【本】スピリチュアル市場の研究2011/09/13

スピリチュアル市場の研究 ―データで読む急拡大マーケットの真実スピリチュアル市場の研究 ―データで読む急拡大マーケットの真実
有元裕美子

東洋経済新報社 2011-04-22
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日本にそれが紹介された当初はキワモノ的な扱いをされていた(と思う)「スピリチュアル」だが、いつの間にか「スピ系」としてフツーの人があたり前のように語るようになった興隆ぶりを受けて、それを「成長産業」としてビジネスの視点から俯瞰した書。

「スピリチュアル」というと、つい『アクエリアン革命』ニューエイジシャーリー・マクレーンといった欧米の精神世界ブームばかりを想起してしまう世代だが、じつは「スピリチュアリティは日本人にとって意外にも身近なのもである」と、まずは筆者が指摘する。

なんと「神社仏閣の数は約16万と、コンビニエンスストア数(4.3万)や郵便局数(約2.4万)の合計よりもはるかに多い」「初詣参拝客は1億人に迫る勢いであり、アンケート調査でも4分の3以上が年1回以上参拝していると」と意表をつく「和スピ」の浸透を指摘をしたうえで、「それでも日本人はスピリチュアルなことを信じているのだろうか」と疑問を呈し、米国のスピリチュアル・ビジネスとの比較(差異)を明らかにしていく。

米国内のレイキ利用者120万人(米国成人の約0.6%)、ヨガ利用者1600万人(人口の約5.3%)、ヨガ市場約3000億円以上という数字を紹介しないがら、「移民社会である米国であるからこそ、出身国の文化の一部として風水やヨガといったスピリチュアルなものが持ち込まれ、それらが生活の一部となって定着し、多様性を重視する中で広く社会に浸透している」とする。

一方で、2000年代中頃から興隆した日本のスピリチュアル・ブームについては、「スピリチュアリティが浸透したのではなく、スピリチュアルな考えに深く触れた経験のない多くの人々が批判的吟味をする材料が乏しかったがために、表面的に手軽な開運などの考え方に飛びついて広がったとも解釈できる」として、「お参りや占いゲーム等を中心に利用する大量のライト・ユーザーがマジョリティを占めるというわが国固有のスピリチュアル・マーケット構造が生れている」としている。

スピリチュアル・ビジネスを利用する目的やメリットを問うたアンケート調査でも「特にない、なんとなく」を選んだ人の割合が高いことも、その証左とするなど、冷静な視線でこのブームを分析する。

もっとも本書の構成は、主にこうしたスピリチュアル・ビジネスに関するさまざまなデータを羅列したものなので、「深い分析」を求める読者は物足りなさを感じるだろう。
しかし、冒頭にも述べたように本書の目的は、スピリチュアル・ブームをビジネスとして分析しようとする試みなので、そうした要求は本書に続く今後の研究に委ねるべきだろう。

いずれにせよスピ系にハマッてしまった人は、今ワタシたちが今どこにいるのか確認する意味でも、読んで損のない一冊だと思う。

『スピリチュアル市場の研究』の参考レビュー一覧(*タイトル文責は森口)
「“スピリチュアル”市場から学ぶところも多いが、気になる点も」--宗教情報センター(藤山みどり氏)
「スピリチュアル・ビジネスをさまざまな角度からレポート」-- 一条真也のハートフル・ブログ
文字「「キワモノ」で済まぬ成長ぶり」--asahi.com(梶山寿子氏)

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【映画】ビリー・ザ・キッド 21才の生涯2011/09/12

ビリー・ザ・キッド 21才の生涯
『ビリー・ザ・キッド 21才の生涯』(1973年・監督:サム・ペキンパー)

サム・ペキンパーといえば、暴力描写を得意とするアクション映画の名匠として『ワイルド・バンチ』(1969)、『わらの犬』(1971)、『ゲッタ・ウェイ』(1972)といった諸作が思い浮かぶが、一方で移りゆく時代への郷愁を込めた『砂漠の流れ者』(1970)のような印象深い作品も撮っている。

