【本】日本文学史 近世篇一~三2011/09/17

日本文学史―近世篇〈1〉 (中公文庫)日本文学史―近世篇〈1〉 (中公文庫)
ドナルド キーン Donald Keene

中央公論新社 2011-01-22
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先頃、日本への永住・帰化を表明したドナルド・キーン氏による大著(原著は1976年刊行)。「日本文学」に明るくないこともあって、いつかは読みたいと思ってようやく手にした書だが、キーン氏という最良のナビゲーターに得て、その大河のような流れにたゆたう至福の時を過ごした。

この名著を批評するほどの知識も資格もないことは重々承知しつつも、いくつかの印象に残った点を記させてもらえば、まずもってその豊かな知識と鋭い考察以上に、その心にしみ入るような日本語表現の確かさに魅了される。
「~やぶさかでない」など、次々に繰り出される表現や言い回しに引き出しの多さに驚嘆し、豊穣な筆致に圧倒される。

そのうえで本書を特徴づけているのは、「文学」を活字だけではなく、幅広いジャンルの文化として位置づけているのもキーン氏の眼目といえる。それゆえ、歌舞伎や浄瑠璃の記述に紙面を大きく割き、江戸文学/文化の興隆を立体的に活写している。

歌舞伎の祖といわれる出雲阿国の「念仏踊り」を綴った場面など、まるで400年前の京都・四条の河原にタイムワープして目の前でその艶やかな姿を目にしているかのような錯覚に陥る。手垢のついた表現で申し訳ないが、阿国をこれほど見事に「再現」した文章にお目にかかったことがない(近世篇二)。

そこに写し出されるのは、江戸・上方という町民の街に花開いた庶民文化だ。
キーン氏は序文の冒頭でこう記す。

徳川期の文学の特色は、なににもまして、それが(武家階級も含めて)民衆のものだったという点であろう。

井原西鶴、近松門左衛門、上田秋成といった庶民に愛された作家たちをはじめ、俳諧、連歌、和歌、戯作、狂歌、川柳、漢詩文にいたる庶民文学までつぶさに紹介し、独自のメスをいれる。
そして本書を通奏する氏の視点は、最期までブレない。

幕府によって二百五十年の長きにわたって維持された泰平の孤立は、表層的な観察者の目には、あらゆる「変化」に対する拒絶、幕閣の政策を指導した儒臣たちによるひたすらな保守と体制保持の世、と映るかもしれない。だが、そこに展開した文学を子細に点検するとき、われわれが発見するのは、なんという「変化」だろう。(近世篇三・p326)

ワタシはここに網野善彦史観に通じる、庶民文化への曇りのない視座を感じることができる。

それにしても、キーン氏という“異邦人”によって日本近世文学のなんたるか教えられるというのも奇異な話だが、考えてみれば故・中村とうよう氏(音楽評論家)が辺境・日本に居て距離を置いて欧米(のみならず世界)のポピュラー音楽に対してあれだけ鋭い論評が展開できたと同じように、キーン氏の“異邦人”という矜持があってこそ、これほど深く、冷静に日本の文化を捉えることができたのではないかという気もするのだ。

キーンさん、これからも日本文化を愛でつつ、鋭い論説を発し続け、そして長生きしてください。

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