売り上げランキング : 27834

Amazonで詳しく見る
by G-Tools
日本にそれが紹介された当初はキワモノ的な扱いをされていた(と思う)「スピリチュアル」だが、いつの間にか「スピ系」としてフツーの人があたり前のように語るようになった興隆ぶりを受けて、それを「成長産業」としてビジネスの視点から俯瞰した書。

「スピリチュアル」というと、つい『アクエリアン革命』ニューエイジシャーリー・マクレーンといった欧米の精神世界ブームばかりを想起してしまう世代だが、じつは「スピリチュアリティは日本人にとって意外にも身近なのもである」と、まずは筆者が指摘する。

なんと「神社仏閣の数は約16万と、コンビニエンスストア数(4.3万)や郵便局数(約2.4万)の合計よりもはるかに多い」「初詣参拝客は1億人に迫る勢いであり、アンケート調査でも4分の3以上が年1回以上参拝していると」と意表をつく「和スピ」の浸透を指摘をしたうえで、「それでも日本人はスピリチュアルなことを信じているのだろうか」と疑問を呈し、米国のスピリチュアル・ビジネスとの比較(差異)を明らかにしていく。

米国内のレイキ利用者120万人(米国成人の約0.6%)、ヨガ利用者1600万人(人口の約5.3%)、ヨガ市場約3000億円以上という数字を紹介しないがら、「移民社会である米国であるからこそ、出身国の文化の一部として風水やヨガといったスピリチュアルなものが持ち込まれ、それらが生活の一部となって定着し、多様性を重視する中で広く社会に浸透している」とする。

一方で、2000年代中頃から興隆した日本のスピリチュアル・ブームについては、「スピリチュアリティが浸透したのではなく、スピリチュアルな考えに深く触れた経験のない多くの人々が批判的吟味をする材料が乏しかったがために、表面的に手軽な開運などの考え方に飛びついて広がったとも解釈できる」として、「お参りや占いゲーム等を中心に利用する大量のライト・ユーザーがマジョリティを占めるというわが国固有のスピリチュアル・マーケット構造が生れている」としている。

スピリチュアル・ビジネスを利用する目的やメリットを問うたアンケート調査でも「特にない、なんとなく」を選んだ人の割合が高いことも、その証左とするなど、冷静な視線でこのブームを分析する。

もっとも本書の構成は、主にこうしたスピリチュアル・ビジネスに関するさまざまなデータを羅列したものなので、「深い分析」を求める読者は物足りなさを感じるだろう。
しかし、冒頭にも述べたように本書の目的は、スピリチュアル・ブームをビジネスとして分析しようとする試みなので、そうした要求は本書に続く今後の研究に委ねるべきだろう。

いずれにせよスピ系にハマッてしまった人は、今ワタシたちが今どこにいるのか確認する意味でも、読んで損のない一冊だと思う。

『スピリチュアル市場の研究』の参考レビュー一覧(*タイトル文責は森口)
「“スピリチュアル”市場から学ぶところも多いが、気になる点も」--宗教情報センター(藤山みどり氏)
「スピリチュアル・ビジネスをさまざまな角度からレポート」-- 一条真也のハートフル・ブログ
文字「「キワモノ」で済まぬ成長ぶり」--asahi.com(梶山寿子氏)

↓応援クリックにご協力をお願いします。
人気ブログランキングへ ブログランキング・にほんブログ村へ

【本】新書 沖縄読本2011/09/11

新書 沖縄読本 (講談社現代新書)新書 沖縄読本 (講談社現代新書)
下川 裕治

講談社 2011-02-18
売り上げランキング : 41582

Amazonで詳しく見る
by G-Tools
いわゆる「沖縄本」があまた世に氾濫するなかで、「沖縄ブームに落とし前をつける」として、この道の手練である二人の書き手(下川裕司氏・仲村清司氏)が書き下ろした、沖縄の今(真の姿)を直視した書。

冒頭から本土(ウチナンチュ)が描く沖縄のイメージを壊すショッキングな報告がなされる。長寿県として知られる沖縄が、じつは今、危機的な状況に陥っているというのだ。沖縄の伝統食に支えられてきた長寿文化は、ファストフードの急速な普及によって肥満率はなんと日本一となり、県民総メタボ化が進む。

さらに元気で働くオジィ、オバァたちの姿も消えつつある。その背景にあるのは、本土資本の流入による地域の崩壊と貧困だ、著者たちは指摘する。

ワタシも目にしたが石垣島などは、本土資本による観光開発と本土からの移住者によってホテルやマンションが急増。土地の値段も高騰しているという。それによって老舗ホテルが廃業に追い込まれるなど、多重債務に喘ぎ、自殺者も急増する深刻な沖縄経済の実相をあぶり出していく。