本作もそうした後者の系譜に入るものと思われるが、考えてみれば代表作である『ワイルド・バンチ』にしても、『ガルシアの首』(1974)にしても、どこか哀愁を漂わせた“滅びの美学”を謳っているわけで、この人のこうした持ち味が激しい暴力シーンとコントラストとなって、その作品に深い陰影を与えているのかもしれない。

本作にしても、若きビリー・ザ・キッドをハイエナのように追い詰める保安官パット・ギャレット(ジェームズ・コバーン)との銃撃戦や、お得意のスローモーションでそのペキンパー節を隠そうとしないが、重点はむしろ“郷愁”と“滅びの美学”に置いている。

そのうえで、『砂漠の~』との差異をあげれば、キッドがかつて兄のように慕っていたギャレットとの世代間闘争を持ち込み、時代(70年代)とよりリンクさせたことだろう。

ここでのキッドは、早世したロック・スターたちの姿に重ね合せることができる。
ジミ・ヘンドリックス、ジム・モリソン、ジャニス・ジョプリン…あの頃は、多くのミュージシャンたちが次々と死んでいった時代だった。権威や体制に背を向け、Don't Trust Over Thirtyを地で行くように生き急いでいったミュージシャンたち。
みなキッドと同様に、20代の若者だった。

ペキンパー監督は、キッドに彼ら彼女らの姿に重ね合わせたのではないか。
なにしろキッドに、後に『スター誕生』で見事なやさぐれ元ロック・スターを演じた文字クリス・クリストファーソンを配し、キッドを慕う若者(!)にボブ・ディランあのを抜擢しているのだ。

これは西部劇の名を借りたロック・ムービーと言ってもいい。
音楽を担当したディランのうた詩歌も、あくまでも映画音楽としてストーリーと場面により沿い、この“音楽映画”を盛り立てる。
名曲『天国の扉』も、なるほどこのシーンがあってからこそ生れた名曲なのだと納得するマッチング。

そうした意味でも、時代(時間)を貫通するフェイク・ドキュメンタリーであり、カルトな音楽ムービーであるといっていい。

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【本】新書 沖縄読本2011/09/11

新書 沖縄読本 (講談社現代新書)新書 沖縄読本 (講談社現代新書)
下川 裕治

講談社 2011-02-18
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いわゆる「沖縄本」があまた世に氾濫するなかで、「沖縄ブームに落とし前をつける」として、この道の手練である二人の書き手(下川裕司氏・仲村清司氏)が書き下ろした、沖縄の今(真の姿)を直視した書。

冒頭から本土(ウチナンチュ)が描く沖縄のイメージを壊すショッキングな報告がなされる。長寿県として知られる沖縄が、じつは今、危機的な状況に陥っているというのだ。沖縄の伝統食に支えられてきた長寿文化は、ファストフードの急速な普及によって肥満率はなんと日本一となり、県民総メタボ化が進む。

さらに元気で働くオジィ、オバァたちの姿も消えつつある。その背景にあるのは、本土資本の流入による地域の崩壊と貧困だ、著者たちは指摘する。

ワタシも目にしたが石垣島などは、本土資本による観光開発と本土からの移住者によってホテルやマンションが急増。土地の値段も高騰しているという。それによって老舗ホテルが廃業に追い込まれるなど、多重債務に喘ぎ、自殺者も急増する深刻な沖縄経済の実相をあぶり出していく。

このように著者たちは、自らが加担してきた「沖縄ブーム」の影で、さまざまな“沖縄クライシス”が進行していることを自戒を込めて告発する。

もちろん基地の問題も避けては通れない。
『好きになっちゃった沖縄』『沖縄オバァ列伝』 といった、ノベルティな(?)沖縄エンタメ本を手がけてきた著者たちも、ここでは「アメリカが普天間にこだわる真の理由」として、真正面から基地問題に切り込む。

