【演劇】ハイリンド×サスペンデッズ『グロリア』2010/10/17

ハイリンド×サスペンデッツ『グロリア』
ハイリンドサスペンデッズという二つの若手劇団による合同公演『グロリア』に足を運ぶ(17日・下北沢「劇」小劇場)。結論から言えば、…いい芝居だったと思う。

なにより驚いたのは、早船聡(サスペンデッツ)という1971年生れの若い劇作家が、第二次世界大戦で日本が使用した「風船爆弾」を題材に劇作していることだ。はたして今、「風船爆弾」について語れる人がどれだけいるだろうか? ワタシも江戸東京博物館でその実物(の残骸)を目にしたことがあるくらいで、本作で取り上げた1945年5月5日米オレゴン州でピクニック中の男女5名が不発弾に触れて亡くなった事件などまったく無知であった。なにしろこれは、これは第二次世界大戦中にアメリカ本土で日本軍の攻撃により死者がでた唯一の事例であり、戦後、その報道を聞いた製造現場の元女学生は泣き崩れたという。
こんな日米双方において歴史的な「事件」を、早船はどこから見知ったのだろうか?

物語は病院の待合室から始まる。
平田オリザ氏が『演劇入門』の冒頭で、美術館でのシーンを例にとり「いい脚本」とは何かを示している。曰く、登場人物に「美術館」という言葉を使わずに、美術館と登場する人物の関係性や設定を語らせること…。早船もこのセオリーにのっとり、見事に場面設定と人物を描いている。
やがて舞台は、入院する祖母の少女時代への転じ、冒頭のプロローグに一瞬現れたオレゴン州での「悲劇」が語られる。
いずれも奇をてらうことのない端正なセリフと動きは驚くほどストレート。ワタシなどは「これは新劇のパロディーなのか?」と思ってしまったほど。
しかし、早船はいたって真面目だ。自身が手がけた「風船爆弾」が人を殺したことを知った少女にこう語らせる。「アメリカの原爆で死んだ人も、風船爆弾で死んだ人も、同じように家族がいて悲しみにくれる人がいる」。語られる死と語られない死。生と死の光と影と不条理…。
これはまるで、その救出劇が全世界の注目を浴びたチリの33人の炭鉱夫の命と、世界の無数の死との対比ではあるまいか…。この作品の持つ普遍性、今日的なテーマと、あまりのタイミングにワタシの妄想はおののく。

舞台は、少女の家族の「戦死」とオレゴンの「死」、そして彼女の「死」がパラレルワールドのように語られ、そのすべてがワタシたちの現実に地続きであることを示して、幕を閉じる。
題材も含めて、こんな芝居が、若き劇団によって2010年に下北沢の小さな小屋で、演じられたという事実にワタシは驚きを禁じ得ない。それにしても、この良作をもう少し大きな劇場で観せられないものか。嗚呼、もったない…。(公演は24日まで)

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