このように著者たちは、自らが加担してきた「沖縄ブーム」の影で、さまざまな“沖縄クライシス”が進行していることを自戒を込めて告発する。

もちろん基地の問題も避けては通れない。
『好きになっちゃった沖縄』『沖縄オバァ列伝』 といった、ノベルティな(?)沖縄エンタメ本を手がけてきた著者たちも、ここでは「アメリカが普天間にこだわる真の理由」として、真正面から基地問題に切り込む。

もっとも政治的なテーマだけではなく、沖縄の人々や暮らしを深く考察してきた著者たちだけあって、食生活や高校野球、音楽・芸能から、本土からは伺いしれない独自の文化世界を描き出していく。

そのあたりが二人の強みだろう。『観光コースでない沖縄』『だれも沖縄を知らない 27の島の物語』 といった、他のアナザーサイド沖縄本とは一線を画する所以だ。

「離島」に対するアンビバレントな感情などもディープに切り込む。
ワタシも西表島を旅した際に、近隣の島から移住した人たちによる稲作の跡をみたが、それが厳しい「人頭税」によるものであったことを本書によって知った。そこには牧歌的な風景とは縁遠い、歴史の軛(くびき)が影を落とす。

ほかにも、本土復帰前に沖縄に住んでいた期間の保険料が免除される「年金特例」など、本書で学んだことは少ないないが、手軽に手にとってもらえる「新書」にこだわったためだろうか、一冊に収めるにはやや窮屈なボリューム感も感じられた。

 「沖縄が好き。癒やされる」と言うウチナーンチュに対して、知念ウシ氏(ライター)は、「沖縄には日本(本土)から年間五百万人が来る。沖縄が好きなら五百万人で国会議事堂に座り込んで基地をなくしてほしい」と、喝破した。

変わりゆく沖縄と、そこに深く関わる日本(本土)。ブームに隠された沖縄の真実を、今後も地についたレポートとして照らし出してほしい。
巻末のブックガイドも秀逸。

『新書 沖縄読本』の参考レビュー(*タイトル文責は森口)
「ブーム終焉後を漂う今」--琉球新報(新城和博氏)

↓応援クリックにご協力をお願いします。
人気ブログランキングへ ブログランキング・にほんブログ村へ

【本】ルポ 認知症ケア最前線2011/09/10

ルポ 認知症ケア最前線 (岩波新書)ルポ 認知症ケア最前線 (岩波新書)
佐藤 幹夫

岩波書店 2011-04-21
売り上げランキング : 46372

Amazonで詳しく見る
by G-Tools
全国の事例をもとに「認知症ケア」の最前線を取材・報告した最新刊。「認知症」といえば、少し前まで「ボケ」て何もわからなくなった人…というイメージがあったが、今ではその人なりの「ケア」が大切でされ、さまざまなケアの仕組みや方法が介護・医療の現場から実践されている。

それだけに現場サイドにいる人から話を聞くと、近年の認知症に対する認識やケアの進化は、かつてと比べると「隔世の感がある」という。近年、認知症対応のグループホームやデイサービスが急増していることも、こうした背景があるだろうし、何しろ「ケア」という考え方自体あまり認識されていなかった。もちろん“高速”と言っていい、急速な日本の高齢化社会への危機感がその根底にある。

それでは、具体的に「認知症のケア」というのはどういものなのか?
どのような施設で、どのようなスタッフが、どのようなケアを行っているのか?
一般の人にもわかりやすく、その最新型を紹介しようと試みたのが本書だ。

滋賀県守山市の「もの忘れカフェ」、京都市や宮津市にある「京都式」のえらべるデイサービス、全国に先駆けた共生型として知られる富山市のデイケアハウス、幼い子が高齢者とともに笑顔になる「幼老統合 ケア」など、全国のさまざまな先進的な事例が紹介される。

ただ一読して思うのは、高齢者医療や介護現場の取材を重ねてきた筆者ならでは労作であると思う反面、仕事の関係でこうした事例のビジュアル(画像・動画)を観てきた身としては、どうも活字だけでは伝わりにくい部分を感じてしまうのだ。

再三の提言になるが、こうした本こそ画像・動画と連携した電子書籍こそが効力を持つのではないだろうか? 最新の事例や試みはネットでも伺い知ることが出来る時代だ。ならば、『こんな夜更けにバナナかよ』(渡辺一史著)『母のいる場所 シルバーヴィラ向山物語』(久田恵著) などのようなヒューマン・ドキュメント的な“物語”が描かれていなければ、現代ではこうしカタログ・ルポ的な「本」はそれほど意味を持てなくなってしまった…。

残念ながら本書を読んで、そんな「本が本であることが難しい時代」を、改めて実感してしまった。

↓応援クリックにご協力をお願いします。
人気ブログランキングへ ブログランキング・にほんブログ村へ

【本】僕たちのヒーローはみんな在日だった2011/09/04

僕たちのヒーローはみんな在日だった僕たちのヒーローはみんな在日だった
朴 一

講談社 2011-05-24
売り上げランキング : 23372

Amazonで詳しく見る
by G-Tools
芸能・スポーツ、財界などさまざまな分野で活躍する在日コリアンたちののルーツを明らかにした書としては、古くは『在日コリアンパワー』 (1988年)があり、 このテーマから『海峡を越えたホームラン』(1984年)や『コリアン世界の旅』 (1997年)といった秀作ルポルタージュも生れている。