もっとも政治的なテーマだけではなく、沖縄の人々や暮らしを深く考察してきた著者たちだけあって、食生活や高校野球、音楽・芸能から、本土からは伺いしれない独自の文化世界を描き出していく。

そのあたりが二人の強みだろう。『観光コースでない沖縄』『だれも沖縄を知らない 27の島の物語』 といった、他のアナザーサイド沖縄本とは一線を画する所以だ。

「離島」に対するアンビバレントな感情などもディープに切り込む。
ワタシも西表島を旅した際に、近隣の島から移住した人たちによる稲作の跡をみたが、それが厳しい「人頭税」によるものであったことを本書によって知った。そこには牧歌的な風景とは縁遠い、歴史の軛(くびき)が影を落とす。

ほかにも、本土復帰前に沖縄に住んでいた期間の保険料が免除される「年金特例」など、本書で学んだことは少ないないが、手軽に手にとってもらえる「新書」にこだわったためだろうか、一冊に収めるにはやや窮屈なボリューム感も感じられた。

 「沖縄が好き。癒やされる」と言うウチナーンチュに対して、知念ウシ氏(ライター)は、「沖縄には日本(本土)から年間五百万人が来る。沖縄が好きなら五百万人で国会議事堂に座り込んで基地をなくしてほしい」と、喝破した。

変わりゆく沖縄と、そこに深く関わる日本(本土)。ブームに隠された沖縄の真実を、今後も地についたレポートとして照らし出してほしい。
巻末のブックガイドも秀逸。

『新書 沖縄読本』の参考レビュー(*タイトル文責は森口)
「ブーム終焉後を漂う今」--琉球新報(新城和博氏)

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【本】ルポ 認知症ケア最前線2011/09/10

ルポ 認知症ケア最前線 (岩波新書)ルポ 認知症ケア最前線 (岩波新書)
佐藤 幹夫

岩波書店 2011-04-21
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全国の事例をもとに「認知症ケア」の最前線を取材・報告した最新刊。「認知症」といえば、少し前まで「ボケ」て何もわからなくなった人…というイメージがあったが、今ではその人なりの「ケア」が大切でされ、さまざまなケアの仕組みや方法が介護・医療の現場から実践されている。

それだけに現場サイドにいる人から話を聞くと、近年の認知症に対する認識やケアの進化は、かつてと比べると「隔世の感がある」という。近年、認知症対応のグループホームやデイサービスが急増していることも、こうした背景があるだろうし、何しろ「ケア」という考え方自体あまり認識されていなかった。もちろん“高速”と言っていい、急速な日本の高齢化社会への危機感がその根底にある。

それでは、具体的に「認知症のケア」というのはどういものなのか?
どのような施設で、どのようなスタッフが、どのようなケアを行っているのか?
一般の人にもわかりやすく、その最新型を紹介しようと試みたのが本書だ。

滋賀県守山市の「もの忘れカフェ」、京都市や宮津市にある「京都式」のえらべるデイサービス、全国に先駆けた共生型として知られる富山市のデイケアハウス、幼い子が高齢者とともに笑顔になる「幼老統合 ケア」など、全国のさまざまな先進的な事例が紹介される。

ただ一読して思うのは、高齢者医療や介護現場の取材を重ねてきた筆者ならでは労作であると思う反面、仕事の関係でこうした事例のビジュアル(画像・動画)を観てきた身としては、どうも活字だけでは伝わりにくい部分を感じてしまうのだ。

再三の提言になるが、こうした本こそ画像・動画と連携した電子書籍こそが効力を持つのではないだろうか? 最新の事例や試みはネットでも伺い知ることが出来る時代だ。ならば、『こんな夜更けにバナナかよ』(渡辺一史著)『母のいる場所 シルバーヴィラ向山物語』(久田恵著) などのようなヒューマン・ドキュメント的な“物語”が描かれていなければ、現代ではこうしカタログ・ルポ的な「本」はそれほど意味を持てなくなってしまった…。

残念ながら本書を読んで、そんな「本が本であることが難しい時代」を、改めて実感してしまった。

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【落語】「残暑、Wホワイト落語会、よたび」三遊亭白鳥 桃月庵白酒 二人会2011/09/07

三遊亭白鳥 桃月庵白酒 二人会
なるほど、白鳥と白酒とでWホワイトか…。三遊亭白鳥桃月庵白酒両師匠による二人会だが、新作派と古典派というじつに対照的な芸風ながら、若手で、またともに実力派による会ということで、4回目を重ねての「残暑、Wホワイト落語会、よたび」。(9月6日・北沢タウンホール)

まずはハンドマイクを持った二人が登場し、この日の割引グッズである「白いハンカチ」を観客にかざしてもらっての記念撮影もまじえるなど、軽妙な掛け合いトークで場を温める。

話の内容から、「今日は怪談噺かな…」と推測したが、白酒師匠の一席目は「松曳き」。古典落語でお馴染みの粗忽者同士の珍妙なやりとりがやがてシュールな味わいさえ醸しだすという流石の話術だが、もともと人格が混濁する(?)などややこしい噺なので、ややわかりにくい描写も。

一方、白鳥師匠はトンデモないネタを持ってきた。
「女性芸人の怨念を描いた」という「珍景かさねが真打」は、本人をはじめ白酒師匠から弟子、女流落語ら「実名」で落語界のお歴々がバンバン飛び出す実録(?)業界裏話落語。とにかく危ない暴露話(?)が満載で、とてもここでは内容を書け(ききれ)ない(笑)。

なんと「中入り」を挟んでので50分にも及ぶ大ネタだが、話の入りで白鳥師匠の弟子同士の会話に「野ざらし」が、終盤の大怪談大会に見事につながるなど、メチャクチャだがよく出来た(?)噺。落語をまったく知らない御仁には「?」だらけの噺だろうが、ワタシらには抱腹絶倒の白鳥ワールド。

それを受けて白酒師匠は、「彼(白鳥)は一体どこへ行こうとしているんでしょうかね?…」とマクラでやって会場爆笑。世界を一気に、自分の土俵に引き込んでの「不動坊」。幽霊は登場するものの、こちらも古典落語お馴染みのドタバタ騒動を楽しく聴かせる。

「替わり目」の酔った亭主など、この人は人のいいおっちょこちょいを描かせたら絶品で、ここでも未亡人との縁談を持ちかけらて夢見心地の男らが、観客を夢見心地に…。

新作と古典、芸風も違うのに、なぜか通奏する笑いを感じる二人。方向に違っても、客を思いっきり幸せにするぞ、という心意気がそう感じさせるのだろうか。

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【本】僕たちのヒーローはみんな在日だった2011/09/04

僕たちのヒーローはみんな在日だった僕たちのヒーローはみんな在日だった
朴 一

講談社 2011-05-24
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芸能・スポーツ、財界などさまざまな分野で活躍する在日コリアンたちののルーツを明らかにした書としては、古くは『在日コリアンパワー』 (1988年)があり、 このテーマから『海峡を越えたホームラン』(1984年)や『コリアン世界の旅』 (1997年)といった秀作ルポルタージュも生れている。

そうした意味では、本書にそう目新しさはない。
力道山をはじめとする本書に登場する在日スポーツマンはほとんどすでに「コリアン」として知られている人たちであって、そこに登場するエピソードもどこかで目にしたものが少なくない。

芸能人にして然りなのだが、個人的には故・松田優作氏の件に心を痛めた。松田がコリアンであることも、それゆえにハリウッドを目指していたことも巷間に耳にしていたが、ここで語られるのは激しい在日コリアン差別であり、そこから逃れようとする松田の慟哭だ。

僕は今年の7月から日本テレビの『太陽にほえろ!』という人気番組にレギュラーで出演しています。(略)もし、僕が在日韓国人であるということがわかったら、みなさんが失望すると思います。特に子供たちは夢を裏切られた気持ちになるでしょう。

…という帰化を望む松田が法務大臣当てた「帰化動機書」からは、悲痛な叫びが伝わってくる。その一方で、「在日韓国人」であることは、人を「失望」させ、子供たちの「夢」を奪うことだと書かざるをえない、屈折した心情が何とも痛ましい…。

韓流ブームでかつてほど、在日コリアンに対する差別意識はなくなったのではないか? という意見も聞く。ならば未だに多くの芸能人が、自らの出自に口を閉ざすのは何故なのか? そこには厳然たる「差別」があるからではないか?