そうした意味では、本書にそう目新しさはない。
力道山をはじめとする本書に登場する在日スポーツマンはほとんどすでに「コリアン」として知られている人たちであって、そこに登場するエピソードもどこかで目にしたものが少なくない。

芸能人にして然りなのだが、個人的には故・松田優作氏の件に心を痛めた。松田がコリアンであることも、それゆえにハリウッドを目指していたことも巷間に耳にしていたが、ここで語られるのは激しい在日コリアン差別であり、そこから逃れようとする松田の慟哭だ。

僕は今年の7月から日本テレビの『太陽にほえろ!』という人気番組にレギュラーで出演しています。(略)もし、僕が在日韓国人であるということがわかったら、みなさんが失望すると思います。特に子供たちは夢を裏切られた気持ちになるでしょう。

…という帰化を望む松田が法務大臣当てた「帰化動機書」からは、悲痛な叫びが伝わってくる。その一方で、「在日韓国人」であることは、人を「失望」させ、子供たちの「夢」を奪うことだと書かざるをえない、屈折した心情が何とも痛ましい…。

韓流ブームでかつてほど、在日コリアンに対する差別意識はなくなったのではないか? という意見も聞く。ならば未だに多くの芸能人が、自らの出自に口を閉ざすのは何故なのか? そこには厳然たる「差別」があるからではないか?

ワタシはTV画面に並ぶ日韓のタレントを見るたびに、韓流スターを迎える“日本人タレント”を演じる彼ら・彼女たちの心情はいくばくたるものか…と考え込んでしまう。もしかすると、在日コリアン・タレントにとって、韓流ブームは自分の出自が暴かれる危険性のある、ひどく迷惑なものなのではないのか、と。

『ソウルの練習問題』 (1983年)を契機にして「韓国ブーム」が起きた際には、ワタシはこれは「韓国ブームはあっても、在日韓国ブームではない」と断じたことがある。

それと同じように韓流ブームが、在日コリアン・ブームには繋がっていない。新大久保には多くの在日コリアンが住むのに、多くの日本人はその存在に気づかない(見ようとしない)まま朝鮮半島のスターたちに思いを馳せる。

このイビツな日韓(人)関係を改めて、本書を通じて知ってほしいと思う。

ネット上を跋扈する「在日認定」や、すでに忘却の彼方にあった「日立就職差別裁判」を改めて検証できたことも、ワタシ的には収穫だった。

↓応援クリックにご協力をお願いします。
人気ブログランキングへ ブログランキング・にほんブログ村へ

【本】朝鮮通信使 いま肇まる2011/09/01

朝鮮通信使いま肇まる朝鮮通信使いま肇まる
荒山 徹

文藝春秋 2011-05
売り上げランキング : 164605

Amazonで詳しく見る
by G-Tools
600年に渡る歴史をもちながら、日帝による植民地支配によって歴史の隅に追いやられていたといっていい「朝鮮通信使」に再び注目が集まるようになったのは、1980年代も半ばを過ぎてからのことだろうか。

いわゆる日韓の民間交流が盛んになるつれて、かつて長きに渡って双国の友好関係構築に貢献してきた朝鮮通信使が、“再発見”されたのだ。そこには辛基秀氏をはじめ、多くの研究者たちの地道な努力があったことも忘れてはならないだろう。

そうした近年、さまざまな朝鮮通信使に関する書籍が刊行されるのなかで、本書が異彩を放っているのは、それを朝鮮通信史の“視点”から描いている点にある。それも歴史に登場する一人ひとりの通信史の視点で。

もちろん当人たちはすでに歴史上の人物であって、そこは当然、ノンフィクションの要素が強いのだが、そこは伝記作家として知られる荒山徹氏だ。妄想も含めて、朝鮮通信史を主人公とした“歴史物語”として作品を仕上げている。

もっもとそうした試みが、ワタシには必ずしも成功していると思えないのだが、一部の研究者にしか知られていなかった朝鮮通信使が、こうした歴史エンターテイメントとして作品化されることに、感慨を覚えざるをえない。

そのエンターテイメント性からいえば、本編よりも巻末に付された歴史上の通信史たちによる架空座談会が、何よりも愉快だ。作者の妄想が爆走し、研究書に押し込められていた歴史上の人物たちが、まるで目の前でツバを飛ばしあうかのようにキャラ立ち十分に放言しまくる。

精緻な歴史家は眉をひそめるやもしれないが、「歴史を知る」にはこんなアプローチがあってもいい。

↓応援クリックにご協力をお願いします。
人気ブログランキングへ ブログランキング・にほんブログ村へ