ワタシはTV画面に並ぶ日韓のタレントを見るたびに、韓流スターを迎える“日本人タレント”を演じる彼ら・彼女たちの心情はいくばくたるものか…と考え込んでしまう。もしかすると、在日コリアン・タレントにとって、韓流ブームは自分の出自が暴かれる危険性のある、ひどく迷惑なものなのではないのか、と。

『ソウルの練習問題』 (1983年)を契機にして「韓国ブーム」が起きた際には、ワタシはこれは「韓国ブームはあっても、在日韓国ブームではない」と断じたことがある。

それと同じように韓流ブームが、在日コリアン・ブームには繋がっていない。新大久保には多くの在日コリアンが住むのに、多くの日本人はその存在に気づかない(見ようとしない)まま朝鮮半島のスターたちに思いを馳せる。

このイビツな日韓(人)関係を改めて、本書を通じて知ってほしいと思う。

ネット上を跋扈する「在日認定」や、すでに忘却の彼方にあった「日立就職差別裁判」を改めて検証できたことも、ワタシ的には収穫だった。

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【映画】アウトレイジ2011/09/03

『アウトレイジ』
『アウトレイジ』(2010年・監督:北野武)

「全員悪人」をキャッチフレーズに、ヤクザの抗争劇を描いてカンヌ映画祭りで話題を呼んだ北野武監督作。…なのだが、この作品で北野監督はいったい何を描きたかったのだろうか? まずそんな疑念が沸いてしまった。

というのもヤクザの抗争劇などは、それこそ今まで数多(あまた)描かれてきたわけだし、血も涙もなく合従連衡を繰り返す策略・謀略劇にしても、『棒の哀しみ』などのヤクザ映画のみならず、『華麗なる一族』などの企業買収や『武士道残酷物語』などの時代劇でも散々語られてきたことだ。だから、本作における抗争劇最期の勝者にも意外感はない。

ではこれらの諸作と本作のどこが違うかといえば、北野監督が得意(こだわる?)とするスタイリッシュな暴力描写かと思うのだが、本作ではそれが全開しつつも北野監督がもう一つの「顔」ともいえる「静」がここにはない。あるいは効いていない、というべきか。

デビュー作『その男、凶暴につき』で北野氏がただただ路上を歩くシーン、そして『HANA-BI』での岸本加世子との“無言”の会話シーン。それらの「静」のシーンがあってこそ、「動」なる暴力描写が映え、水墨画のような陰影がついた。暴力のもつ「哀しみ」が伝わってきた。

本作にはどうもそれが足りない。あえて封印したのだろうか?
『ソナチネ』をして「ダーティーハリーと小津の幸せな結婚」と評された北野節は影をひそめ、ここでは結婚相手のいない殺人スプラッタームービーとなってしまった。

続編も制作されているというが、さて幸せな結婚は見られるだろうか?

『アウトレイジ』の参考レビュー一覧(*タイトル文責は森口)
「昔の自分を殺した北野武」--シンジの“ほにゃらら”賛歌
「本家帰りしたバイオレンス映画の快作」--お楽しみはココからだ~ 映画をもっと楽しむ方法
「面白い映画だが、もう少し工夫の余地も」--映画的・絵画的・音楽的
「北野監督らしいトンガリ感が感じられず」--超映画批評(前田有一氏)
「北野監督が暴力の世界をリロードして臨む、ニュー・バイオレンス映画」
--映画通信シネマッシモ(渡まち子氏)

「新たなステージに立った暴力映画」--映画.com(高崎俊夫氏)
「エンタティンメントであると同時に、北野武監督による暴力論」
--映画ジャッジ!(小梶勝男氏)


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【本】朝鮮通信使 いま肇まる2011/09/01

朝鮮通信使いま肇まる朝鮮通信使いま肇まる
荒山 徹

文藝春秋 2011-05
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600年に渡る歴史をもちながら、日帝による植民地支配によって歴史の隅に追いやられていたといっていい「朝鮮通信使」に再び注目が集まるようになったのは、1980年代も半ばを過ぎてからのことだろうか。

いわゆる日韓の民間交流が盛んになるつれて、かつて長きに渡って双国の友好関係構築に貢献してきた朝鮮通信使が、“再発見”されたのだ。そこには辛基秀氏をはじめ、多くの研究者たちの地道な努力があったことも忘れてはならないだろう。

そうした近年、さまざまな朝鮮通信使に関する書籍が刊行されるのなかで、本書が異彩を放っているのは、それを朝鮮通信史の“視点”から描いている点にある。それも歴史に登場する一人ひとりの通信史の視点で。

もちろん当人たちはすでに歴史上の人物であって、そこは当然、ノンフィクションの要素が強いのだが、そこは伝記作家として知られる荒山徹氏だ。妄想も含めて、朝鮮通信史を主人公とした“歴史物語”として作品を仕上げている。

もっもとそうした試みが、ワタシには必ずしも成功していると思えないのだが、一部の研究者にしか知られていなかった朝鮮通信使が、こうした歴史エンターテイメントとして作品化されることに、感慨を覚えざるをえない。

そのエンターテイメント性からいえば、本編よりも巻末に付された歴史上の通信史たちによる架空座談会が、何よりも愉快だ。作者の妄想が爆走し、研究書に押し込められていた歴史上の人物たちが、まるで目の前でツバを飛ばしあうかのようにキャラ立ち十分に放言しまくる。

精緻な歴史家は眉をひそめるやもしれないが、「歴史を知る」にはこんなアプローチがあってもいい。

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【映画】世界大戦争2011/08/31

『世界大戦争』
『世界大戦争』(1961年・監督:松林宗恵)

これまたカルトな逸品。キネ旬の『オールタイムベスト 映画遺産200 日本映画篇』で推されていたので、一体どんなものかと怖いもの(?)観たさでDVDでレンタル観賞してみたが、これがじつにエグい作品に仕上がっている。

米ソによる東西対立を模した同盟国側と連邦国の緊張が高まり、世界は核戦争一歩手前の一触即発の状態を迎えていた。その迫りくる地球の危機を地球規模でダイナミックに描く一方で、日本に暮らすごく平凡なタクシー運転手の家族の視点をも重ね併せたSF特撮ドラマ。

なんといっても円谷英二による特撮がエグい。ミニチュアを駆使し、北極から朝鮮半島、洋上の船、ロケットまで精巧に描き、さらには東京、ニューヨーク、ロンドン、パリ、モスクワの町並みが核ミサイルによって破壊される様をリアルに映像化した。
この作品が今から50年も前につくられたというまずその事実に驚き、その執念にも似た“匠の技”に敬意を抱かざるをえない…。

もちろんミニュチュア特撮は、どんなにリアルにそれを描いても結局はミニチュアにしか見えないだろう。しかし今や、映画表現に溢れかえるアニメ、CG、3Dを、「本物」と思って観る観客はいない。すべて“まがいもの”として、それをわかったうえで楽しんでいる。

そうした“まがいもの”を“まがいもの”として楽しめるようになった今だからこそ、その終末的なモチーフとともに再評価されるべき作品だと思う。

出演者も、主人公のタクシー運転手・フランキー堺をはじめ、宝田明、乙羽信子、星由里子、笠智衆、白川由美、東野英治郎、山村聡、上原謙、中村伸郎というオールスターキャストともに、芸術祭参加作品というのにも驚かされる。

目を奪われるのは特撮だけでなく、セリフの中にも「平和を粗末にしちゃいけねえ」「わずか4個の水爆で日本はなくなる」「この平和を守るためにどこまでも努力すべきだ」など時折光るものがあり、人間ドラマとしても手抜き感はない。それだけ時代の空気というか危機感からか、映画会社もスタッフ・出演者も、この作品に賭けるものがあったに違いない…。

海外でも公開され英語版のTrailerも作られている!↓


◆『世界大戦争』の参考レビュー(*タイトル文責は森口)
「もし核戦争が…を描いた入魂の作品」--かたすみの映画小屋
「スペクタクル特撮映像も見事なリアリティある悲劇」--Godzilla and Other Assorted Fantastic Monsters

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【TV】ETV特集「ネットワークでつくる放射能汚染地図 3~子どもたちを被ばくから守るために~」2011/08/29

ETV特集「ネットワークでつくる放射能汚染地図 3~子どもたちを被ばくから守るために~」
ETV特集「ネットワークでつくる放射能汚染地図」シリーズの第3弾(8月28日NHK教育)。さすがに3作目ともなれば、新味もなくなり…と思いきや、これまた驚愕の展開に加え、ヒューマン・ドラマとしての妙味も加わり、極上のドキュメンタリーとなった。
これは、本年度ギャラクシー賞(報道部門)の有力候補作だろう。

まずは、福島第一事故直後から放射能汚染マップ作りに取り組む木村真三氏(獨協医科大学准教授)と岡野眞治氏(元理化学研究所)が、今もって汚染マップ作りに専心し、さらに詳細な避難区域に指定されていない地域での調査を続けていることが伝えられる。

なにしろ国や自治体が手をつけていない「汚染マップ」を、“在野”の立場からいまだにコツコツと作り続けていることにまずは驚かされるし、行政や政治家、そして東電の怠慢に改めて怒りが込み上げてくる。

さらに驚かされるのは、“ホットスポット”が点在する二本松市の中でも、最も高い線量を記録した家の家族にまでに調査のメスを入れる。おばあさんから、赤ちゃんを産んだばかりの若い母親まで、家族全員に計測機を付けてもらい、さらに家の周囲や部屋ごとの線量まで詳細に調査。

それによって、家族の生活スタイルや行動、部屋ごとも置かれた環境によって被ばく量が異なることが明らかにされる。このあたりは、ミステリータッチの科学ドキュメンタリーを観るようで、引き込まれる。

それからが凄い。この家族の被ばく線量を抑えるために、木村氏自らが作業着をまとい家の「除染」にあたるのだ。

その結果は…なんと部屋内の線量が1/2に現象したのだ。明らかに家の「除染」が効果があったことが、この「実験」は示していた。

安心した家族の顔。幼子を抱いた母親のホッとした表情が印象的な場面だが、この「実験」はまた大きな問題も提示した。なにしろがその作業量たるやハンバではない。庭の除染(表土のはぎ取り)は市職員9名が5時間がかりで行ない、屋根(瓦・雨どい等)の除染は木村氏ら2名が8時間かけて行った。そして、運び出された土は土のう400袋、4トンにも及んだ。

とても、個人(各家庭)の力ではできるものではないし、行政としてもとてもおいそれと手を出されるようなシロモノではない。なにしろ一軒一軒の被ばくの状況を調査したうえで、その除染法を考え、それを実行に移さなければならないのだ。とほうもない作業量が待っている…。

それに対して、木村氏は単純な被ばく線量ではなく、乳幼児がいる家庭を優先するなど、各家庭の事情に応じた対応が必要だと訴える。
木村・岡村両氏は健康被害を抑えるために、内部被ばくも含めた、さらに詳細な調査が必要だとして、今後も続けていくという。

被ばくの不安に揺れる住人たちの表情だけでなく、「職がないときに塗装の仕事をしてましたから」と笑いながら屋根上で作業するその板についた職人ぶりや、住人やご家族に対する丁寧な説明や対応から、木村氏の人柄と強固な意志が伝わってくる。間違いなくそれが、本作を一級のヒューマン・ドキュメンタリーに押し上げた。

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